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「インプロに出逢って自分がどうなったか?」を考えていったら、人生最古の記憶から生まれきた目的まで明確になってったお話(長文)

前回のブログで「なんでヒトリワタリをやり続けているのか?」を書いていったら「なんでインプロなのか?」というところにまで話は及んで自分でもびっくりした。


言語化が難しいお題に取りかかると、自分の中のふか~いところまで入りこんでいく必要がある。
ここ数年は「ここぞ!」というときでない限り文字化することはなかった。
しかし今年は完全にスイッチがはいったので定期的にブログも書いていくし、こういう難題にも向き合っていこうと思う。

深く自分にはいって文字化すると、よりくっきりとした自分に出会うことになる。

「なんでインプロなのか?」を書いていくために深く深く自分の中に入っていったら「自分が生まれてきた理由」にぶち当たってよりびっくりしたので、これも言語化しておきます。

「インプロはワタリに何をしてくれたのか?」を考えたら「ユーは何しに生まれてきたのか?」まで遡る必要がでてきたことに驚いてる

そもそもこの「なんでインプロなんだろう?なんでインプロやり続けているんだろう?」っていう問いをなんで立ててみようと思ったか?についてまず語りますね。

インプロをもっと知ってほしい。もっとインプロに関わる人が増えるにはどうしたら?という想いが爆発して即興探究所「JAM TARI LAB」を立ち上げて、より丁寧に届けようとなったときに

「俳優さんだけではなくて、表現をしていない人たちにも知ってほしいんだったら、その人達にとってインプロの何が良いのか?をもっと丁寧に届けないとね。そのためにはワタリがインプロの何が良いって思っているのか?もっと言えば、何に救われたのか?今までできなかったことがインプロと出会うことによってどうできるようになったのか?っていうところまで語れたら良いよね?簡単に言えばインプロしたら何もらえるの?ってのを伝えられると良いよね」

って話になったんです。

そういうことって本当に大事だなって思ったんです。
で、それについて書こうとしたらとんでもなく難産だったって話。

例えば
「人と全く喋れなくて、でもインプロに出逢ってものすごく喋れるようになったんです!」
とか
「人生に絶望してて、でもインプロに出逢って生きてるってすごい!もっと生きよう!ってなったんです!」
とかそういうドラマチックなのがあるとものすごく分かりやすいし、良いね!ってことなんだけど、それを書こうとしてなかなか書けなかったんです(笑)

ワタリは?って考えるといつも一番最初に出てくる言葉は以下。

「最初からインプロは楽しくて、最初から割とできるほうで、で、そのままやってる」

え?一行??おわり?

自分でもびっくりした。嘘でしょ?27年やってるんだよ。やり続けてるんだよ。それの理由が?これ?

そんなはずは・・そんなバカな?マジでバカみたいじゃん!と諦めずまた問いかけ、しかしそのたびに

「楽しい。おわり」

この一行で終わる。そしてまたしつこく立ち向かう。

一行という達人に挑み何度も倒される。

ワタリ「ハァハァッ・・そんなはずは・・!!」
一 行「無駄じゃよ」
ワタリ「嘘だ!認めない!」
一 行「ふぃ~楽しい~!へへへへ。それだけじゃよ」
ワタリ「嫌だ!なんかバカみたい!納得できない!やぁ!」
一 行「ほーれ」
ワタリ「あああああ!」

そんな攻防が何日も続きました。

次第に一行師匠とも仲よくなってきて、途中でお茶とか挟むようになったんです。

一 行「(お茶をすする)ズズズ・・お主もしつこいのう」
ワタリ「休憩したらまたお願いします!」
一 行「んん~あのな」
ワタリ「はい」
一 行「もうちょっと視野をな、広げてみたらどうかの?」
ワタリ「はい?」
一 行「インプロ、最初から楽しかったんじゃろ?」
ワタリ「はい!」
一 行「インプロ、最初からわりとできたんじゃろ?」
ワタリ「はい!」
一 行「それ生まれたときから?できてた?」
ワタリ「は・・・え?」
一 行「小さいころからできてたかい?」
ワタリ「いえ、小さいころなんて・・一切できてないです。むしろできないです」
一 行「それじゃよ」
ワタリ「え?」
一 行「なんで小さいころはできなくて、いつからできるようになっていったのか?」
ワタリ「・・・はい」
一 行「そこをよーく見るんじゃよ」
ワタリ「・・なるほど!はい!」

