【毒親育ち】幼少期、寂しくて我慢ばかりしていた
こんげー、わたげの本音です。
今回は、自己分析をして
幼少期を振り返った結果、
寂しくて我慢ばかりしていたことに
気付いた話です。
自己分析をするにあたって、
自分史を作りました。
自分が生まれた年から
現在の年まで、
何があったかざっと書き出し、
時系列順にまとめたものです。
まだ0歳から10歳までしか
できていませんが、
そこで分かったことがあります。
それは、幼少期からずっと
寂しい思いをしていて、
なんでもかんでも我慢していたこと。
まず、寂しい思いについて。
私は、近所の人に預けられたり、
母方のおばあちゃんに預けられたりして、
母と過ごした時期が少ないことに
気づきました。
なぜ覚えているかというと、
私は解離性同一性障害という
多重人格者であり、
ちょうど5歳の人格が
当時のことを覚えていたから。
彼女に無理しないように聞き出し、
過去のことを知ったのです。
振り返ったとき、
「寂しかったが
それを我慢した」という
状況を知りました。
それは10歳まで続き、
今後も続いていると予想します。
『お母さんに甘えたかった。
だけど甘えられなかった。
だから、近所の人や
おばあちゃんに甘えた』
当時のことを知る
母方のおばあちゃんや叔父は、
私のことを「かわいそうだ」と
思っていたそうです。
だったら助けてくれよ、
母と一緒に過ごすよう促してよ、と
思ってしまう私は、
他力本願かもしれませんね。
続いて我慢したについて。
母に甘えたかったり、
母と遊びたかったりした
5歳~10歳の私。
しかし、それは
叶いませんでした。
理由は、母は私の相手をせず、
赤ちゃんだった妹たちばかり
可愛がっていたから。
母は言っていました。
「3歳までの子どもは可愛い。
それ以降は生意気で可愛くない」
ちょうど妹が3歳のとき、
私は5歳で、
近所の人やおばあちゃんの家に
預けられている歳です。
母の発言の通り、
私は5歳で生意気で
可愛くなかったのでしょう。
だから預けるような真似をした。
子どもの力では、
他人をコントロールしたくても
できないと、
どこかで悟っていたのかも
しれません。
だから、私は我慢しました。
それ以外の方法だって
試しました。
「私とも遊んでよ」
「私を見てよ」
「私のこともちゃんと愛して」
結果、母を刺激することになり、
怒りを買いました。
結局、私が求めていた
母からの愛情はもらえなかったのです。
寂しかった。
我慢していた。
その反動からか、
5歳、7歳、9歳の人格は
甘えん坊で遊ぶことが大好きで、
お兄ちゃん、お姉ちゃんの人格と
よく遊んだり甘えたりしているそうです。
人格同士でお互いの傷を
癒しているようです。
ほかの毒親育ちも、
幼少期寂しい思いをしたり、
気持ちを我慢したりしている人が
多かったのではないでしょうか。
そんな私たちにできることは、
自分と向き合って傷を
癒すことだと思います。
私も、彼らの傷を癒やせるように、
これからも投薬治療と
カウンセリング、
自分と向き合って得た結果を
発信していこうと思います。
今回はここまでです。
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。
それでは、おつげー。