掌編小説 十円玉
つい先ほど、十円玉を飲んだ。飲み込んだ。嚥下した。
初めは背広の外ポケットに入れて、通勤中だろうが勤務中だろうが、ことあるごとに触れる程度だった。その刻印に指の腹を押し当て十円玉の凝りをほぐすかのように揉みまくった。圧迫した。麻雀の盲牌と同じ要領で、微妙な起伏の差異だけでそれが表か裏か──平等院なのか10なのかが分かるまでになった。インディージョーンズの敵役みたいに十円玉の模様が親指の腹へと写ることすらあった。
エレベーターに乗り降りするときも、そのままの右手を取り出し、十円玉のへりで階数を押した。あるいは開閉ボタンを圧した。乗り合わせた人は気づいただろうか、気にしすぎと思われただろうか。しかしもはや知ったこっちゃなかった。
この行動が感染を防いでくれるとは考えてもいないし、リスクを軽減するとも思っていない。エレベーターにしたってそのあとまたポケットの中で十円玉をもてあそぶのだから同じことだった。意味なんてなかった。効果なんて何も期待していなかった。
でも、どうしようもなかった。
テレワークへの切り換えもできるだろう職種にも関わらず緊急事態宣言後もそんな話は一切聞こえてこないし、オフィスの扉を開けっ放しにしてはどうでしょうと部長に進言しても「ありがとう、来週のミーティングでみんなに相談してみるわ」と緊迫感のない笑顔で返され、出社直後に開けて回った窓は休憩から帰ってくれば寒いだの花粉だのという理由でしっかり閉じられていて、エレベーターホールの花瓶の横に置かれたアルコール消毒液はもうとっくに中身は空で、マスクをしていない人は平気で笑い声を上げ、「そんなんじゃ知事に怒られますよ」と冗談っぽく注意をしてみても「知事、俺のことなんか知らねーし」と流され、見るからに減ったとはいえ電車内はまだまだ密集空間で、マスクはずっと「完売入荷未定」のままで──。
現金なんていらなかった。ただこの感染症が一日でも一秒でも早く終わって欲しかった。もう人を疑いたくはなかった。もう自分自身の行動、その一つ一つを疑いたくはなかった。
だから十円玉をまさぐるに飽き足らず、体内に取り入れることにした。抗ウィルス効果があると言われる銅を手っ取り早く摂取することにした。大丈夫、狂ってなどいない。十円玉はきちんと洗った。Googleで調べたら硬貨を誤って飲み込んでしまう子供は多いようで、不安に苛まれた親の投稿に医者が親切に回答していた。便と一緒に出てくることが多いと。
だから、飲んだ。すっかりと小銭臭くなった指先でつまみ、ラムネでも噛むかのように食った。血液みたいな味がした。銅なのに鉄っぽかった。別に美味しくも不味くもなかった。普通だった。銅だった。
空っぽの安心だった。
けど、何もしないよりマシな気持ちになった。
了
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