エスターより変なのかも
3月31日
「妖怪の孫」平日お昼で、ほぼ満員なのはよかったけれど、お客さんのほとんどが高齢者。
この方たちは、いわゆる反安倍ということで見にきているのかどうか。
映画のなかで安倍さんを長く取材している方が、安倍さんいわく政治は「やってる感」が出ていればいいんだよ、と言ったという。
ほんと唖然とする。
官僚の人たちのインタビューに濃厚に漂う虚無感。
全体を通して感じるのは、戦中から戦後、現代と、ここまで日本の政治は私利私欲に骨抜きにされ、ボロボロに食いつくされてきたのか、ということ。
憲法改正案もメチャクチャだし、統一教会との繋がりも無茶苦茶だし、なんだか掘っても掘っても、無茶苦茶でクラクラしてくる。
やはり、権力はとことん腐ってしまうのだな。
これは、どうしたらいいんだろう、本当に。
腐った彼らは自分たちに追求が及ぶのを恐れ、仮想敵をつくり危機を煽り、すべてを有耶無耶にして、煤塵に帰するつもりだろう。もしかしたら、本人たちはそこまで考えてなくても、地獄に向かっているようなこともあるだろう。
地獄に一歩、足を突っ込んでいるかもしれない、という僕自身の気分は、映画の最後、監督の気分とものすごく重なった。そういう気持ちでいる人がいることの安心はあったけど、では一体、どうしたらいいんだろう。
しかし、この映画もひとつのプロパガンダであると考えれば、この映画を全否定する人たちもいるのだろうから、むしろそのほうが多数であろうから、如何ともし難い。
4月1日
そもそも、維新とか新撰組とか、150年前の言葉を政党に使うこと自体が、もう日本はダメなんじゃないか、という気もする。
※
なんだか最近どこへいっても、まわりの人が関西弁で喋っている気がする。
4月2日
少子化の原因は、とやかく言われるけど、昔は貧乏子沢山。避妊などの知識、そういうことの遅れもあるかもしれないけれど、産業構造が家族ベースのものが多く、株式会社に勤めるサラリーマンが少なかった。だから、子供も一種の労働力、資産として、扱われるので、多いほうがよかったという面はあるかと。でもそれが産業構造がかわり、子供は資産ではなくなり、個人が個人の力量でどうにかしていく、そして個人の幸福の最大化ということを追求してもいい、となれば、それは家族も子供も減るよ。
個人の幸福、快楽を追求していい、もしくは、すべきとなれば、むしろ、家族や子供は個人の足枷でしかない。
それでも、いまだに、家族や子供が、イイものとして認識されているのは、個は死ぬからなのであって、やはりどこかで個体は滅びるのでDNAをなるべく残すべしってのがあるのかもしれない。
けれど、やはり近代社会は個人の快楽が至上価値になっている。それは、自分の感覚としても、そうで、それは当たり前だ。
自分という個人は、本当にただの一度しか産まれない、取り替えのきかない絶対的な存在なので、すべての個体は替えがきかない。個人こそ尊く大切にすべきもの。であれば、家族とか子供とか、ましてや国に個人以上の価値を見出すのは難しいかと思う。
なかには、自分という個人を国や歴史など大きくて長いものと同一化し、自己の拡大化を試みる人も多いが、それは結局のところ、個々人のなかでの成就はあるかもしれないが、死後にそれが引き継がれたとしても、当の本人は死んでいるし、僕にはなんら無意味にしか思えない。
そう思えば、人生、生きているうちにとことん楽しんでやれ、っていうのが唯一の正解なのではないかと思ってしまう。そりゃ少子化さもありなん。
4月3日
坂本龍一さんが亡くなった。
その死の間際まで気にかけて、出来うるならば阻止したかった神宮外苑の再開発。
その訴えに対する小池知事の返答の無情さもさることながら、やはり結局のところ思うのは、為政者や経済人、企業家、そういった人達の多くが、心の底では音楽などの芸術芸能を見下しているのだろう。
音楽は、その発生からして為政者や、金持ちたちがパトロンとなり音楽家たちを雇い囲い、その権勢を盛り立てる道具としてあったものだろうし、所詮、音楽は道楽。
いくら「世界のサカモト」だかなんだか知らんが、私は都知事だ、そういう気持ちなんだろう。
4月4日
ここのところ、今村夏子さんの小説を読んでいる。
すごく面白い。
現実世界を、小説世界で捉え直すことが、こんなにも豊かな気持ちにさせてくれるものか、ということもあるし、ある事象や気持ちが小説にされているものを読むことで、あきらかに昇華されるものはある。
普通に生活しているだけではなかなか昇華されない気分というものが、やはり小説や文章、音楽や映像、映画、そういった色々なもので、昇華されていく、消化されていく、実にありがたいことである。
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睡眠の質がよかったことなど、ただの一度もない。
4月6日
ムツゴロウさんも亡くなった。
中指をライオンに齧りとられた動画などがネットにあがっていた。あらためて、凄い。
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いいかげん、アルコールをやめられないのはよくない気がする。
4月8日
武田砂鉄さんの「父ではありませんが」を、読んでいる。とにかく二元論や、こうあるべきの押し付けや見えない圧力というものをネチネチと考える姿勢が好き。
為政者や発言力を持つ人たちが強化しようとする「普通」「正常」というものに対して、どのように抗うか。
そもそも「ふつうはなになにでしょ」と言いがちな人とは距離を置きたい。
4月9日
統一地方選が始まっているが、道府県議選での無投票当選が565人にものぼるらしく、これはいよいよだな、日本。
小学校の委員会のように、議員をやりたい人がいない。
それは、なにを意味するのか。
崩壊しそうな地方行政に取り組もうなんていう人がいなくなり始めているのか、そもそもいないのか。
そして結局、自公か維新のおっさん、おじいさんばかりが、当選していく。本当に、こわい。訳わかんない。金太郎飴みたいに、おっさんばっかり出てくる。悪夢だ。
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シャマラン監督新作「ノック」
唯一無二な奇想で映画を作り続けていて、ほんとすごい。
開始早々からずっと緊迫感。
それでも、やってきた4人が次々死ななければならないのは、人類の厄災をとめるための前段階、最期に選択をしてもらうために必要なことなのか、どうなのか、分からなかった。
わりと、この次々死ぬことの意味が判然としない。
黙示録の4騎士というのが、ナゾをとく鍵なんだろうけど、キリスト教わからないし、ピンとこない。
エスターファーストキル。
前作から、10数年経っているのに、同じ人がやっているのもすごい。
前作は、妹役の子の境遇がかわいそうすぎるし、お母さんが「この子は危険だ」といってもお父さんは信じてくれず、あげくに殺されちゃうとか、なかなかにつらいところがあったけれど、今回ファーストキルは、エスターがやべえやつ、というところから始まって、どうなるのかと思っていたら、入りこんだ家の母と息子がだいぶやべえやつだったという。
なもんだから、なんだか頑張れエスター!みたいな気持ちにもなる。
前作もそうだけど、中身が大人なのに、見た目が子供ということのストレス、大人の男と恋愛したいという欲求のかなわなさ。そういうところに、切なさみたいなのもあるけど、殺すのが躊躇なさすぎて、まあ怖いんだけど。