Hiroshi Watanabe
移住をきっかけに自分を見つめなおす作業中。その過程などを綴っています。
移住についての記事をまとめました。移住した時の動機や心境などを綴っています。
本を読んだら終わりではなくて、アウトプットすることが大事だと痛感。なのでここをできる限りのアウトプットの場として綴ります。
10年以上前に約1か月間、ヨーロッパ1人旅に出た時に書いた日記をまとめました。 何故だか理由は忘れましたが、当時憧れてたスペインから旅は始まり、最終地はオランダ。チケットを買う時に最終地は決めてなかったが、旅行会社の対応してくれた人が、料金変わらず何処から帰ってこれるか聞いた都市の中で、アムステルダムが耳に残ったから選んだのが理由です。 当時、中田英寿さんの著書、nakata.netに物凄く影響を受けている書き方になってます。 昔のブログに掲載したこの旅行記を久々に見つけてしまったので、ここにそのまま転記する事にしました。 情報や感想はその当時の内容のままにしています。
次男にとって保育園に通わせるのがいいのか?保育園はやめた方がいいのか?という問いにどうしても答えが出せない話を書きたいと思います。 次男は現在2歳半。保育園に通っているが、どうもいう事を聞けないやら、落ち着きがないやら、切り替えができないやらで、保育園で面倒を見るのに相当手をやいているそう。確かに、家にいても眠い時や空腹の時は特に機嫌が悪いと泣くは暴れるはでタチが悪い。魔の2歳をまさに体現しているような感じ。 そして、恐らくADHDでは?という診断も受けてはいて、2歳児の検
ネガティブなことをポジティブに。 今朝、Voicyのキンコン西野さんの朝礼を聞いていて新しい発想に会った。 ルパン(あの有名な泥棒です。)にダイヤモンドを盗まれた。ダイヤモンドを盗まれるのは大きな被害であることに間違いないが、その後の考え方が大切だと。 ルパンは盗みをした後に、必ず盗みを実行したという手紙を直筆で残し、そこにはちょっとしたイラストも入っていたりする。この手紙は、盗まれた時にしか生まれない、唯一無二の手紙になる。実はこの手紙こそがダイヤモンドより価値がある
移住した時から意識していたマイホーム。 移住直後は新しい土地に慣れたり、子供の世話したり、仕事に慣れたりと中々マイホームまで意識が回らなかったのですが、もう40歳も過ぎて、今住んでいる土地に不満もなく良いところなので、重い腰上げてマイホーム探しを本気で始めました。 いやー、思っていたよりも大変です。 まず土地探し。 移住先として人気のあるエリアでもあり、中々空き情報がない。あっても田舎らしからぬ高額だったり、辺境にだだっ広い土地だったり。 たまたま仕事の同僚が隣町に家
昨日、会社の新しいプロジェクトのミーティングで、約1年半振りに東京に来た。 暑いし、臭いし、うるさいし。でもオシャレ。 都会が嫌で長野に移住したけれど、時々東京に来て違った刺激、いや、むしろ日本のスタンダードの最先端を感じる必要があるなぁと痛感。 で、本題は仕事の話。 新しいプロジェクトで東京でミーティングをしたけれど、メンバーがすごかった。 決して規模は大きくない。でも多国籍で、世界を相手に仕事をしているチームだった。そして個人的には一番響いたのは、ポッドキャストで
この本のメインテーマではないかもしれませんが、 投げたボールを誰かにキャッチしてもらうこと リアルで話にくいからこそネットで発信することで練習する 繰り返して慣れることが大事 自分の好きを深掘りできるそして自己肯定感が上がる 最近、特に初対面の人と話すのが苦手になってきた自分にはSNSで発信することはメリットが多いことに気付かされました。 と、言うわけで、ここでの発信を続けようかと。
以前の記事でも少し触れたが、 今はライフリセット中の身。 と言っても、今までの人生を否定して全てを一から始めるといった事ではない。 自分の場合、特に仕事を言い訳にやりたい事を後回しにしてきた。 できる人は、仕事をしながらやりたい事を追求して人生を充実させているとは思うのだけど、自分にはできなかった。 でも仕事を言い訳に新しい事を始めなくてもいい。 心の中ではそれが楽だと思っていたのかもしれない。 学生時代、野球部だった頃も、 3年間厳しい練習に耐えれば楽しいこと
昨年3月に長野県に移住しました。 今回は仕事という観点から移住前と移住後の変化みたいなものを書こうと思います。 移住前はとあるメーカーで約10年ほど勤続。 時給950円スタートのアルバイトからスタート。 結婚する事もあって、この仕事で必ず出世すると決めて働き始めた。 時給950円→年間契約社員→正社員→管理職、と順調に出世することはできたし、年収も入社当時から比べて3倍近くまで増えた。 もちろん、やりたくない仕事もあったけど、出世の為には腹を括ってやり切って、個人
