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生花が好きじゃない私が買ったドライフラワーに、夫が間違って水をあげた。芽が出た。

花は好きじゃない。
すぐに枯れてしまうし、枯れていく様が寂しいから。
一瞬だからこその美しさを愛しいと思えるまでには、心が成熟していない。

「ドライフラワーがお好きなんですね」
我が家に来た客人のほとんどはそう言う。

客人がドライフラワーだと思い込んでいるそれの中には、我が家に迎え入れた時は生花だったものが枯れただけのものも含まれていることは置いておいて、

しかし、うん。ドライフラワーは好きだ。
いや、好きだった。
何故なら枯れないと思っていたから。

生花は、華やかな見た目やその強い匂いとは裏腹に弱りやすく、その生々しさが私には荷が重すぎて愛でにくい。

とはいえドライフラワーだって半年もたてば花の色はほとんど消えて茶色くなる。
なんだ、ドライフラワーもそうなのか。
半年も楽しんだくせにやさぐれた気持ちになる。

じゃあプリザーブドフラワーは?と、夫は言う。
枯れない花なんてやだね、と返す。

いったい自分は、花にどうあってほしいというのだ。

ドライフラワーを家に飾ると運気が下がるらしい。
死んでいる花だからだそうだ。
ただ、飾る場所によっては運気が上がるらしい。
なんだ。
ケースバイケースってことじゃないか。

世の中のほとんどの「それは○○なんですよ」の後ろには、(ただし、時と場合によります)という括弧書きが常についているのだろう。

しかも、最近になりドライフラワーから芽が出た。
嘘のような話だが本当だ。

ドライフラワーを飾ったまま二カ月近く放置していた花瓶に、ある日夫が水を入れ始めたのだ。
本人曰く間違えたらしい。
すると、シワシワの実と木の間から緑の芽がブワっと生えてきた。

そうなると、どうなるのだろう。
色んなことがどうなるのだろう。
運気はどうなるのだろう。
これは生花に分類され、カテゴリーが変わるのだろうか。
そもそもドライフラワーは本当に死んでいる花なのだろうか。

ドライフラワーに水をあげるなんて確かに間違いと言えば間違いだ。
けれど間違わなければ、私の中でドライフラワーは永遠に死んでいる花だった。

大切に育てたから咲いた。
世話を怠ったから枯れた。
そもそも死んでいる。

この全てが疑わしくなった今、家に生花を飾る日は近そうだ。

「りょうちゃんは生花って好き?」

「好きかなぁ。贈って喜んでもらえるとやっぱり嬉しいし」

ハッとする。
そうか。
冒頭に書いた「我が家に迎え入れた時は生花だったもの」のほとんどは彼が贈ってくれたものだった。
書いていて不思議だったのだ。何故生花が得意ではない私の家に生花だったものがあるのだろうと。
このnoteは絶対に見せてはいけない。

とにかくこれは、ただただ儚くて綺麗なだけの存在だと思っていた花のことを、少し好きになりそうな小さな予感の話。

おわり

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