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「見たことある」と「見いだせる」は違う。

Salone del Mobile期間中、往来のある中でエキシビション向けの花をいけ直していると日本語が聞こえてきた。

「なんかこれ日本ぽくない? このカゴとか、それも 」。

日本ぽい。実際、日本人の作家さんも多く参加されており、伝統工芸の技を駆使したレザープロダクツが並んでいるわけでして。それはステイトメントに明記してあります。もっとも、編む技術というのはそれこそ世界中で育まれてきた生活の知恵でして、それを一括りに日本ぽいとしちゃうのもどうかと。
そして僕には気づいていない様子でこう続けます。


「こんないけばなだって、見慣れてないからすごいって言うんでしょ? こんなんなら日本にたくさんあるもんね、盆栽とか。ほら見て、あの人感動してるw」。

人前に並んだ花の評価、その善し悪しを下すのは見た人個々人の自由です。が、日本にあるから、自分たちは見慣れてるから、と質についてまで言及できるものでしょうか。 盆栽と一緒くたになさっている時点で不勉強が知れるわけですから、目くじら立てることはないんです。タレントさんのことなど、テレビや街で見かけた程度でその人となりまでわかった風に話す人と同じ類でしょうか。
一連の発言がミラノサローネという、おそらくインテリアやデザイン、メディア関係者の口から出ているということが何より残念なことでして。

彼の地でお客さんの反応を見てはお声がけしてお話を伺うことも少なからず。件の感動なさっていた男性は、日本を含め各国のインテリアや建築についてよくご存知で、もちろんいけばなについても学ばれてらっしゃいました。
「自分たちの国、日本にオリジンがある」というだけで安心しちゃう人は、外でそうした話題を口にすると、お相手に残念な気持ちを与えてしまうこと少なからずですから、慎むが吉ですね。「見たことある」程度で「見出してる」気になっちゃいけない、何をか口にしちゃいけないなと、つくづく我が身を振り返る次第です。

ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。