最近聴いているポッドキャストの番組、みんラボを聴いていると、自分の欲求についてよく考えさせられる。 自分が本当に欲していることは何か? 何に喜びを感じるか? 幸せになるにはまず自分がどんな状態でいることが幸せかを知っていないと幸せになるのは難しい。なぜならゴールがわからないのにひたすら走っているだけではゴールの達成感もわからず走り疲れてしまう。 正直、自分の事なのにこの欲求がわからない。 何をしている時に幸せを感じるのか? どんな時に居心地の良さを感じるのか? な
新しい生活を始めてから人生初の車通勤になった。 好きな音楽が聴き放題と思っていたけれど、往復で1時間半ほどあるので、何か時間がもったいない感じがしていた。 そんなときに同僚から、面白いポッドキャストがあると紹介された。 それがコテンラジオという番組だった。 コテンラジオとは国内外の歴史を面白く、かつディープに紹介している番組だった。 何気なく勧められたから聞いてみたが、これにドハマりし、コテンラジオだけでなく、関連番組のみんラボや超相対性理論という番組も聞くようにな
ライフリセットとはあまり聞きなれない言葉だけど、 今の状況を表すにはちょうどいいかなと思って使っています。 昨年3月に長野県に仕事も辞めて移住しました。 昨年で40才。子供2人にも恵まれましたが、仕事の都合で違う土地に住んでいて、そこはそこで大きな不満もなかったが、ここで一生生活するのもなぁ。と思い始めてから数年で決断しました。 仕事もそれなりの収入と地位を頂いてましたが、ここでも自分のやりたい事と仕事だから仕方ないと割り切って想いと違うこともたくさんこなし、どんどん
以前からやりたいと思っていたことのひとつに ウィンタースポーツがあった。 今年、長野県への移住した際に新しい仕事として選んだのは、スキー施設での仕事。 スノーボードの経験はあるが、経験ともいいにくい、人生で5回も滑った事もないのに、巡り合わせでこの仕事に就いた。 こうなったらまた再挑戦するしかないという環境に置かれ、やりたくても我慢していたことを実装させた。 何故スノーボード?スキーでも良かったのに。 その理由は2つ。 ひとつは勝手なイメージだが、スキーは型がしっか
まず、自己紹介します。 1981年生まれ。千葉県出身。 O型、末っ子、甘党、2児の父です。 特に秀でた才能もなく、平凡に学生生活を過ごしましたが、まわりと同じ過ぎる人生も嫌で、高校卒業後に初海外でアメリカに2年留学しました。 その後、アルバイトなど転々とし、貧乏1人暮らしを体験し 時給950円のアルバイトで入ったアウトドア関係の会社で、 何とか頑張って出世できた。 でも何か満たされないことが多く、特に感じていたのが、 「やりたいことは先回しにして今は耐える時期」
以前から何かしらで自分の事をアウトプットすることで 自分が成長できる、自分の考えがまとまると思ってはいたものの、中々踏み出せないでいた。 はじめるきっかけはいつも大きな出来事があるわけではなく、 いつも思っている事が、ジワジワと積み重なって溢れ出ると言ったパターンが多い。 とにかく、 インスタをアルバム代わりに、 このNOTEを日記代わりにしてアウトプットしていこうかと。 やってるうちに何か見えてくる事を信じて。
アムステルダムに来て6日目。もうお金をつかわず行けるところはほとんど言った。ただオランダといえば!ってモノを一つ忘れていた。 朝食を食べた後、ロビーに貼ってあった地図を見ると、そこにオランダ名物、風車を発見!ちょっと距離は離れてるけど、風車を見たかったので、どうせ時間はたっぷりあるし、のんびり歩いていくことに。たぶんアムステルダム中央部で唯一の風車。(たぶんね。) さっそくYHを出て、歩く。地図は持ってないが、記憶を頼りに風車へ向かう。途中ハイネケン工場(オランダ産の有名
この旅も残りあとわずか。あとはのんびり過ごそう... と思いきや、今朝は最悪!!この旅一番の不愉快な出来事が... それは今朝、午前2時~3時くらいに起こった。もちろんYHで寝ていたのだが、突然目が覚めた。何か不快な音が聞こえると思ったら、僕の真上のベットで寝ているインド人から発せられるい・び・き。今まで聞いたことのないような爆音。多少の騒音なんて気にならない僕だけど、笑い話ではなくほんとに寝れない。どーしようかともがいていると、別のベットで寝ていた一人もいびきで寝れないら
とりあえず、今いるYHはチェックアウトして、もう一つ少しはなれたYHへ移ることにした。そこが最後のステイ先になるかな。そういえば昨夜YHで日本人とちょっと話した。どうやら絵描きらしく東南アジアを周り、関西を経由してアムステルダムに来たらしい。ほとんど話しはしてないけど、なんか一方的な人だったな... それはさておき次のYHへ。もう3日もこの街を歩いたのだから、道順は平気だと思って大まかに確認して向かったのだけど、それが大失敗。この街は運河がおおく、道がかなり曲がりくねってい