そんなヒントを師匠からもらい、自分の記憶をたどる旅にでました。

自分の一番古い記憶まで遡った

小さいとき。ものごころついたときくらい。これはもう自分の人生の最古の記憶なんだと思うけど。一枚の写真のように記憶していることがある。

それはワタリの母、オカンの笑顔だった。

どれくらい解像度が高いかというとびっくりするくらい淡いけど。でも感覚として残ってる。
ワタリはオカンが笑ってるのを見るのが好きだった。
オカンが笑うと世界が平和になったような感覚があったんだと思う。
とかくオカンが笑うようなことをやった記憶がある。

小学生低学年かな。家のテレビでチャップリンの映画を一緒にみたことがあった。
チャップリンがひょんなことからボクシングの試合をすることになるんだけど、そのコミカルな動きを観てオカンが笑っていた。ワタリも笑った。

そこから「チャップリンはオカンを笑わせるすごい人」と強く憧れるようになり「ああなりたい!」と強く強く思うようになった。

セロハンテープをマジックで黒く塗ってちょび髭をつくり、自分の口の上のつけて。もうそれだけでチャップリンになったつもりでオカンの前に出てチャップリンみたいな動きを(いや、全然できてないんだけど)披露する。
それを観て笑うオカン。白熱するワタリ。
好きな人の笑顔を見るために全力で表現する。何度も何度もやる。

これがきっとワタリの原点。

またこれはワタリは記憶にないんだけど、後に両親から言われたエピソードでこんなのがある。

これまた小さいとき、ワタリはいじめられておりました。
でもワタリはやられてもやり返さなかったらしい。
何を言われても手を出されてもやり返さない。
見かねた親父やオカンが「やり返さんか!やり返すまで帰ってくんな!」とワタリに強く言った。
そしたら

「・・僕が我慢すればいいねん。そしたら戦争はなくなるから」

と言った。両親は「この子・・ほんまに我が子か?」と驚いたという(笑)
とにかく争いが嫌いで人が笑うのが好き。
憧れると「あれになりたい!」と言ってその人になり切る。
しかし「自分がやり返さなかったら戦争がなくなるんだ」という強い自意識も持ち合わせていて。

それが故に高校二年生まではめっちゃくちゃ引っ込み思案だった。

引っ込み思案が変わる出来事は大きく2つある

目次

  1. 1つ目。オカンひっくり返し打法

    1. もう1つの転機の前にやってきた「死にたい」と初めて口に出したくらい傷ついた経験。

    2. 「開いて相手にイエスと言い素直になる」きっかけをくれたNくん

  2. 2つ目、相手のアイディアにイエスして起きた感情の渦

  3. そこから無茶振りだろうがなんだろうが「相手のアイディアにイエスする」のが基本になる。そして最後は自分にイエスした。

  4. ようやっとインプロと出逢い、その一年後、革命がおきる

1つ目。オカンひっくり返し打法

天パで赤毛で色白なんだけど赤面症で、かつ小太り。
自意識がすごくて人と(特に女子と)うまく話せない。
それが小学生のワタリだ。
時は昭和。
イジられるには充分な素材だったんだと思う。
ふっつーにイジめられておりました。

