ひな
うつ病を患う人が、唯一人生を変える方法。 うつ病は100人いれば100通りの経緯があります。 ですが、根本は幼少期の育ち方。 ただ過去は変えられません。 変えられるのは今からの環境です。
今回は新社会人1年目にフォーカスしてお話します。 この時期も今の私を形成するにあたって重要な期間となってます。 この時の経験が、今の「仕事への向き合い方」に繋がってきているのです。 専門学校も卒業し、ご縁があって私は不動産業界へ勤めることとなりました。 大手の不動産会社だったため、私はそれがステータスでもありました。 まあそもそも、当時はネームバリューが全てと思っていたので、大手しか見てませんでした。 今思うと、このネームバリューが全てというのも「他人から見られる私」
前回の続きです。内容盛りだくさんなので、書いている私ですらもはや何を書きたいのか分からなくなってきています。 改めて学びました… 文章を書くときは、自分でも分からなくならないようにしっかりと構成を決めて書かないとだめですね。 反省です。 さて本題です。 この頃学校では転科という大きな選択をしていたタイミングでもありました。本来は、演劇部の有名な大学に編入したいと考えていたのですが、就職することを選びました。 「親が高齢でお金をかけられないと思ったから」 そういっ
更新が遅くなって申し訳ございません。こういうところもまただらしないところ…なのですが、今回は自分に正直に。書きたいことを書く、が目的ですので、どうぞ最後までお付き合いいただけますと幸いです。 それでは本題になりますが、①の続きになってますので、初めて見た方もぜひ前回を読んでからこちらを読んでくださいね。 また、こちらも貞操観念がめちゃくちゃなので苦手な方はどうぞスクロールしないでください。 それでも大丈夫という方だけ。 ここでは、「自分に厳しいように見えて過程に甘い。
ここからは専門学生時代です。ここから今までの『頑張ったフリだけで何もしてない真面目系クズ』とはまた違った『外面だけ良いタイプの真面目系クズ』なお話しです。 簡単に言ったら貞操観念が狂ってるお話しが続きます。苦手な方はスルーしてくださいね。 それでは... 私は園児の時から、女優という夢がありました。 私は、失敗するのが怖い、自分に自信がないという理由で一歩も踏み出せなかった部類です。 でもここが分岐点、最後のチャンスと思い、高校卒業後東京へ行くことに決めました。
今回は中学生、高校生の頃についてお話しします。 私は、この頃から「コンプレックス」にがんじがらめになっていました。 中学生。とにかく人に嫌われないようにする事で精一杯でした。 部活は取り敢えずの運動部。 運動部で痩せて可愛くなると思って、人が少なそうなソフトボール部に入ったは良いものの...基本的に補欠です。運動神経に関しては良くない方だと思うので、今考えると自ら茨の道を進もうとしていたんですね。 そして以前もお話ししましたが、父親に「ブタの貯金箱」と言われて育った私
みなさんはどこまで自分の幼少期をお話しできますか? 実は私は幼少期の細かい記憶がほとんどないのです。どこに行った、どういう子どもで、どんなことをしたというのをあまり覚えていなくて、少し大きくなってから教えられたものがほとんどです。 ただ衝撃的だったこと、ストレスを感じていたことは覚えているみたいですね。 少し家族についてお話しします。私の家族は少し訳アリです。 母と父は籍を入れておらず、父は他にちゃんとした家庭があります。本当の奥さんと子どもが3人。その子どもは私より
人より少しだけ真面目系クズな人生だと思ってます。 結果に厳しく、過程に甘い。 欲に忠実で、誘惑に弱く我慢が出来ない。 常に他人軸であるため、自己肯定感が最底辺。 と、思いきや自分がいちばん可愛く、なんの根拠もないけど自分はもっと出来る子だと思ってしまう。 他人軸というのも本当に人のことを考えてのこと...と思いたいところですが、自分が傷付かないための予防法なんですよね。他人軸って。自分で判断出来ない、人に自分を否定されたくないから。 だから他人から見たら真面目で、