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山の向こうに昇る太陽。

大好きな佐助稲荷を訪れ、山の向こう、木々の隙間に昇る朝日を見つけて不意に、有史以前より変わらず続く日の出と日の入り、果てない時の流れを認識しました。

下の子を園まで送ったついでに、久しぶりに佐助稲荷を訪ねました。2年前に鎌倉に越してくる前から何だか好きな場所で度々訪れていた場所。3方を山に囲われた佐助稲荷は、連なる鳥居の下をひたすら続く階段を登っていくと、不意にあたりの空気というか気配が変わるのがわかります。

前回訪れたときには社殿の建て替え最中で覆いがかかっていましたが、すっかり新しい姿になっておりました。聞けば部材は僕が登った鳥居の下を職人さんたちがひたすら人力で運んだそうでいやはや。この時代に、なんて思うとともにこうした難しい場所であっても、何をか感じた土地に社殿を建て、祀っていた昔の人の信仰を思ったりもして。

境内には参拝者が祀るお稲荷さんがそこかしこにおられまして、中でも社殿左手と後方は多数のお稲荷さんが並びます。先の台風で杉の大木が何本か折れているのが見られましたが、この一角を避けるよう倒れているようでもあり。静寂の中をしばしぼーっとお稲荷さんを眺めていると光の具合が刻々と変化していることに気づきまして。木々の合間を縫うように、拓けた土地より遅れて朝日が差し込みます。ゆるゆると、でも確実に昇る朝日を眺めておりましたら不意に、何千何万年どころではない遙か昔から同じように太陽が昇り、そして沈んできた時の流れや営みを改めて認識するにいたりましてしみじみ。

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そしてしみじみと染み入っただけで、結論じみたものはありませんので、これで終わりとします(何かまとめを、としばし考えたけれどそんなものはなかった。そうして小腹が減ったので食べたチーズケーキを)。

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ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。