2月3日 古くさい(2020)

『無申告で19時まで職場に居た。私の働き方は古くさいだろうし、効率も悪い。自分を削っているのも分かっている。でもなかなか変えられない。代替案を考え、用意するべき時期なのだろう。』

2021/02/03
きょうは、定時上り!
そして、長男(11歳)の塾のお迎えへ…。
(待ち時間は車内でうたた寝…(^_^;))

さて、私は古くさいとか新しいとかは、じつはよく分かりません。(;^_^A

私にとっての「あたらしい」とか「なつかしい(ふるい)」はありますが。
(それは、私が体験した順番だとか、体験した順番どおりではなくて、あとになって気が付いた順番だったり、が影響し合って「あたらしく」感じたり「なつかしい(ふるめかしい)」と感じたりすることはよくあります)

当時の「私の働き方は古くさいだろうし」は、どこから感じたのかな?

たしか、なにか…「働き方改革関連法」とか、そういうのみたい。

でも…これって、関連法とか、古くさいとか、じつは全然関係なくって…

無申告」、「効率も悪い」、「自分を削ってる」が問題ですね。( ̄▽ ̄;)

だから、「古くさい」だけで片づけてはいけなかった…。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン。

…いまは…

「申告はします」、「効率は意識してます(良くなっているかは微妙)」、
「自分を削るのは、ひと晩~数日で回復できる程度までに抑えています」。

うーん、心意気だけみたい…。うーん、成長しているとはいえないですね。
(;^_^A

「ふるい」「あたらしい」ということで、さいきん感じることがあります。

これって、「感じている」部分は、完全に「自分」の感覚で…。

けっきょく、自分の見聞きしたものから、感じたり、体験したり、気が付いたこと、思ったことを「振り分け」ているんだろうなあ、っておもいます。

しかもそれは、「再振り分け」を何度も何度も繰り返し続けているみたい。

それで、「考えている」部分は、メディアや周囲の環境で見聞きする情報から、それは「あたらしい」らしいぞ、とか、もう「ふるい」らしいね、とかいう「周り」の感覚で。

この「感じている」部分と「考えている」部分がぶつかると面倒なんです。
(;^_^A

とか、面倒なことを考えはじめたりするのが私の面倒なところです。(^_^;)

でも、子どもたちと一緒にいると、面倒なことを考えている自分がばからしくなります。(良い意味です)

私にとっての「なつかしい」が彼らにとっては「いまどき」だったり。
(音楽とか、テレビゲームとかの場面で、そう感じることがおおいです)

彼らの「常識」が私にとっての「新常識?(「常識」「非常識」とかいう分類そのものが(私には)できないこと…)」だったりします。

私は、私が体験したこと、体験したことで知っていること、しか知らない。

彼らは、自身が体験したことがすべてなので、親父のことは気にしない。

私は彼ら(子どもたち)のフィルターごしに彼らの感覚を疑似体験して。

彼ら(子どもたち)は私のフィルターをとおして私の感覚を…気にしない。
(;^_^A

でも、それでいいや♪

さいきん、ちょっと分かるというか、感じているのですよね。( ̄▽ ̄;)

子どもたちが、私に合わせた会話をしてくれていることを…。

このさいだから、おもいきり甘えさせてもらおうとおもっています♪
(ユーチューバーとか、歌い手のことは、子どもに教わったほうがはやい)

自分でつけた「記事タイトル(古くさい)」にひっぱられて、大混乱です。
(^_^;)

あしたと、あさってのお仕事は、ちょっとばかし…自分を削らないと…

どうやら乗り越えられそうにないけれど。(欠員数に対して援軍はない…)

自分を削るのは、ひと晩~数日で回復できる程度までに抑えるつもり♪

ふるいとか、あたらしいとか、このさいどーでもいいっす。

私はすこし削られるかもだけど(欠損部分の再生には休日を充てます!)、
とにかく、わたしの知らないどこかの誰かのためになっているとしんじて、
ちょっとしたイベント期間だとおもっていってみよー、という心意気です♪

(またあした、おやすみなさい)

#日記 #お仕事 #古くさい #世代 #感覚