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三春駒(みはるごま/福島県・郡山市)_20190130
日本各地の郷土玩具を写経のように、というにはユルい模写具合で張子制作をしているわけで、このニッチかつ細々とした個人的な営為にお付き合いくださりありがとうございます。
時折、SNSなどでも多く反応があったりと、とてもうれしいです。
胸の前の空間で、特に手のひらの上でさまざまな形を試行錯誤しながら、いろいろな土地の風土や歴史、作り手のこだわりなどを感じながら、ああでもなくこうでもなく(R.I.P. to 橋本治)つくる日々です。
創作張子も少しづつ制作していきたいのですが、まずは諸国巡りを軸に、自分の手が何を感じ、何を見るか、を楽しみたいと思っています。
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さて北海道からはじまった本シリーズですが、東北地方は残すところ岩手県と福島県を残すのみとなりました。
今回は福島県郡山市の「三春駒(みはるごま)」の張子をつくりました。
形はシンプルなのですが、たてがみを苦心して取り付けました。
黒の方の模様が本当は違うのですがそのままリリース。
こういう馬の郷土玩具は東北各地にあり、他にも青森県の「八幡馬(やわたうま)」と宮城県の「木下駒(きのしたごま)」というものがあるそうです。
祖母が山形にいて、たまに遊びに行くと毎度リサイクルショップと骨董屋巡りをするのですが、上記のどれかしらが必ずほこりかぶって陳列されているほど、ポピュラーな郷土玩具だと思います。
この郷土玩具で遊ぶ子は、健やかに成長をし、また疱瘡や麻疹は軽くすみ、子のない家では子宝に恵まれると言われ愛されてきました。
ちなみに日本で最初の年賀切手に採用された(昭和29年・郷土玩具シリーズ)郷土玩具だそうです。
三春駒は、中学生の歴史の授業で出てきた、平安時代の武官・坂上田村麻呂の伝説から生まれているそうです。
平安時代の武官・坂上田村麻呂が、793年に蝦夷征討の際に苦戦していたところ、どこからともなく現れた木馬に助けられたという伝説から生まれた子供の玩具「子育木馬」が発祥とされる。黒色の物と白色の物がある。
久々に字面を見ましたよ、坂上田村麻呂。大和朝廷にたてつく蝦夷(えみし)を討伐した征夷大将軍ですよね。なつかしい。
はじめから「三春駒(みはるごま)」と呼ばれていたわけではなく(「高柴木馬ーたかしまきんまー」と呼ばれていた)、馬産地であった江戸時代の三春藩の馬を「三春駒」と呼んでいたのが、いつの間にかこの玩具の名前になったそうです。
三春駒の発祥は、郡山市西田町(旧三春藩高柴村)にある高柴デコ屋敷で、木彫りからつくり続けているのは「彦治民芸(ひこじみんげい)」ただ一軒だそうです。
※デコとは木彫りの人形のことで木偶(デク)の別な読み方
ここは訪れてみたい。。。
今日はここまでです。
明日は岩手県の花巻人形か、もしくは節分が近いので、鬼に関する張子のどちらかにするか、間に合わなければ他のものにするか。。
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