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富士登頂失敗を振り返る

■富士山は特別な山

富士山は僕にとって特別な山です。初登頂は、勤めていた会社が倒産し、交際相手にも振られ公私で大ダメージを食らっていた2009年のこと。何か流れを変えたくて毎年富士山に登っている親友に連絡して一緒に登ってもらいました。そこから富士登山の魅力に嵌り3年連続登頂し、0合目からロードバイクで5合目までヒルクライムをしたこともある、様々な思い入れがある山です。

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■10年目の再登頂へ

最後に登頂した2011年、一緒に登ったのは下界ではアクティブな10歳上の先輩でした。そんな彼が相当困憊して登っていたことに衝撃を受け、「自分も10年後の2020年になったら彼のように疲労困憊で登ることになるのだろうか」と気になってしまいました。そんなきっかけで、再登山までには意図的に10年のブランクを空けていました。
2020年は山が開かれなかったので断念しましたが、今年は2年ぶりに山が開かれるというニュースを目にして、テンションアップ。「おっしゃ!今年は登るで!」と奮い立ち、4月入社の新入社員2名も「社員研修」と称して半ば強制的に連れて行くことが急遽決定しました。日程は天気予報を眺めながら晴天予報の7月19日~20日に決めました。

■そして運命の7月19日

昼過ぎに到着し、富士浅間神社に参拝して、昼食を取り麓のスーパー銭湯で体調を整え軽く食事をして…。準備万端の状態で、5合目駐車場を目指し富士スバルラインの入り口に車を進めました。
夕日に染まり赤富士を木々の間からチラッと見ながら、音楽好きの新卒にDJを交代し、アップテンポの曲で皆のテンションが挙がっていく!
涼しくなってきたので窓も全開でこのまま登っていくはずだった……のですが……

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んっ?あれ?あれ?ゲート閉まってるけど?営業時間終了ってどういうこと?

現実を受け入れるまでに時間がかかりました…。

その場で調べてみると、令和3年度の富士スバルラインの営業時間は午後6時まで。10年前の記憶のまま24時間営業しているものだと思っていたため、営業時間の変更に気づかなかったのです。そのことに気づいた時刻は、午後6時半でした…。

目の前にベストコンディションの富士山があるのに登れない悔しさで心が張り裂けそうな僕を気遣うこともなく、宙を舞って喜びを表現する新卒たち…

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富士スバルラインの入口で営業終了を認識した時に流れていたBGMはDaft PunkのOne more Time。新卒から名DJとなった瞬間でもありました。

■暗闇の高速道路にて

気持ちを入れ替えられないまま帰路に就きました。暗闇の高速道路を走行していると心がだんだんと自暴自棄に染まっていきます。

この10年間、1歩1歩の積み重ねで3,776mの山頂まで登れた経験を思い出しながら、苦しいことも乗り越えてきました。
拠点も大阪から東京に変わり、結婚し、娘が生まれ、起業し、自分の会社の社員を連れて、富士山を登れることになる、なんて10年前は想像してなかったので本当に悔しかったです。

ホームページのトップに赤字で書かれているのに富士スバルラインの時間制限を確認しなかった詰めの甘さや、時代や状況は10年前と異なっているのに最適化できていない自分にここで気づけたことは意義のあることだったと思っています。

登れなかった原因はすべて自分にあると真摯に反省し、次に活かして、前に進んでいきます。

まぁ、富士山が噴火しない限り再度挑戦できますから!

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