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仙台が生んだアンビシャスガール「星良」、あるいは相馬黒光

はじめに

 この記事の直前に投稿した下記の記事の中で、相馬黒光に焦点をあててブログ記事を書いたことを思い出し、URLの引用ではなく全文を次のnoteの記事に投稿することを約束しました。

 以下、12年前にFC2ブログに投稿した記事の全文を、当時の記述のまま紹介します。ですから年号など分かりにくい部分が生じますので、そこにはを入れて説明します。

 なお、末尾の「さいごに」において、なぜ全文を紹介したのかについて理由を補足します。
 また参考までに相馬黒光の娘時代から晩年までの写真を下記に示します。サムネイルの中の親子の絵は、荻原守衛(碌山)が描いた相馬黒光子供です。

相馬黒光の写真
出典:wikimedia commons, public domain

仙台が生んだアンビシャスガール「星良」、あるいは相馬黒光(1)

 ここに一枚の女性の素描があります。「こたつ十題(その一)」
 描かれているのは、新宿中村屋の女主人、相馬黒光です。描いたのは、彫刻家荻原守衛(碌山)。スピード感ある、達意の線描が心地よい。

 昨年(:2010年)、10月ごろ、日曜美術館を見ていて、耳をそばだてました。番組は「碌山と“女”それは愛と悲しみから生まれた」というNHKらしくないタイトルです

 一応、主役は荻原守衛ですが、むしろ、相馬黒光が主役ではないかと思うほどの内容です。しかも、男女の仲を中心に据えていました。

 耳をそばだてたのは、相馬黒光が、仙台士族の出身だというナレーションです。

 星良(菱)、それが相馬黒光の娘時代の名前です。

 この仙台の地に来て、気がついたのは「」という姓の表札があることです。あのショートショート作家、星新一の父親、星製薬の創業者、星一と同じく星姓なのです。もっとも、星一は仙台ではなく会津出身とのことですが、仙台出身となれば、このブログで取り上げないわけにはいきません。

 碌山が愛の苦悩の中で死ぬまで、深くかかわったのが中村屋の女主人相馬黒光
 番組終了後、彼女の「黙移 相馬黒光自伝」(平凡社ライブラリー)を図書館から借りて読みました。

 こんな本ははじめてです。なんとも言いようもない気持ちになる本は。こんな女性が100年前にいたのか、仰天しました。

仙台が生んだアンビシャスガール「星良」、あるいは相馬黒光(2)

 私自身は、これまで相馬黒光を全く知りませんでした。けれどもwebで調べると、かなり多くの人が記事を書いています。知る人ぞ知るという人物だったようです。

 webの記事の内容は、若い芸術家たちとの交遊、、中でも人妻である黒光に対する恋に苦しみ、彼女を示唆する彫刻を残して若くして亡くなった荻原碌山に関する話が中心です。

 碌山だけでなく、彼女がかかわった若き美術家、学者達が、彼女への恋心を翻弄され、ほとんどが悲劇的な死をとげているので、どうしてもこのような男女のドラマに注目が集まるのはしかたがないでしょう。

 けれど、このようなサロンの女主人としての活躍だけでなく、中村屋の経営者の一人として重責を担いながら、官憲からにらまれている外国人達(亡命インド人、ボース、白系ロシア人のエロシェンコ)をかくまい、一方では五男四女の母親として、子供たちの運命を支配する。(9人の子をうみ、6人が早世。子供たちは母親の強い力に反抗し続ける)
 自身は、太平洋戦争の困難な時代も乗り越え、天寿をまっとうする。

 私にとっては、このような女性が明治、大正の世にいたということが驚きでした。当時の才色兼備の女性と言えば、美人薄命、なぜか、男女の関係では女性だけが世間から指弾され、早く亡くなるか、最後はひっそりと社会の片隅で終わるというイメージがあったからです。

 どうやら、このような固定観念は捨てなければならないようです。

 このような、どう形容してよいかわからない強靭で複雑な性格がどのように培われたのか、あまりwebでは語られていない、仙台から東京に出るまでの多感な少女時代、その生い立ちに注目してみたいと思います。

仙台が生んだアンビシャスガール「星良」、あるいは相馬黒光(3)

 ここでは、娘時代の黒光を、自身の著書、「黙移・相馬黒光自伝」と、宇佐美承著、「新宿中村屋・相馬黒光」の二冊の本から探ってみます。

 仙台の娘時代、彼女の人格を形成する上で鍵となる因子は3つあったように思います。

 一つは、学者の血と家の没落です。

 仙台藩で重職についていた偉大な祖父と頭の切れる祖母。祖父母の頭脳を受け継いだ良ですが、年々実家は没落していくばかり。婿養子の父はなすすべもなく、このようななさけない父をみて育った彼女が後に「夫の遺志を無視するかのように子を育て家を支配する」と、宇佐美氏は言い切っています。