パッと思いつく限りだけど、どんなことがあったか書いてみる。

当時の主流な遊びは鬼ごっこと野球。

・鬼ごっこ→鬼になったら最後。永遠に鬼。太っているから追いつかない。鬼になったまま夕方がきて、誰もいなくなった。本当に鬼になりたかった。

・野球→キャッチボールしてると、ワタリが投げるたびに「はい!ブー!」と言うやつがいた。何してもどうやっても「はい!ブー!」が終わらない。その場でグローブを置いて引退した。

・知らないところで天パの歌が作られていて、外にでたら急に2人組が現れて
「♪わたり〜のカツラは50円〜ちなみにサイズは120!わたり〜のカツラは50え〜ん♪嵐が吹いたらとんでいく♪あーなーあーなーケツの穴ーオーライ!」
といって笑いながらダッシュでいなくなる。→ムカつくと同時によくそんな歌詞がつくれるなと関心もした。

・渡猛という名前を「トモウ」というふうに呼べるとわかったら「トモウ!トモウ!」と全力でいじられる。→歴史で「渡来人」ってのが出てくるのがいけないんだと渡来人を逆恨み。

・近所のガケに秘密基地をつくった。あるとき行くと複数人の上級生がいた。基地が破壊されてた。
「あ!ワタリだ!」上級生に気づかれエアーガンで発砲される。
逃げても太ってて遅いから追いつかれ逃げてるワタリに並走しながら撃たれる。→自宅に泣きなから帰って鉄アレイで意味のない筋トレを開始した。そしてなぜワタリって知られてるんだろう?って思った。

また、これは今でもそうだけど、不思議なことが起きやすい才能があった。

・出かけたらたいがい雨が降ってくる。雲が意思をもったように「あ!ワタリ出てきた!」と急いで晴れから曇りにする。

・小学生の卒業式はなぜかワタリの座る椅子だけ用意されていなかった。
体育館の中で開催される卒業式。
校長先生から名前を呼ばれて卒業証書を受け取り自分の椅子に座ろうとしたら、ない。
「ワタリ」だからいつも出席番号は一番最後。なのにワタリをいじめていた山本くんの椅子までで、ワタリの椅子はない。
慌てる。隣のクラスの一番まえの椅子に座ろうとする。
でも当然となりのクラスの出席番号1番の青木くんに「ちゃうで。これ僕の席」と言われる。
(※そのときワタリをいじめていた山本くんが椅子を半分貸してくれたのはまた別のお話)

そんな「なんでワタリだけ??」って思うような出来事か群発していた。

なので、当時のワタリはめっちゃくちゃネガティブだった。
自意識の強さもあいまって自分の運命を呪った。
家族の中の企画で「これを守ったらお小遣い増える」みたいなのがあってワタリに課せられたルールは「ネガティブなことを言わない」だった。それくらいネガティブ。

ある時オカンに不満をぶちまけたことがあった。
「なんでワタリだけなん?見た目も!天パで!タラコ唇で・・全部ぜんぶ嫌い!嫌や!」

それを全部ひとしきり聞いたオカンが。ワタリの目をしっかりと見ながら答える。
「あんたの髪はくるくるして可愛い。唇も黒人さんみたいにセクシー。あんたに来るいろんな出来事は面白いやんか」

細かい言葉は覚えてないんだけど、オカンはワタリが言ったネガティブなことを全部ポジティブに変換していった。
キャッチボールで「はい!ブー!」って言ってたやつの真逆版。
ワタリが投げたボールを「はい!ぴんぽーん!」と1つずつ打ち返していく。

オカンの価値観ひっくり返し打法は少年ワタリの心に響いた。

またネガティブワタリでも、面白いことを考え人を笑わせるのは好きだった。
大勢の前で喋る勇気はないから、自分が考えたことを小さい声で独り言のように言う。それを隣にいた人気者が言って笑いをとっていた。
トークだ。トークが一番楽しい。
小学生のときも遊ぼ〜って言ってくる友だちに対して「いや〜家でヤクルト飲みながら喋ろうや」と誘っていた。(※誰も誘いに乗ってくれなかった)

