二人が暮らすための方法について(3/30)
「一時保護には微妙なケースですかねぇ」
保育園に向かう車の中で三島がつぶやいた。これから集める情報で危険度・緊急度が高いと判断されれば、児童を一時的に家庭から離し、児童相談所が保護する事態になることを懸念しているような口調だ。その言葉の裏に秘められた思いを汲み取りつつ、佐伯が答える。
「ケガの状態と家庭状況によりけりってところね、でも、最近の所長は安全策を取る方針だからその心積もりはしておいたほうがいいと思うわよ」
「一時保護所、今けっこうぎゅうぎゅうですよ」
確かに、佐伯たちが保護した児童の生活場所となる一時保護所は、いつでも空きは少ない、最近はその傾向がさらに顕著だ。一時保護と言いながら結構な期間をそこで過ごすことになる児童は多く、なかなか余裕を持った運営というのは望めない状況にある。
「ま、そのときは別のところを考えることになるわね。って言うかうちらの都合で保護をためらうなんてことをしたらそれこそ後でえらいことになりかねないわよ」
「わかってますけどねぇ……」
あまりエネルギーを感じないこの三島の嘆き節を批判することはできない。
児童相談所はいつだって過重労働気味、いや、むしろ過酷と言ってもいいくらいだ。国における財務省がいい例であるように、一般的に残業時間が最高レベルに達すると言われるのは組織全体の予算を担う財政部門、しかしこの県においてはそのさらに上を行くのが児童相談所だ。長時間労働なだけならまだしも、業務の困難性や疲弊度合いがその上に加わっており、厚生労働分野の部署としてあるまじき労働環境にあることは、この界隈では広く知られていることである。
先ほどの会議メンバーでは河原が11年目、佐伯は10年目のベテランだが、三島と平田はまだ2年目である。全体的に中堅職員が手薄な組織なので、2年目というまだまだ修行中といえる立場であっても最前線に出てもらうしかない。1年目でつぶれて異動や休職となる者がごろごろいる状態では。
そこへ持ってきて、一時保護にかかわることになると職員の負担はさらに増す。できることなら保護をしなければならない事態が起きないに越したことはない、それだけ児童の安全が保たれているということになるし、副次的に職員の心と身体のコンディション維持、そのほかの山積みの業務への注力が可能になるのだから。
カーナビの指示に従って大通りに出た。これから先はしばらく道を気にする心配はないだろう、そう思われるタイミングで運転する三島に声をかけた。
「どう、ストレスたまってない?」
「なんですか? 急に」
「あたしはたまってるのよ」
「先週の土日の出動のからみですか? 施設を脱走した中学生を探してたっていう」
「それもあるけど、この9年の累積債務っていうほうが大きいかもね」
先週末は妹夫婦が実家に帰省していたので、4歳と2歳の姪っ子甥っ子と遊んで癒される予定だったのだ。しかし、土曜の朝一で飛び込んできた件の事件の対応に追われ、なんとか本人を発見した後は施設に戻らざるを得ないことや、どうしたら施設で今後生活していけるのかなどを延々と話をし、なんとか納得させたところで疲れはピークに達した。渡すはずだった2人の誕生日プレゼントを持っていく余裕すら無く日曜の21時という子どものような時刻に眠りに落ちたのだった。
土日祝日には事件が起きないなんていう暦どおりの労働環境に児童相談所はない。携帯電話の着信音に心臓がドキリとしていた最初の1・2年が懐かしく思えるくらい、呼び出しには機敏な動作とのっそりとした気持ちで応答するようになってもう長い年月が過ぎている。
「長いですよね、佐伯さん」
「望んでるわけじゃ決してないのよ、異動希望は出してるんだから。後に続いてくれる人さえいれば……」
後輩に先を越されて「卒業」できず、今年も異動がないと知らされたとき、どうやって一年を乗り切ろうか、はたして乗り切れるのかという思考が浮かぶ。何かを「やる」というよりも「やりすごす」という感覚で日々を過ごしてきたのがここ数年の記憶だ。
「でも、佐伯さんがいなくなったら大変ですよ」
「何とかなるわよ、そのときはそのときで」
自分が特別この業務に向いているとは思っていない。長年の経験により、多少は他の職員より耐性がついているのかもしれないが、もっと意欲にあふれる才能のある人がいれば喜んで変わりたいというのも偽らざる気持ちだ。そのほうが自分にとっても、関わる家族や子どもたちにとっても望ましい結果を生むのではないか、いや、きっとそうだろうと人事異動の季節にはぼんやりと感じている。
三島を気遣うつもりが自分のグチになってしまったことにため息が漏れる。どうか深刻な事態でありませんようにという願いを込め、弱い雨の打ちつけるフロントガラスの向こうの景色を佐伯は見つめていた。