夫婦喧嘩で小さな勝利を収める方法
夫が主夫になって5カ月目。
大根と豆腐のお味噌汁に突如大きめのウィンナーが一本だけまるごと混入されていたり、
焼鮭と納豆がおかずなのに「何となくお米は炊きませんでした」とのことで白飯がなかったり、
「直ちゃん、ちょっと休憩しない?何飲む?お湯?水?」
という選択肢だけが若干不親切な優しい声がけをしてくれたりなど、ちょっと不思議だなと思うことは多々あるが、夫は変わらず穏やかで、特にこれと言った問題もなく過ごしている。
それでも、一緒にいる時間が長くなった分だけ小さなピリつきも少し増える。
ということで本日は、私が実践している「夫婦喧嘩で小さな勝利を収める方法」をご紹介したい。
早速だが、一つ目にして最強と自負する方法がこちらだ。
① 鼻の下を凝視する
具体的に説明したい。
言い合いになった時は、まずは夫の話を聞くふりをしながら夫の鼻の下を凝視することをおすすめする。
すると夫は(もしかして俺、今鼻から何か出ているのか?何かついているのか…?)などと心をザワつかせ始める。
夫の場合、喧嘩中に「鼻の下に何かついてる?」などと聞けるタイプではないため、飲み物を取りに行くふりをしながらおもむろに席を立ち、その際に鼻をすすったり鼻をかむなどし、己の鼻付近を一通り気にした後、再度席に戻ってくる。
ヘタすると、手を洗う素振りを見せて洗面所などに向かうこともある。おそらく私に気付かれぬよう鏡で鼻近辺の確認をしているのだろう。
そこで、何もついていなかったことを確認し安心して帰ってきた夫の鼻の下をまた凝視する。
一瞬目を逸らしてから二度見したり、時折目を擦るなどしてから凝視するのもまた効果的だ。
ここまでくると、相手は苛立ちと不安を隠せない。
モノを言わずして相手を翻弄し、精神的に小さな勝利を収めるという意味ではとても効果的な手段だと考えている。
ちなみにこれを話すと「人が悪い」「底意地が悪い」と非難されるが、何を言うか。今に始まったことではない。
続いて二つ目。
② 時折、両方の黒目を顔の中央に寄せる
言い合いになった時は、まずは夫の話を聞くふりをしながら、時折、両方の黒目を顔の中央に寄せてみてほしい。
すると夫は(なんか一瞬寄り目になった気がするけど、もしかして俺の見間違いかな。それか視界の真ん中らへんに何か細いモノでもあって、それを見たのかも…?)などと心をザワつかせる。
夫の場合、いったん話を止めたあと「きっと自分の見間違いだな」と思い直して話を再開する。
そこで、今度は先ほどより長めの尺で両方の黒目を顔の中央に寄せ、決して夫の気のせいではないことを理解させる。
これまた相手は、苛立ちと不安を隠せない。
「こんな時にふざけるもんじゃないよ」と夫は憤るが、何を言うか。ふざけてなどいない。
本気で勝ちにいっているだけだ。
そして次が最後の方法だ。
③ 語尾に向かって声量が大きくなるタイプの伸びをする
喧嘩も終盤に差し掛かってきたところで「あー疲れた」とでも言わんばかりに全身で伸びをする。
その際
「うーーんぉぁぁああいっ!」
というように、伸びの途中から声量をMAXまで上げていく。
すると夫はビクゥッとし
「自分、ほんま何なん!?」などと珍しく声を荒げることもある。
何なん、も何も、私は語尾に向かって声量が大きくなるタイプの伸びをしただけだ。
ビクゥッとした夫を横目に「これは、それがしの伸びですが」などとクールに言い放ち、2階に上がるのみ。
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以上が、私が実践している夫婦喧嘩で小さな勝利を収める方法である。
・・・分かっている。
ほんと自分でも「自分、何なん?」以外の何でもない。
