カビンな感覚さんと理屈さんと寅さん(文末後に投げ銭100円)
だから、私は今、その過敏さを活かして生きられているのかなと思います。(本文中より)
過敏さを理屈で上手に使える人っていますよね。
芸術家とかそういうのでは無くて、
感覚や感性を、
理屈や計算だらけに見える世界で使っている人。
だから、過敏でも感覚的でも、
不幸とは限らないし、
辛いとは限らないし、
うまくいかないとは限らない。
逆に、名声を得ていたりしても、
幸せとは限らないですけどね。
私は、
その人がどんな状態でも、
自分で自分を幸せだと思っていたらそれでいいと思いますが、
はたから見て、
幸せそうに見えても、
「実はツライ…」ってあると思うのです。
私は五感を初めとして、
霊感もあり、
色々カビンですが、
「カビンで辛い」とはあまり思わないのです。
何故なら、
ずっとこれで生きてきたから。
カビンなのが「私の普通」だから、
自分に合った生き方を探してきたし、
長沼睦雄医師に「信じられないくらい過敏」と言われるまで、
過敏だという自覚すらなかったのです。
どうしてかを考えると、
母や祖母が、
「そんなこと気にしないでやれ!」って言ってくれたからだと思います。
今、母親にもなった視点で振り返ると、
そうとう、イライラする娘だったと思うんですけどね。
ごめんね。
いや、ホント、
気にしないでやらなきゃいけない場面って多いよ。
大人になったら判った。
一方、
過敏体質もみるカウンセラーとなった今の自分から見ると、
「母も祖母も、父も祖父も、結構カビンですよね?」
・・・って思うのです。
過敏さの性質はそれぞれ違うけど。
山の中で育ったから、
生きる上でのカンみたいのが鍛えられていたのかな。
だから、私は今、
その過敏さを活かして生きられているのかなと思います。
逆に言えば、
過敏さやHSPに関する本がこれだけたくさん出て、
世の中に広まって、
「過敏体質って大変ですよね」
ってなった世界で、
「過敏な自分、かわいそう」
「過敏だから無理」
「過敏だから辛い」
ってなっている人って、
別な意味で辛いだろうと思うのです。
自分で自分を可哀そうって思うのって、
必要な場合もあるけど、
足を引っ張る場合もあるから。
可哀そうでも、辛くても、生きて行くしかない。
カビンでも、過敏じゃなくても。
現代は「立ち上がらない理由」がいっぱいあるから立ち上がれなくなっちゃう。
昔、「寅さん」の映画シリーズがあって、
お正月はそれを見るのが当たり前みたいな頃があったのですが、
「辛いかもしれないけど、生きてりゃいい事もある」
的なセリフを、
渥美清さん演じる寅さんが言っていました。
多分、その時代って、
今みたいに便利じゃ無かったり、
貧しい人も多かったり、
今よりは社会制度も充実していなかったりしたんだと思うけど。
だからこそ、
「生きてりゃいい事もある」
って、
思わないとやっていけなかったんだと思うの。
そこから考えると、便利さと、幸せって関係ないね。
今は便利だからこそ、
誰にも自分だって知られずに、
昔よりは手軽に、
悪口言ったり、人を傷つけたり出来ちゃう。
それって、
悪口を言った人、
傷つける事を言った人自身が、傷つく世界だと私は思うのです。
「自分はこんなにひどい人間だ」と、
意識上は思わなくても、
無意識の中に、
静かに降り積もっていくんじゃないかな。
そこから、自分でも判らないうちに、
自分が蝕ばまれていく。
カビンさんは、
過敏だからこそ、自分の中の「毒」を感じ取り辛くなる。
自覚できても、出来なくても。
過敏さは良いでも悪いでも無くて、
――それを、どう使うか。
人は自分を守るために攻撃的になる事もあるけれど、
でも、
傷つけないで生きて行けたら良いなって、
私は思うのです。
自分のために。
難しい事だけどね。
寅さんみたいに、
「それを言っちゃあ、おしめーよぉ」
って、明るく言えたら良いな。
ちなみに私、
寅さんシリーズ、
多分、通しでちゃんと見たことありません。
なんか、スミマセン。
参考記事 「HSP」(2011年8月9日ブログ掲載)
わたもり仕事用メインブログ
「メンタルコンサルティングTerra 私の中の森」より
(当時は一主婦として書いていて、2014年からカウンセリング業開始)
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