「何もない」と思っているところにこそ、自分の「文化シール」を貼っていこう!
これは、今がとても楽しいオタクライフを送っているからかもなのですが、
たまに脳に降りてきてしまう、
「子どもの頃、自分の周りには文化が全然なかった!」という嘆きにも似た思いがありまして。
田舎住みで、親から「テレビは一時間まで」などと厳しく決められ、あとは全部、学校と習い事で埋まっている毎日を送ってました。
しかももっと小さい頃は、親の転勤で3ヶ月単位で引っ越しばかりで、
幼稚園も友達ができる前にサヨナラ〜…という感じで。
なので、
「自分には子ども時代がなかった」
という思いがとても強いのです。
これが都会に育っていたら、もっともっと楽しい文化にふれる経験ができていたんじゃないかというふうに思っていて、
都会で育った夫に、何かの折にプンスコ(←なぜひとりで急に思い出して言うのか)ぐちってしまうのです。
すると今日(さっきですよ)、夫が、
「それは自分で『文化シール』を貼っていないだけでは?」と返してきたのです。
・「文化シール」は、
世間が「文化」と認めたものには、
"よく見える形で"貼られている
・でも「子どもの文化シール」と
「世間の文化シール」には関係がない
(夫が子どもの頃、自由が丘駅の価値は、シャレオツではなく「プラモ屋さんがたくさんある」だったそうです)
・個人の「文化シール」は
「自分が見つけた価値」に貼るもの
「あなたの子どもの頃にも、
きっと自分が好きだった文化はあって、
自分がそれを文化だと思ってないだけ」
と夫から言われて、ちょっと目から鱗になりました。
私は今、「ファッション イン ジャパン」展が掲げた『洋裁文化』という言葉にハマってまして、
戦後すぐに全国の女性たちが洋服を自分たちで作り始め、洋裁雑誌にはフランス最新ファッションが型紙として掲載され、皆が洋裁を習ったり、教えたり、戦後寡婦になった方々も洋裁で職を得たりという時代があり、
それを、庶民の暮らしというだけではなく
「歴史的文化」として捉えなおそう、という
民藝運動のような提言だったのでした。
「文化」とは、自分で発見してラベルを貼っていくものなんだ、ということ。
今日の「文化シール」の話は「洋裁文化」とセットで覚えておいて、
今はほとんど封印している子ども時代から、
少しでも楽しい思い出を見つけて、
「文化シール」を貼っていこうと思います!