もう1つの転機の前にやってきた「死にたい」と初めて口に出したくらい傷ついた経験。

中学生に入って部活(バレー部)やって痩せていく。しかし自意識の強さは変わらず。女子とうまく話せない。
そんな中、クラスにめっちゃ気さくに話しかけてくれる女子Uさんがいた。秒で恋に落ちた。
中2になっても同じクラスだった。
あるとき、ちょっとしたことで喧嘩になり、まったく話さない状態が続いた。
2週間くらい続いたときに別の女子から「あの、これ」と手紙を渡された。
あけるとUさんからだった。
手紙には「喧嘩してしまったことを後悔している」ことと、「実はワタリのことが好きで」ということと「ちゃんと謝りたいから放課後靴箱のところで待っててほしい」ということが書かれていた。

手が震えるほどの衝撃。どうして良いか分からず当時の男親友Oくんに相談。

「これ・・マジなやつやん!」とOくん。
あまりにも不安だからOくんも放課後一緒にいてくれることになった。

放課後。

部活が終わって、着替えていざ靴箱に。Oくんも一緒。
出口のドアからUさんと手紙をくれた女子が待機しているのが見えた。
・・いくか!となったときにチャイムがなった。
当時このチャイムが鳴り終わるまでに学校を出ないと部活停止処分にされるルールがあった。
ので、仕方なく学校を出る。
出るともうUさんたちはいなかった。

仕方なく学校を出て家に帰りつつOくんと話す。
どうにも気持ちが収まらないワタリは一回家に電話してみようか?と提案し、Oくんもそれが良いとなり、電話ボックスに。Uさん家の電話番号を調べて電話。お母さんが出た。飛び出る心臓を抑えつつ「あの・・Uさんは」と言う。
「ちょっとまっててね」と言いしばらく無音。
「はい・・」とUさんの声。
「あ・・あの今日のことやねんけど」
「あ、うん。明日話そ」
「あ、あそうなん。わかった」

と電話をきる。
次の日。

朝クラスにいく。親友Oくんが近づいてくる。

「あんな・・あれウソやったみたい」

そのあとワタリがどんなリアクションしたのか記憶にない。
混乱と怒りと悲しみが同時に襲ってきた。
ゆえにその後もまったく喋ることはなく。
というか、避けた。全力で。
とにかく喋らないような距離を保った。
しかし、運命のいたずらか?クラスの席替えがあって、Uさんと隣になる。
喋らないわけにはいかない。というか、ちょっとしたことで話す機会が出てきてしまう。
しかもこっちは好きだから、こじれているけど喋りたいって気持ちはある。
ということで、いつしかまた喋ることに。そんな中で発覚した。

あのときのウソ。

じつはクラスのたくさんの人で計画したサプライズだったということ。

そしてその中に親友の0くんも入っていたこと。

そこから。
首謀者が誰かを聞き出す。
小学生のころからワタリをいじめてたやつだってわかった。
そいつを許さない!って当時流行ったチャゲ&飛鳥の「YAH YAH YAH」をひらすら聞いて自分を鼓舞して放課後に呼び出して喧嘩。
しかし、まわりの野次馬が「やめてくれ!もうすぐ県大会やねん!(そいつがバスケ部だった)」など言われて、喧嘩をやめる。ここでも戦わなかった。

「なんでこんなことに??」
またしても自分の運命を受け入れることができず。
布団の中にはいって「死にたい」と泣いた。

でも死ぬ勇気もなく、ただ許せない感情が溢れた。そしてこじれた。

そこから3年間。つまり中学2年生から高校2年生まで。

「女嫌いのワタリ」として生きることになる。
(※親友には会うたびに胸ぐらを掴み壁に押し付けるなどして地道な復讐を果たす)

