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The Hierophant: 教皇
「教皇」。ようやく、日本では「法王」という言い方をやめ、教皇という言い方になってきたのは(一部の人にとっては)記憶に新しいところです。
なんのこっちゃ、という方がほとんどだと思いますが、これはローマ・カトリックのトップ(いわゆる「カトリック」のことです)の話。長い間、カトリック側は英語で言うところのThe Popeを日本語では「教皇」と呼んでほしいと言い続けていたのですが、なかなか聞き入れてもらえず、それにならって日本のマスコミも「法王」と言う言い方をしてきていました。しかし、先日の教皇フランシスコの来日に合わせて呼称を変更しました。
さて、ここで出てくる単語はHierophant。これを日本語では一般的に「教皇」と訳しています。素直に辞書をみてみると「(古代ギリシャの)礼拝・供犠の儀式の監督者、秘技の祭司」といった訳が出ています。前半のHieroは「ヒエログリフ」でも連想が出てくる人は多いと思いますが、「神聖な」と言う意味、そして後半のphantは「示す、知らせる」と言う意味があります。
さて「教皇」に戻って、これは英語ではPopeですが、イタリア語(そしてラテン語)ではなんというか?これは「Papa」といいます。パパです。イメージとしては、カトリックという大きな家の「お父様」のイメージです。「パパ」と「神聖なものを告げる者」。ひょっとするとやっていることは似ているのかもしれませんが、両者のイメージは大きく異なると思われます。
もう一つ、前回の「皇帝」と大きく違うことがあります。皇帝はただ独りでしたが、こちらはお付きのものが二人もいます。これは大きい。Hierophantのもつ「示す」対象が不存在ではないということです。ここにはコミュニケーションが存在するということなのです。逆に言えば、彼らなしには、Hierophantは存在し得ないのではないか。皇帝の本質が孤独であるなら、Hierophantの本質は、告げ知らせ、コミュニケーションであるとも言えるでしょう。神聖であるものは、秘儀として隠されているだけでは不十分であり、あらわになることで初めてその意味が出てくるのではないか、そんなふうに思えるのです。