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公園遊具の超芸術性について

こんにちは。
私が子供の頃、デザインという言葉に対してモノの形や色を考える仕事、さらに言えば「儲かる芸術」の様な解釈をしておりました。手先が器用で絵を描くのも好きだった私は芸術系大学へ進学を決めますが、両親から油絵ではメシが食えん、頼むからデザインにしてくれと言われ、まあそうだろうなとデザイン学科に進学、今に至ります。

 デザイン業界の末席に身を置いて、日々の努めに勤しむうちに、この業界自体も大きく変わってきました。子供の頃の理解であったデザイン=モノの形や色を考える仕事、という図式は狭義のものとなり、デザインという言葉が意味する領域がモノは無論、無形のサービスであったり、社会実験の様なコト起こしであったり、森羅万象を指すものとして益々広がりつつある昨今です。

 そんな世相の中、最近気になって仕方がないのが「公園の遊具」です。強引に分類すると環境デザインの一環、という事になるのでしょうが、いわゆる問題解決型では無し、景観ランドスケープ、と言うと大袈裟すぎます。ファニチャーデザイン、というのが一番近い気がします。しかし、今回話題にしたいのは半分彫刻みたいになっている、いったいこれは何をイメージしたのだろうかと首を捻らせられる類の奴です。

 公園の遊具、と一口に言っても色々あり、中には機能的に本当に良くできてるなあ、というものもあります。写真は私がオランダにいた時に近所の公園で娘とよく遊んだ奴ですが、遊び勝手の良さから言っても大人も子供も楽しめる所も、非常によくできておりました。外観的にもモダンでカッコ良く、さすがはダッチデザイン、と感心させられます。

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 しかし、今回私が話題にしたいのはこれとは異なるタイプの、もっと作り手の情念というか妄念というかが形になってしまった様な奴です。特に古い遊具に多い、遊び勝手や安全性はきっとしっかり考えられているのでしょうが、形がヘンテコなもの、作り手の想いが勢い余ってしまった様なこれらの遊具には鑑賞の対象としてもなんとも言えない味があります。

 中には、これトラウマになるんじゃ無いか?というくらい奇妙なものもあります。鑑みるに、ただ滑り台を機能的に作ったのでは面白く無い、きっと子供たちだって愉快な形をしていた方が楽しいだろう、という作り手の親切心が良くも悪くも働いているのだろうと思います。作り手の愉快が子供たちの愉快かどうかはまた別の問題です。

 例えばこんな奴ですが、夕暮れの中これをじっと眺めていると異世界に迷い込んでしまったかの様な目眩を覚えます。バナナの皮というか豆の鞘というか、とにかく異様にオーガニックな形をしています。これを発見した時に幸い周りに誰もいなかったので、実際に遊んでみました。先広がりの滑り台や、真ん中の円窓など、子供心をくすぐる工夫を真剣に考えたんだろうなあ、という真摯なものを感じます。

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 この公園から少し歩くとこんな物体にも出会いました。自由すぎる形と微妙なピンク色が得も言われぬ幻惑感を誘います。周りが日常の風景なだけに、ここだけ空間が歪んでしまっている様な異様な存在感があります。曇り空がやけによく似合っており、なんだか乱歩の小説の様な悪夢めいた景色でした。

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 しかし子供たちは大変楽しそうにここで遊んでおり、実はソフトなトラウマになるぐらいがグッドデザインなんじゃないか?とも思いました。作り手が何か愉快なものを作ろうと、理屈では無い想いを込めると得てして不気味になったりするものですが、違う見方をするとそれは、夢なのか現実なのか分からない時間を演出してくれるものともなり得ます。そういう時間はきっと後々思い出になったりするのでしょう。

 最近、一番気になっているのは、この一人乗りタイプの跨り遊具です。普通こういうのはパンダさんであったり、ライオンさんであったりするものですが、これは極度の抽象化が進められています。一体どんな動物をイメージしたのでしょうか?最近あちこちの公園で導入されているのを目にしますので、そこには何か理由があるのでしょう。

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 ダーティな大人としては、きっとコストの関係で色んな動物は作れないんだろうな、とか、一つの形で全ての子供を満足させよという無理目な指令があったに違いない、などと邪推をするのですが、仮にそうだったとしても何故この形なのかが全くの謎です。意外とユニバーサルに大きい子から小さい子まで乗れるような、考えに考え抜かれた形状設計になっている、のかもしれません。

 先ほどソフトなトラウマになるくらいが良い、と書きましたが、これは少し心配になるレベルではあります。目鼻も口もない芋虫型の動物っぽい何か、というとますます乱歩っぽいですが、どちらかといえばエログロハード乱歩に属する領域のモチーフといえるでしょう。ちなみにこれに跨っている子供をあまり見かけません。

 その辺散歩の徒然に発見した遊具について、こうしたどうでもいい事を書き連ねている訳ですが、結局何が気になっているのかといえば、これらはデザインの範疇なのでしょうが、そこに作り手の良かれと思って込める作家性みたいなものがある事なのでしょう。軽く見過ごされていますが、こんなフリーダムなものが公共の場にしれっとある、という事に地味な感動を覚える次第です。

 とまあ、くだらないことを長々と書いてしまいましたが、ここまでお付き合いいただきましてありがとうございます。


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