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「自分って、なんだ」をいけばなで知る。

体験レッスンへの参加者に動機を聞くと「花を上手にいれられるようになりたい」という人は多い。これと同じぐらい「何か趣味をもちたい」なんて人がいる。
後者で続けてくれる人は、どこか自分の現状に変化を求めている気配が少なからずあって、レッスンを通じて日頃の話しなどを聞いたり、それについて一言二言返しているとある日、「結婚しました」だとか「仕事を変えました」だとか、そんな話をしてくれることがある。それ以降、変わらず淡々とお稽古を続ける人もあれば、憑き物が取れたように(か知りませんが)足が遠のく人もいる。

いけばなは”花がうまくなる”ひとつの手段であるけれど、それ以上に「自分を見つめる時間」としての側面や効果が強い気がする。”今、目の前にある花に集中する”。言葉だけ捉えれば禅の教えやマインドフルネスにも通ずるところがある。

そういえば以前、いけばなを続けているバイリンガルの人と流派いけばなが勢いを無くしつつある現状を踏まえて「いけばなってなくなると思う?」なんて話をしたときに、「わたしたちみたいに”自分てなんだ”みたいに内向するヒトがいるかぎりなくならないでしょ」と言っていたな。”たち”と僕を含めてくれたけれど、海外で長く外人として暮らしていた彼女がアイデンティティを自問してきた時間は、きっと僕のそれなどよりもはるかに多かっただろう。

いけばな、一緒にやりませんか。

ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。