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あまりに恋人が好きで、幸せだと叫びたいだけのnote

「付き合ってて楽しそうだよね」
職場の同期との飲み会で、ふとそう言われました。私はどうやら、恋人とのことを話す時とても楽しそうな表情をしているらしいです。
そういう時に痛感するのが、
「恋人といて当たり前のように幸せだけど、ほんとは『当たり前』じゃないんだ」
ってこと。きっと恋人の一挙手一投足の節々に私を好きで大切に思う気持ちが滲み出ていて、そのおかげで私は幸せなんだと。
その尊さ、ありがたさを忘れないように、という自戒と。
ただ恋人が好きで幸せだと誰かに聞いて欲しい自己満足(こっちが大半)のためだけの文章です。

惚気って聞いて欲しいけど、あんまり自発的にする話でもないよなあと思っているので、友人知人との会話では聞かれない限り話すことはほぼないんだけど、ふと話したくなる。たまあにSNSで発散するけど、共通の友達がフォロワーだとなんとなく気恥ずかしさがあるのでたくさんはしない。店の中が気になった通行人にしか見られない、というnoteの仕組みはこういう時大変気楽ですね。

付き合って1年と9か月というところですが、贅沢なことに、
「相手に不満がない」
ことがささやかな悩みです。そしてどうやら相手もそうらしい。
おかしくない?人一倍会って連絡も取り合って、時たま寝食を共にする関係を2年弱続けてるのに、不満とか合わないとこの一か所も出てこないって、あり得るの?
正確にはひとつも不満に感じたことがないわけじゃないんだろうけど、記憶に強く残ってないってことは、きっとどうでもいいくらい小さなことだったんだろう。
人と恋バナすると、大抵相手に対する愚痴を聞きます。マイペースすぎる、もっとリードしてほしい、言葉遣いが嫌・・・。
全くの他人なんだから節々に不満が出てくるのが恐らく普通のはずで、
「不満が出てこないって、私が相手に何も期待してないってこと?それとも自分に都合がいいようにフィルターをかけて言動を解釈してるの?」
と疑心暗鬼になっていたこともあります。

ですが最近はもっぱら、
「単純に恋人がすごすぎるだけでは?」
という結論になっています。
いつも優しい目で私を見てくれること。
好きだと言葉で伝えてくれること。
私と一緒の時間を、楽しそうな表情で過ごしてくれること。
弱ってどうしようもない時にそばにいてくれること。
眠い時にそっと頭を撫でてくれること。
そうして言葉でも態度でも、私のことが好きだと表してくれることが、もう当たり前になってきていて。
ただこれらの言動がずっと変わらず、しかも私にとって過不足ない量、つまり私が一番穏やかに「好かれている」と感じられているのは、決して当たり前ではなくて。
恋人の優しさと努力の結晶なんだと、そう思っています。

私が恋人を好きになったのは、澱んで閉ざされそうな心を救われたからです。
自分のキャパシティをはるかに超えて頑張らなければならず、心の余裕のなさから、どうしようもなく「人と一緒にいるのが辛い」と感じていた時期がありました。
友達や家族と話したり長い時間一緒にいたりすると胸のあたりが重たくなって、一番苦しい時は親と電話で話ができなかったり、バイトの接客中に拒否反応で涙が出てしまったりしていました。
「私は人と一緒に生きていけないんだな」
心の鉛がどんどん重くなっていくのを感じながら、そう密かに絶望していました。

そんな時に息苦しくなく長く一緒にいられた、ほぼ唯一の存在が今の恋人でした。
「人と一緒に生きることを諦めなくてもいいのかも」
「私はまだ、人と一緒にいるのが好きなままの私でいられるんだ」
それは本当に誇張でもなんでもなく、人と関わることを余儀なくされるこの世界で、私が生き続けられる希望を与えてくれた光だったのです。

今でこそ明るく人と関わる力を取り戻した気になっている私ですが、それはキャパオーバーした時期を超え、恋人が照らしてくれた光に癒されたからです。
大きな負担に苛まれるようなことがあれば、きっとまた人と接することへの苦痛はぶり返してくるのでしょう。実のところ、少し苦しくなった時は恋人にそばにいてもらって元気をもらうことばかりで、それは私があまりに恋人に心を預けすぎていることの証左です。
そんな重荷を受け止めるのはきっと容易いことではないのだから、もっと自分で荷物を背負え、と、心の中の理想の私ー精神的に成熟して、一人で自分の心をケアしコントロールできる私ーに、時折叱られています。

いつも優しい目で私を見てくれること。
好きだと言葉で伝えてくれること。
私と一緒の時間を、楽しそうな表情で過ごしてくれること。
弱ってどうしようもない時にそばにいてくれること。
眠い時にそっと頭を撫でてくれること。
そうして言葉でも態度でも、私のことが好きだと表してくれることが、どれだけ得難い幸せなのでしょう。

私はその幸せに釣り合うだけの何かを返せているのかと、衝動的に不安になる時があります。
等価交換である必要は必ずしもないけれど、特別な立場としてそばにいてもらっている以上、私だって恋人の何がしかの光になりたいと、そう思うのです。

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