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空の青とカビンさん

空ばかり見ていた頃がある。

人生の中で何度か、そういう時期があった。

晴れた日もあれば、雨の日もあり、
雲が様々な形となって、知らん顔で浮かんでいる日も、

風が強く、雲が意思あるもののように流れゆく日も、
置き忘れられたように、ぽっかりと浮かんでいる日も。

少しずつ少しずつ、うすい紅色が濃くなり、
夜の闇に色を失っていく時も。

その多くは、一人ぼっちの時だったと思う。
空の雲しか話し相手がいない時。

オホーツク海沿いの街に生まれ、僻地校で、同級生が一桁の人数で、
私は一人、浮いている人だった。

高校進学後は教室に生徒が何十人といる世界へ移っても、
都市部に住んでも、
大きな会社に就職しても、
大人になって繁華街へ行くような事があっても、

いつも場違いな世界にいるような気がしていた。

部屋中の人の音や匂いや感情などが、一気に押し寄せてくるようで、
感覚を遮断するためになのか意識を失うように眠ってしまう時があり、
大勢の人の喧騒は、私を孤独にするものでしか無かった。

それは、自分の感覚から逃避する為であり、
そうなるのは過敏体質だからだと、今の私なら判る。

自分が過敏体質だと知らない当時の私は、同じ場所にいて、違う世界に生きていたのだと思う。

そんな時、空の青は私の目を覚まさせてくれた。
そこには確かに青い空があり、それを見ている私がいた。

だからと言って、現実の世界に生きていられたかは怪しい。
空の青は、同時に、私の心を現実から逃がし、救ってくれていたのだと思う。

今、人様のご相談をお受けする仕事をさせていただいていて、
カウンセリングや占いの初めには、雑談のように天気や空の話をする。

そのたわいもない会話は、

過去や現在の私とは全く違う人達の筈なのに、
その人の気持ち、というより、
その方自身も言語化できていない心の状態を教えてくれる。

殆どの人は、ただの空の話から、心の状態を見ているとは思っていないだろうけれど。

空の青は、心を晴れやかにすることもあるけれど、
現実から目をそむけたくなる人の、
心の孤独を教えてくれることもある。

自分が「めずらしいくらいの過敏体質」だと知るまでの44年間は、
頻繁に空を見ていた。

「空を見ているしかなかった」のかもしれない、と、今、54歳の私は思う。

自分が何故うまく生きられないのか?
何故、人と同じように出来ないのか?
どうして、他者を不快にさせたり、傷つけてしまうのか?

何故、
一緒に笑い合う人がいても、孤独を感じるのか?

誰かと一緒にいるのが、嬉しいのに、居心地が悪いのも、

それが楽しさであれ、悲しみであれ、
自分の心に圧倒されて疲れるのも、

どうしてなのかと問う事も出来ず、
漠然と、自分がおかしいのだとか、悪いのだと思っていた。

自分がダメな人だからなのだと。

そして、それを言葉にして認めるのが、怖かった。

自分が「めずらしいくらいの過敏体質」で、
一般的な人とは違うと診断されてから、

うまく言葉には出来ないけれど、

「ああ、私は間違っていなかったんだ」
という感覚がゆっくりと、
私の世界を明るくし、温めていってくれた。

私は私で良いのだと、
感じた事はそのままで良いのだと、
間違っていないのだと、

そこにいて良いのだと、
許可を与えてもらったのだと思う。

だから、私に過敏体質だと診断してくれたN医師を、
「私に人生を与えてくれた人」だと、思っている。

同じ場所にいて、周囲の人とは違う場所にいるような私の感覚は、
人と違うだけで、
そのままで良いのだと。

広い広い空の下、足元に地面があると初めて感じた日のことである。


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