占領下の抵抗(注xxxiv)[イ・ヨンスクの『「ことば」という幻影』での志賀直哉と北一輝について]
イ・ヨンスクは『「ことば」という幻影』の中で
志賀直哉は従来の「国語改革」の試みがきわめて「不徹底な改革」「中途半端な改革」であると考えていた。志賀によれば、ローマ字運動や仮名文字運動がいっこうに成功しないのは、日本語に「致命的な欠陥」があるからである。
明治以来の日本では、いわゆる「国語国字問題」が大きな論争の的となってきた。改革派は、表音式仮名づかい、漢字廃止、言文一致などをつねに主張してきたが、そのつど「国語の伝統」を信奉する保守派の反撃にあって、「国語改革」の芽はつみとられてきた。結局のところ騒々しい論争のあとにはなにも残らなかった。志賀はこうした近代日本語の歴史にいらだったのである。
とし
そして志賀にあるのは
日本語への絶望感であり、「徹底的な」改革を望む断固たる決意のほうである。
と述べている。
しかし
騒々しい論争
の後、多様な作家達の試作によって何とか形になった言文一致体を、志賀は一度は受け入れて、それを研ぎ澄ませていったのである。
その上で志賀が国語に持った
いらだち
の強さは、言文一致体を完成へと導こうとした者ゆえの苦悩だといえる。
そのような志賀にとって、戦後の政策として改めて国語の改革を議論することは、もう一度
騒々しい論争
へと逆戻りすることでしかない。そのような事が受け入れ難いのは当前として
果たしてどのような
徹底的な改革
が歴史上行われていたら、志賀は満足できたというのであろうか?
おそらくどのような言語のどのような改革でも、志賀の感じた
いらだち
は言語の標準化において不可避であるように思われる。
「国語問題」で志賀か主張したフランス語の導入は
確かに
徹底的な改革
ではあるだろうが、フランス語も一つの言語に過ぎない以上、それはある意味で人工的な改革の放棄である。
イは志賀がフランス語を日本の国語とする理由として
フランスは文化の進んだ国であり、小説を読んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思われる
という志賀の言葉を引用しているが、これはあまりに恣意的な引用である。
この言葉の前に志賀は
外国語に不案内な私はフランス語採用を自信を以っていうほど、具体的にわかっているわけではない
と断っているのだから。志賀の言葉はアイロニックなものであり、フランス語を選んだのは拙論で論じたように、戦術的なものであろう。
そして志賀は少なくともこのエッセイにおいて、母語としての日本語と日本の国語(標準語)を混同するような事はしていない。
志賀が問題としているのは一貫して日本の国語である。
志賀の論を
日本語廃止論
と断ずるのは早計である。
それはここでイ・ヨンスクが志賀と並べて論じている北一輝とは全く違う。北が否定しているのは、明らかに日本語全般である。
それは日本語の
組織根底
にまで及んでいるのだから。
人工語エスペラントの導入よって、日本語だけでなく
劣惡ナル者ガ亡ビテ優秀ナル者ガ殘存スル自然淘汰律ハ日本語ト國際語ノ存亡ヲ決スル如ク、百年ヲ出デズシテ日本領土内ノ歐洲各國語、支那、印度、朝鮮語ハ亦當然ニ國際語ノタメニ亡ブベシ。
(前段で北は國際語にエスペラントとルビを振っている。よって北がここで云う國際語はエスペラントを意味する。)(*1)
という北の姿勢は志賀とは根本的に異質であり、似て非なるものである
それはイがしたように
志賀直哉と北一輝が思う存分表現してしまった「日本語への絶望」
と並置して論じられるようなものではない。(*2)
北が日本語に対して、より優れたものとして推奨するエスペラントを志賀が支持したとは思えない。
同じ白樺派の武者小路実篤や有島生馬のような熱心なエスペランティストと交流のあった志賀である。
エスペラントを推奨するならば、はっきりとそう述べたであろう。
志賀の
仮名書きとか、ローマ字書きとか、そういう運動は大分前からあるが、なかなかものにならない。殊にローマ字運動は知名の人々が随分熱心にそれを続けているにもかかわらず、どうしても普及しないのはやはりそれに致命的な欠陥があるのではないかと思われる。
と云う言葉を素直に受け取るならば
志賀は
イが云うように
ローマ字運動や仮名文字運動がいっこうに成功しないのは、日本語に「致命的な欠陥」があるから
と考えたのではなく
そのような人工的な改革そのものに
致命的な欠陥
を見出していたのだと思う。
だとすれば人工語エスペラントなら尚更である。
志賀は
「国語問題」の時点では
徹底的な改革を望んだ
どころではなく、あらゆる人工的改革を拒否しているように、私には思われる。
志賀が望んだのは、どうせ不徹底なものに終わらざるを得ない
騒々しい論争
や人工的な改革ではなく、戦術的に導入された国際語としてのフランス語と母語としての日本語の自然な混淆であったと、私には思われる。
その意味ではイが 『「国語」という思想』の中で指摘した人工的に改革された
簡易英語(simplified English)
を提案した森有礼とも、志賀の考えは異質であると云えるだろう。
森有礼の簡易英語(simplified English)については注xxxiiiをご覧下さい。↓
(*1)エスペラントの創始者ザメンホフは、
国際語そのものは、民族語の力を弱めないばかりか、その反対に民族語をますます強化し反映させる事は確かだ。
といっている。エスペラントを推奨しながら、北一輝の主張はザメンホフの考えとも全く異質である。
(*2)志賀直哉と北一輝はどちらも、1883年(明治16年)の生まれですが、東京の山手で育った志賀と新潟の佐渡で育った北とでは、日本の言語について、おのずと別様の感覚があったのではないかと想像できます。
志賀が「国語問題」を出したのは63才の時、北が「日本改造法案大綱 」を著したのは38才の時でした。
北は1937年(昭和12年) 二・二六事件の理論的指導者の内の一人とされ、死刑判決を受けた。58歳没。志賀が「国語問題」を出した1946年(昭和21年)まで生きる事はかなわなかった。
引用書籍:①「ことば」という幻影――近代日本の言語イデオロギー〔電子書籍版〕
2013年9月15
著者:イ・ヨンスク
発行所:株式会社明石書店
電子書籍版の元本:
『「ことば」という幻影――近代日本の言語イデオロギー』2009年2月7日初版第1刷発行
②日本改造法案大綱
著者: 北一輝
青空文庫
2012年10月12日作成
底本:「北一輝著作集 Ⅱ」みすず書房
1959(昭和34)年7月10日第1刷発行
1972(昭和47)年8月30日第9刷発行
初出:「日本改造法案大綱」改造社
1923(大正12)年5月9日発行
③『「国語」という思想』
1996年12月18日 第1刷発行
2002年9月5日 第11刷発行
著者: イ・ヨンスク
発行所: 株式会社 岩波書店
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④志賀直哉, 志賀直哉全集 第七巻「国語問題」, 岩波書店, 1999.6.7.[1]
[「国語問題」初出: 1946.4.1.「改造」第27巻第4号]「志賀直哉随筆集」高橋英夫編 [39](岩波書店)(1995.10.16.第1刷発行、2021.1.15.第9刷発行)にも所収:
⑤「国際共通語の思想 エスペラント創始者ザメンホフ論説集」L.L.ザメンホフ[著・述]水野義明[編集・訳]
1997年6月10日第1刷発行
著者: Lazaro Ludviko Zamenhof
訳者: 水野義明
発行所:株式会社 新泉者
引用した「国際語の思想の本質と将来」は1900年に出されたもの。
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この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xxxiv)より、ここへ繋がるようになっています。