5月30日 530(ゴミゼロ)の日
小学生の頃、みんなでゴミ拾いをしました。
大人になって、公園や河川敷のゴミ拾いをしました。
でも、ずっと不思議でした。
どこから飛んできたり転がってきたのだろう?
ごみ箱からあふれてしまったものなのかな?
じっさいは、そうではなくて誰かがその場に捨てていったものみたい。
自分が立派な人間だとは全然おもわないけれど。
ゴミ箱がないところにゴミを置く、ゴミを捨てるという感覚がいまいち分からないのです。
ゴミを持っていたくない、という感覚は分かります。
自分のカバンのなかの、自分のクルマのなかの、自分の部屋のなかの、ゴミ箱やゴミ袋以外の場所にゴミをポイっと捨ててしまうことをしないヒトでも。
公園の茂みや、道路の植栽には平気でゴミを捨ててしまえるヒトがいるんだとおもうと「いったいどんな気持ちで?」と不思議でなりません。
じっさいに、前を走っている自動車の窓から火が点いたままのタバコの吸いがらを投げ捨てるところをみたことがあります。
吸いがら入れの中身を道路に捨てるところをみたときは本当に驚きました。
中央分離帯に空き缶が落ちていることがあるのも、渋滞中にポイ捨てされたものっぽい。
ゴミをポイ捨てするのも、ゴミ拾いをするのも、おんなじ地域に住むヒトタチなのですよね。
ゴミ拾いの活動が必要なくらい、ゴミを捨てるヒトがいるってことなんだよなと考えると…なんだか複雑な気持ちになってしまいます。
私は、自分の家や部屋のなかの片付けは大の苦手だけど、公共の場に平気でぽいぽいゴミを捨ててしまうことができない感覚がちゃんとあるのは、子ども時代の530運動や親や地域にしつけてもらえたってことなのだとおもいます。
(きょうも一日、おつかれさまでした)