「開いて相手にイエスと言い素直になる」きっかけをくれたNくん

「死にたい」と思ったとき以上にその後の3年間はしんどかった。
だって中学生ですよ。花の高校生ですよ。
めっっっっちゃ女子に興味あるし。めっっっっっっっっちゃモテたいんですよ。
でももう二度とあんな思いはしたくない。その気持ちでひたすらに「女嫌い」を通す。
廊下で男女が喋っていたら「お前、何喋ってんだ!」と男子をとっ捕まえて叱る。
「俺が正義。俺がルール」
そんな極端なキャラクターになっており、尖ったキャラクターがモテない男子にモテて、教祖化。
休憩時間に他のクラスから「ワタリさん!いま!廊下で男女が喋ってます!」なんて報告を受けるようになった。
もう全然乗り気じゃない。全然やりたくない。喋りたい。でも後ろを振り返るとモテない軍団ができていた。

「なぁ、ワタリよ。いい加減仲よくしようや」

そんなワタリを察したのか。部活(このときもバレー部)の仲間のNくんが語りかける。

ワタリ「はぁ?無理やって」
Nくん「いやいや、楽しいで」
ワタリ「なにを・・」
Nくん「わかるで。わかる。でもさ、高校時代ってもう二度と来ないんやで」
ワタリ「・・」
Nくん「な。今度さ、俺ん家でさ、うどんパーティしよ」
ワタリ「・・うどん、、パーティ」
Nくん「3人くらい女子くるから」
ワタリ「・・・いく」
Nくん「え?」
ワタリ「行く!!!!」

そうやって開催されたうどんパーティ。

めっっっちゃくちゃ楽しかった。ワタリ、もうせきを切ったように喋り、うどんをすすりました。

ここでイエスと言わなかったらどうなっていたんだろう。

2つ目、相手のアイディアにイエスして起きた感情の渦

そこから。
キャラチャンジが起きました。というか、もとのワタリに戻りました。教会は解散。信者たちは「変わりましたな〜」「なんやウソかいな」と離れていく。

もともとの平和的性格に、傷つく出来事がプラスしたからか、暴力的な言葉でツッコんでいく関西の文化にいながらも「相手を否定する笑い」にアンテナが向かなかった。

それでも楽しいことが好きなワタリは「相手が振ってきたものに乗る」これが一番面白くなる可能性が高いと思っていた。自分が面白いことを言うんじゃなく、相手に乗ってそのアイディアを面白くする。

友だちが「お~い。タケゴロウ~」ときたら、ムツゴロウさんみたいなキャラクターになったし、「たけ子~!」と言えば、部室で月明かりだけでストリッパータケコというキャラクターでストリップをして遊んだりしていた。(※Nくんが一番喜んでいた)

相手のアイディアをイエスする。それで面白くなるまでやりきってみる。

そんなワタリにやってきた転機は高校二年の修学旅行だった。

夜にクラス対抗戦でそれぞれで出し物をする時間があった。
ワタリがいたクラスは皆で歌を歌った。
それが良かったのか、優秀賞を取り、学校の先生が表彰状を渡す流れがあり、当時学級委員だったワタリが受け取ることに。
皆の前で表彰状を取りにいこうと立ち上がる直前。
友だち(悪友)がワタリを捕まえて耳打ちした。

「脱げ。脱げ」

いま思うととんでもない。
でも当時のワタリは「・・・イエス」。
その場でパンツ一丁になって登壇。

そのまま表彰状を受け取る。

そのとき。

会場は爆笑する男子と、悲鳴をあげたり「か・え・れ!」コールする女子で渦巻いた。

友だちのアイディアにイエスして動く、それで見てる人が感情的に反応する。

このとき。

これものすごく個人的な感覚すぎて全然伝わらないかもだけどしっかりと実感した。

「あ、、人生が始まった」

ものすごく明確に、明瞭に腑に落ちた。
パンイチで皆の前に出たっていうだけのこと。でもその中身は

友だちのアイディアにイエスして動く、それで見てる人が感情的に反応する。

これが自分の人生にとって絶対に外せないことなんだと実感した。

そこから無茶振りだろうがなんだろうが「相手のアイディアにイエスする」のが基本になる。そして最後は自分にイエスした。

あるとき。
当時はそんなに話したことがない友だちHから

「一緒に生徒会やらへんか?」の声に速攻で「イエス」したのも当たり前のことだった。
もうその頃のワタリはとにかく面白いと思ったら行動するし、友だちが言ってくる様々なことに全力でイエスするのが普通になっていた。

