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7月14日 しんぶん配達の日
我が家では新聞を購読していないので、新聞にまつわる思い出は実家で過ごした頃のことばかり。
とはいえ、新聞紙はいまでもいろいろな場面で使われているので、ときどき実家から古新聞を分けてもらっています。
習字の授業のときに敷くものとして新聞紙が持ち物だし、うわぐつを洗ったり運動靴が雨でびっしょりに
なってしまったときなどは乾くまでの時間短縮のため新聞紙をくしゃくしゃに丸めて靴のなかに詰め込んだりします。
割れ物を包んだり、割れてしまったものを捨てるときに包み紙に利用したりしています。
新聞紙って、暮らしのなかで活躍する場面がとても多いのですが、それは家に古新聞があってソレの有効利用という位置付けだとおもうので我が家の利用方法はちょっとあべこべな感じかもしれません。
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現在70代後半の年齢になる私の父は、いまの私の歳より若い頃から10年ちかくのあいだ出勤前にしんぶん配達のアルバイトをしていた時期がありました。
いまでいう「副業」ですね。
おそらく父が勤めていた会社は副業禁止だったとおもいますけど、良い悪いは別にして、それでもやってしまう父のおもいきりと実行力はすごいなとおもいます。
よくバレなかったな…それとも見逃してくれていたのかな?
私たち三兄弟の部屋を増築する資金を捻出するためだったと聞いています。
フルタイムで働いて帰宅すると、家族の誰よりも早く寝て、家族の誰よりも早く起きて、しんぶん配達をしていた父。
暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も、台風の日も、淡々と毎日、しんぶん配達をしていました。
しんぶん配達を終えて帰ってきた父は、私たちと一緒に朝食をとったあと、しんぶん配達につかっていたオートバイに乗って、普通に会社へ出勤していきました。(じっさいには、自前の通勤用のオートバイをしんぶん配達にも使っていたのでした)
家族で泊まりの旅行に行くことは、長い休み期間のときでもほとんどなかったのですが、いまにしておもうとしんぶん配達のない新聞休刊日を狙って調整してくれていたのだろうなあとおもいます。
当時の父とおなじくらいの年齢になったいまの私が、もしも当時の父とおなじようにやってみろと言われても、とても無理!できないよ!…とおもいます。
しんぶん配達のたいへんさとありがたみをおもうとき、かならず思い出す父のエピソードなのです。
ちなみに父は仕事は完全に引退して、いまでも元気いっぱいに好きなことをして毎日動きまわっているみたいです。
かなわないや。
(きょうも一日、おつかれさまでした)
しんぶん配達の日
毎日、さまざまなニュースを届け、文字・活字文化の一端をになう新聞の戸別配達制度。この制度を支えて、早朝から雨の日も雪の日も新聞を定時に配達するために汗を流している新聞配達所の所長、従業員にスポットライトを当てたいと、公益社団法人日本新聞販売協会が制定。日付は1977(昭和52)年のこの日、日本初の気象衛星「ひまわり」が打ち上げられたことにちなみ、気象衛星が地球を回って情報をもたらすことと、新聞の配達が戸別に回って社会の知識、情報を提供することの共通のイメージから。