「あー、善光寺さんって、7年に1度の御開帳があるんだってね。暮らしのひとつ。それはことばにならないですよね。うん。感じるものだと思う。終わってよかった。」 今年、前任から引き継いで初めて任された棟梁のことば。 NHK Dearにっぽん「棟梁(りょう) 御開帳うけつぐもの~長野 善光寺~」をみて。 https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2022051407073?playlist_id=0a530254-7bbe-4cd4-b491-e18d059
もともと、<人が生きてることに興味がある>子どもでした。2~3歳のころ、となりに寝ている1歳前後の妹のおなかがふくらんだり凹んだりするのをみて、自分が息をしていることに気づきました。 息をしようとしなくても息をしていて、でもしようとしてもできて、止めると苦しくなりました。胸に手をあてていたので、同時に心臓がドクドクしていることにも気づきました。でも息のようにどうにかすることができませんでした。 たぶん、その時、ドクドクが止まったら、息をしなくなっ
介護の現場の中で、利用者さんから日々<なにか>を受け取っている。 雑談をするなかで、ふとその人の生き方そのものを感じることがあって、それはその人の生きてきた証だったり、目前にある死ぬための居方のようにも映ることがあったり。利用者さんとの会話は、雑談だけど、長い人生の中の『今ここの話』のように聴こえるのです。<こんなふうに生きてきたの>の想いがつまった、『今ここの話』を伺えることはただただ感謝しかなく、それでも、うかがったすぐあとお逝れすることも日常。そんな一期一会の出会いで受