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悪魔が見えないモノとは?
お早う御座います、言靈師のフミコです。
冬至点を通過して陽に転じたとはいえ、まだまだ陰が強い世界ですな。
大晦日の31日に新月ですから、最後の陰を爆走している感じです。
まだまだ氣が抜けません・・・。
そんな中、一昨日見た動画内で銀ちゃん(山納銀之輔さん)が話されていましたが、いわゆる悪魔は、波動の低い人しか目に入らないのだそうです。
逆をいえば、悪魔には「光が強くて波動の高い人」は見えないのと同じだなと氣づけました。
「類は友を呼ぶ」
この言葉にもあるように、どんな世界でも大概は同類が引き寄せ合うことになります。
被害者を悪くいうわけではありませんが、昨今の凶悪事件においてもそうです。どこか共振共鳴する部分があるからこそ、接点が生まれてしまうのが宇宙の法則です。
身を守ろうといくら結界を張ろうとも、自分の中に穢れた部分があればそこに悪魔は目を付け入り込んで来るのです。
であるならば、結界云々よりも自分自身の穢れを祓い、整え、本来持つ光を放つ事のほうが大切とわかりますよね。
昔読んだ本で、発達障害の子供を持つお母さんが書いた内容を思い出しました。
注意欠如障害(ADD)の息子さんに朝のゴミ出しをしてもらう為、玄関の土間にゴミ袋を置いておくのですが、彼はそれが目の前にあるにも関わらず、毎回ゴミ袋をピョンと飛び越えて「行ってきます」しちゃうのだそう。
決して彼に悪氣があるのではなく、単に目に入らないといいます。
「え?ゴミ袋ってかなりの大きさですけど?目に入らないとは?」
普通の人には理解できませんよね。
穿った見方をすれば、捨てに行きたくないから、わざと飛び越えてると思われなくもないです。
けれどもそのような特質を持ったかたと暮らした経験があれば、それも理解できるのです。(←私も含む)
これは、決してわざとしているのではないとね。
単に視力が良い悪いではなく、目の前のゴミ袋が眼中にない。
すなわち興味関心が無いことには脳が感知してくれないので、存在すら認識できないのです。
銀ちゃんのお話にこれを当てはめますと、光が強い注意欠如障害と云われる息子さんは、闇でしかないゴミの入った袋とは、自然と接点を持たないようになっているのかもと思いました。
実に面白い世界になって参りましたね。
同じ空間に居ながらも、見えている人と見えていない人が共存している世界。
数年前から予告されて私も存じてはいましたが、実際こうなってみると皆それぞれが独自の地球を生きる世になったのだと実感しました。
私もあらためて、自分の中の闇を見直し、より一層光を放って参ろうというところです☆彡
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