しかし生徒会をやるには全校生徒の前で立候補者たちでスピーチしないといけない。
そのあと投票によって生徒会のメンバーが選ばれる。

スピーチ本番当日。
体育館の横で緊張しながら待つワタリ。
まもなく自分の出番。
その直前になったときに
不意にHが(のちの生徒会長が)体育館横に置いてあった大きめの壺を、ワタリに渡してきた。

ワタリ「え?」
 H 「これでやってきて」

Hがどんな勝算があって壺を渡したのか分からない。
しかし、ワタリはこのまったく意味のない提案に「イエス」した。

壺を抱えて登壇。ざわめく全校生徒。
壺を横において、当時生徒からめっちゃくちゃ嫌われていた教育指導の先生のモノマネをしてスピーチをする。
それが大ウケした。
スピーチが終わり、一礼して、また壺を抱えてハケる。

どよめく会場。「壺なんやってん!」とツッコんでた。
(※この壺がその年の体育祭や文化祭で伏線回収されるんだけどそれはまた別の話)

見事に合格し、生徒会をやることになり、人前で喋ることになり、自分のアクションで全校生徒が笑う体験をする。
それが本当に楽しかった。
あたりまえのように受験勉強はそっちのけになっていく。
大学にいくための勉強の時間よりも体育祭、文化祭をとことん盛り上げたい。
それが全てになった。

そんな高校生活の終盤。とある帰り道。自転車で帰ってる途中で友だちがふいに聞いてきた。

「なぁ、ワタリ。将来なんになんの?」
その質問に即レスで「ハリウッドスターかな」と答えた。

演劇にはなにも興味はなかった。でも文化祭でやった劇で「最優秀男優賞」をもらった直後だったから調子に乗ってたんだと思う。

その自分の言葉を自分で聞いて「あ・・・ありやな」と思う。

これが自分が不意に言った言葉に「イエス」した瞬間だった。

なにもかも嫌いだ!嫌だ!と自分の見た目も起きる出来事にも呪いの言葉を吐きつつ嘆いていた子どもの頃から完全に抜けた瞬間。

そこから本屋で「日本映画学校募集」みたいな情報を得て、そんな芸事の世界があるんだと知りものすごく興奮する。(当時インターネットはないからね)

で、東京の俳優養成所のオーディションを受けて合格して、いざ上京。

ようやっとインプロと出逢い、その一年後、革命がおきる

1997年4月13日。養成所の最初の授業。
なんと最初のレッスンがインプロだった。

そんなワタリが「相手の言っていることにも自分のことにもイエスして、それでエンターテインメントするインプロ」と出逢ってハマらないわけがない。
だからインプロは最初から好きだった。
そして最初からわりとできた。
その面白さにハマり、その哲学にハマった。

でもやり始めて最初のころはまだノリと勢いだった。
テニスでいえばボールが当たってラリーできるの楽しい!っていう感じ。

そこから自分のエゴと向き合うことになる。
面白いことをしよう!と意気込めば意気込むほどうまくいかない。
でもこっちはものすごい気合いを入れて人生をかけて上京していきている。
力を抜くのはとても難しい。そして意味もわかっていない。
とにかく皆はライバルだし、とにかく自分が目立たないとダメって思っていた。

