千葉篤胤の転生記_15~治承・寿永の乱
下総の千葉一族の館奥には頼朝と以下の面々が集っていた。
中心に頼朝がいて、囲うように
北条時政、その子である泰時
長年頼朝と共にいる安達盛長
三浦義澄、その甥の和田義盛
上総広常、その子である能常
そして千葉常胤、胤正、胤頼
これからどうしていくかを合議することになっている。決めるべきはどこを拠点とするかという事であった。
上総は上総広常が一帯を抑え、下総もついこの間に少数で宿敵である藤原親政を胤正の子である成胤が討つという快挙を成し遂げ、千葉一族は下総の全てを手に入れていた。
胤頼としては、その際に成胤の中にいた篤胤がなにかしたんだろうと勘ぐっている。
上総下総の地そのものは盤石ではあるが、こちらから攻めにいくには不便だ。これより進軍する拠点としては武蔵か相模のどこかであったほうが望ましい。
常胤が口を開いた。
「鎌倉はいかがでしょうか。鎌倉であれば三方丘に囲まれ海にも面しております。また古来より源氏にゆかりがあり、父上の義朝様や兄上の義平様も昔住んでいたことのある地。鎌倉で構えることでより全国各地に頼朝様の挙兵が轟くこととなりましょう」
頼朝は常胤の申す通りとし、これにて頼朝一同は鎌倉へと目指すこととなる。
時同じころ、頼朝以外の源氏も以仁王の令旨を元に動いていた。その一人が信濃にいる源信義である。甲斐源氏とわれる甲斐周辺の源氏の長として率いていた。
もう一人、源氏の軸となる人物がいた。源義仲である。源義仲は以仁王の遺児である北陸宮が越前への逃亡の中、追手より救い、越中に拠点を構えていた。
そして源氏の同時挙兵は福原にいる平清盛の元にも報が届き、平清盛は追討軍を東国へと断を下す。
平氏と源氏が壮絶に交える日はそう遠くはなかった。