 ただ、後年夫となる相馬愛蔵は、このようななさけない父親ではなく、相当な人物でしたので、はたしてこの説があたるかどうかは分かりません。
 けれども、家が没落する姿を見て育てば、結婚したならば、自分が家を支え、必ず家を栄えさせようという気持ちが育つのも無理はないでしょう。

仙台が生んだアンビシャスガール「星良」、あるいは相馬黒光(4)

 二つ目は、この時期に培われた宗教観、恋愛観、結婚観

 この仙台時代に、すでに将来の彼女の運命を決める宗教に出会っています。

 キリスト教(耶蘇教)です。

 星家儒家ですから、キリスト教は禁止ですが、実は婿養子の父の実家、多田家は隠れキリシタン士族だったといいます。

 その血のせいか、いとこの定吉はのちの仙台ハリストス正教会長司祭になり、伯母を始め多田一族は続々、ロシア正教カトリック教会の信者になっていきます。(ちなみに、仙台ハリストス正教会は、私の住んでいる(:この記事を書いた2011年1月当時)場所から、歩いて数分のところにあり、東京の神田ニコライ堂スケッチ対比のとして前から考えているのですが、残念ながら建物は最近の建築のものなので、スケッチするかどうか迷っています。)

仙台ハリスト協会

 その影響か、小学校のときから日曜学校に通い、仙台に教会を開いた「押川方義」の話に聞きほれ、「島貫兵太夫」という、彼女の真の理解者を得て、洗礼を受けることになります。
 そして、ミッションスクールの宮城女学校に進学する道が開かれます。

仙台が生んだアンビシャスガール「星良」、あるいは相馬黒光(5)

 仙台時代には彼女の恋愛観、結婚観を左右する重要な出来事がおこりました。

 それは蓮子の発狂です。原因は、婚約解消でした。

 すでに東京で著名人だった、黒光の叔母、佐々木豊寿(幼名、)の紹介で、豊寿が副会長をしていた団体、嬌風会会長矢島女史息子と婚約し、東京で花嫁修業をしていたところ、突然、理由なく仙台に返されたのです。

 蓮子は、ほどなく発狂します。自伝、「黙移」の中でが発狂し、戸外に髪振り乱して駆け回る様子を描いた部分は鬼気迫るものがあります。

 黒光は、の取り押さえ役を任されますが、「黙移」の中で「年の頃は十二、三才お下げ髪の子供の私」が、「見せつけられたものは、肉親の姉のこういう悲惨な姿」であり、「姉の狂える魂の叫びが胸に喰い込みました」と語っています。

 このあと、男性不信(姉の婚約相手)と社会指導者にある矢島女史の「」と「」の一面も著しい落差により社会の根底を疑う心の眼を植えつけられたと振り返っています。

そうして成長した私は極端に異性を憎悪し、またいささかこちらが強くなると相手を嘲弄したりして手のつけられぬ見事駻馬になってしまいました。これがため周囲の異性や夫を如何に苦しめ、迷惑をかけましたか、思えば恐ろしいことでございます。
 以上の文章を書いたのは黒光が60歳の時ですが、この中ですでに、後年の彼女の異性に対する態度が自身により分析されています。

 実は、ここでは詳しく描きませんが、恋愛観、結婚観に関しては、二つのエピソードを外せません。

 一つは、伊達藩の支藩の領主の孫で画家の卵、布施淡との交際です。
 この明治の時代に、布施の友人とともに3人で泊まり込みの旅行をしますが、現代ならともかく、当時大胆きわまりない行動です。

 そして結婚観に大きな影響を与えたのは、あの叔母佐々木豊寿信子国木田独歩との恋愛と親の反対に逆らった結婚です(有島武郎「或る女」のモデルだそうです)。これは、悲劇的な結果に終わりますが、黒光が、のちのちまでかかわっています。

この信子のその後の生き方は別の意味で興味深く、現代の女性にも、考えさせるところがあると思います。一読してみてはいかがでしょうか。

さいごに

 <発見された日本の風景>展の感想記事(その1)(下記)の中で、江戸から明治に時代が移る中で、洋画を目指した人々に武士階級出身の人が多いことに触れました。

 さらにあえて言えば、旧幕府軍の藩出身が多い気がするのです(今後定量データが必要です)

 当然のことながら、明治の時代になり、幕府の後ろ盾を失った人々が激動の時代に翻弄されながらも、生きていく中で、様々なドラマが生まれていきます。

 西洋画の習得を目指した人々も例外ではなく、有名人、無名の人の区別なく、必死に生きてその後の日本の歴史を作っていったことに感慨がわきます。

 そのような中で、中村彜のアトリエで相馬黒光の名前に久しぶりにまみえ、自分のブログで再読し、そういえば相馬黒光仙台藩の重臣の家系だったことを思い出したのです。ですから、<発見された日本の風景>展とは直接関係しませんが、黒光が多くの芸術家たちと交流したことを考えると、ますます明治初期の芸術家たちの生涯を知りたいと思うのです。

 現在、<発見された日本の風景>展の多くの作家たちの略歴を読み込んでいますが、特筆したい人物がいれば、また記事にしたいと思います。

(おしまい)                 



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