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5「引きこもりのススメ」が頓挫した過去
引きこもりは一種の修行だった!
山ならぬ、おうちに引きこもった籠山行(ろうざんぎょう)。
新年号となった令和元年に、零(レイ)すなわちゼロになる私の修行が、ここから本格的に始まったのでした。
「ん?これってもしや、ご先祖様も応援してる?」
そう感じたのは、父方の祖父が14代目の住職だったからです。
私も子供の頃は、一時期お寺に住んでいたこともあり、座禅や仏教の漫画を見たりしていました。けれども祖父の代でお寺はお終い。
理由は祖父の「自分の子供達には厳しい修行をさせたくない」との思いからでした。よって、父の代からは核家族で無宗教で育ちました。(父は会社経営です)父は次男なので、お仏壇すら家にありませんでした。
一方の母方の祖父は戦争から戻り、老後の道楽の一つとして神道系の宗教を嗜んでいましたので、私には仏教、神道、そしてビジネスという3種の要素が入っています。
自分に厳しく、やたらと修行チックにしちゃうのは、14代続いたおじいちゃん達の修行癖が影響しているのでしょう。
そして今回、人生に疲れ切ってた私に、「山ならぬ家に籠って修行せよ。自分を整えよ。」と伝えてきているかのようでした。
そうとなったら、トコトンやろうと思いました。
ガチな引きこもりなんて、人生でそうそうあることじゃないですし、ゼロになって自分を立て直す期間にしようと考えました。
(つづく)