果たしてこれで小さな勝利を収められているのかどうか自分でも分からなくなってきてはいるが、それでも我が家はこれによってほぼ喧嘩が終了する。
そもそも喧嘩なんかで解決する課題なんか何一つないからこれでいいのだ。
もちろんこんなかわいらしい喧嘩ばかりをしているわけではない。
今流れているものが汗か涙か鼻水か分からなくなるような喧嘩をすることも少なからずある。(それもまた追々綴りたい)
ちなみに我が家では、喧嘩の大小に関わらず、子どもの前でもあまり気にせず夫婦喧嘩をする。
子どもの前では喧嘩をしない方が良いとも聞くし、我々もわざわざ見せようとは思っていない。しかし、程度や原因にもよるだろうけれど、夫婦喧嘩を見せることはそんなに悪い影響ばかりではないように思うのだ。
私の両親はよく私の前で夫婦喧嘩をしていたが、両親が喧嘩をしている姿を見て悲しかったという記憶は不思議なほどない。
早く仲直りすればいいのに、と思う一方で、もしどちらかがもう出ていく!と言いだしたら、私はどちらについていこう。もしかしたら私は転校するかもしれない。そうなったら今の学校では全然人気者ではないものの、転校先では誰かに私の隠されていた可愛さや才能などが発見されて人気者になっちゃうかもしれない。
そんな風に不要な心配と期待を抱きながらも、スヌーピーが描かれた赤いリュックにお気に入りの洋服や下着などをいそいそと詰め込んだりする、私はそんな子どもだった。
(ちなみに出て行く用のスヌーピーの赤いリュックの出番は一度もなく、私の両親は派手なケンカをするものの、こちらが若干恥ずかしくなるほど今も昔も仲は良い)
両親の夫婦喧嘩を見ていたからこそ、父、母という一人の人間について深く知り、両親の感情の動きや男女の感情の違いなどを感覚的に学んだように思う。
(そして、学んだことは親子喧嘩においても余すことなく活かし、父母を辟易させた)
傍から見たら今回は母が悪いのだろうけど、理屈では説明できない母の心の機微を感じ共感する部分もあったり、父の悪意のない何気ない一言の罪深さを感じたりすることもあった。
夫婦喧嘩には、人としての器の大小なんか構っていられないような、粘り気の強い葛藤がいたるところに散りばめられているように思う。
無遠慮な関係で起こる喧嘩だからこそ、テキストでは学ぶことができない、言葉では到底言い表すことができない繊細で激しい心の動きがそこにはあって、それを我が子が見逃してしまうのは惜しいことなんじゃないかとさえ思う時がある。
それに、共に生活する人がどんなことで心が揺れるのかということは、知っておいて損はないと思うのだ。
私も本来ならば娘と娘の友人が繰り広げる喧嘩の顛末を見届けてみたい。
例えば娘が友人とブランコを取り合っている時など、安易にジャンケンなどで解決させずに、どのような理由と言葉で「今ブランコを使用するのにふさわしい人物は自分である」ということを主張するのだろうと考えると、とても興味深いし楽しそうだな、と思うのだ。
と言いつつ、いざ娘たちのブランコの取り合い現場を目撃したならば
「こらこら、ジャンケンで決めなさいな!」
などといち早くジャンケン解決を提案するのもまた私だ。
ちなみに娘と息子は私たちの夫婦喧嘩が始まると
「ちょっとごめんね、長くなりそう?長くなりそうだったら、プリキュアの映画の方を見てもいい?音は小さめにするからさ」
と、冷蔵庫からそそくさとゼリーを取り出し、目を輝かせて聞いてくる。
「…いいよ」と言うと「よっしゃーー!!!」と雄叫びをあげてテレビに向かって駆けていく。
両親の喧嘩から心の機微を学んだとかなんとか言ったが、やはりちょっと、夫婦喧嘩については考え直したい。
おわり。
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