大きな転機は初めてのインプロLIVE。4人一組のチームになって戦う「シアタースポーツ」というスタイルのLIVEだった。
そのときの組んだチームが、本当に最強だった。ロクディムのカタヨセヒロシもいた。
あとの2人は女性でワタリとカタヨセより一年先輩にあたる人たちだった。
まぁこの2人がとんでもなくパワフルだった。
メンバー全員にたいして信頼感があった。
そしてそのメンバーがワタリを「リーダー」にしてくれた。
なので何の不安もなく、でも初めてのインプロLIVEだからものすごく緊張と興奮もしていてすごいテンションで出場した。結果としてはライブで優勝したんだけど、その結果よりも最後にやったシーンが忘れられないものだった。

自分がアイディアを閃いた瞬間に身体が動き、それとほぼ同時にカタヨセも動いていて、そのアイディアが伝わって完成した途端にもう一人の仲間が終わりのセリフをいって終了の笛が鳴る。

大歓声。審査員は満点のボードをあげた。
LIVEが終わったあと涙が止まらなくなった。

あれが何の涙なのか?当時はよく分からなかった。

でもいま思うと、オカンを一生懸命笑わせようとしてた頃の自分からいままでの全てを肯定されたような感覚になったんだと思う。

自分の表現で人が笑うこと。

人をけなすのではなく、互いに尊重してイエスして未知なる世界の中で協力していくエンターテインメントが通用する世界があるってこと。そのスタートラインに立てたということ。

インプロっていう大きなものに「それがいい。それでいい」と背中を押されたような。
大きな多幸感に包まれたような感覚があった。

これがワタリがその後、インプロを深く深く探究する原動力になる。
ロクディムでやってる即興も、JAM TARI LABで探究している即興も、根底は同じ。
そしてヒトリワタリは、ワタリの原体験でもある

「眼の前にいる好きな人の笑顔を見るために自分の全部で表現する」

がダイレクトに実践できる企画。
それはワタリの人生そのものなのかもしれない。

一 行「おいおい」
ワタリ「はっ」
一 行「終わらせようとしたじゃろ?」
ワタリ「確かに!すいません!」
一 行「いいけどね。いいけどさ」
ワタリ「はい!」
一 行「インプロだけ見てたら分からなかったね」
ワタリ「ほんとうそうです」
一 行「なにを伝えたい?」
ワタリ「相手にも自分にもイエスしてみることの面白さを」
一 行「うん」
ワタリ「それで人生が変わることがあるよって」
一 行「うんうん」
ワタリ「大変なことにもなるからネガティブも大事なんだけど」
一 行「うんうんうん」
ワタリ「でもイエスしなかったらワタリは『人生がはじまった!』って実感するところにいけなかったから」
一 行「だね」
ワタリ「イエスする練習って大事よ、と。それができるのがワークショップだし。そんな人間を見れるのがライブだし」
一 行「だねだね」
ワタリ「だから俳優さんも俳優さんじゃなくても、とにかく一度体験してみてよ。逢いにきてよって思うんです」
一 行「・・」
ワタリ「あれ?どうしたんです?」
一 行「もう・・教えることはなにもないな」
ワタリ「え?」
一 行「免許皆伝よ」
ワタリ「師匠・・」
一 行「表彰状をあげよ」
ワタリ「・・師匠!!」
一 行「なにしてる?」
ワタリ「いや、脱いだほうがいいかと思って」
一 行「わしは一切求めてなかったわぁ」
ワタリ「・・即興って難し」
一 行「なぁ」
ワタリ「はい」
一 行「だからこそ、じゃね」
ワタリ「・・はい!」

ということでものすごく長いブログになってしまいました。
ここまで読んでくれた方はもう本当に感謝しかございません。
少しでもワタリとインプロに興味をもってもらえたなら嬉しいです。

またライブもワークショップも毎月開催しておりますので、ぜひ自分や人に「イエス」という体験をしてみてください。

LIVE&ワークショップ情報はこちら→https://watari-bouya.com/impro-workshop/

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渡猛(TAKESHI WATARI)
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