旧制中学校のバンカラ文化の残り香(批判編):自分を支えたイデオロギーを拒絶する
「実体験編」では福岡県立修猷館高校で1999年の入学時に経験した応援歌指導の具体的な内容についてまとめた。
「考察編」ではこれを修猷館独自の文化ではなく、旧制中学校を母体とする地方の高校の地元のエリートを再生産しその一部を大都市圏の大学に送り出すメカニズムの一部としての今でも生き残っているバンカラ文化なのではないかという議論をした。
前二稿ではできるだけ価値判断は抑えて議論をしたつもりだが、端々のニュアンスから分かるとおり、私は公立の学校で入学者全体に応援歌指導をイニシエーションとして課すべきではないと考えている。端的に、暴力性を伴う儀式を通過しなければ勉強にアクセスできないというのは公教育として相応しくないからだ。
【追記】公教育が暴力を使って学生の教育へのアクセスを制限するべきではないという点はもはや議論の必要すらないと思うが、2020年9月にポリタスTVで東小雪氏が宝塚音楽学校での経験について語ってて、本稿の議論と重なる部分が多いのでリンクを貼っておく。
本稿では単に学校の中で温存されている抑圧的な制度を批判するだけでなく、その制度と個人的な経験との間の複雑な議論をしたい。少なくとも私の場合、応援歌指導が嫌だと明確に認識できたのは大学教育を受けて、人権やジェンダーやファシズムについて学んだ後だった。結果的に、応援歌指導やそれに類する文化を明確に拒絶できるようになるまでに、この2回目の記事で書いたような旧制中学校由来の高校が与える恩恵を受けてしまっている。他に選択肢がなかったとは言え、この旧制中学校由来のバンカラ文化やそれに類する文化を身に纏い、それは残り香のように私のアイデンティティー形成から切り離せなくなってしまっている。そのときに、どうすればフェアな批判ができるのかというのが本稿の主要な論点である。
なぜ応援歌指導はやめたほうがいいのか
議論の余地もないとは言ったけれども、やはりなぜ応援歌指導を公立の学校ですべての新入生に課す形でやるべきではないのかは議論しておき、あらかじめ出てきそうな反論は先回りして答えておこうと思う。
まずそもそも根本的に暴力はよくない。ここで言う暴力とは、単に殴る蹴るという直接的な暴力がダメだと言うだけでなく、大声をだすことや大声を出すように強制すること、本人が望んでいないのにアスファルトを裸足で走らせることも含む。私は応援歌指導員が竹刀を持って威嚇していたかどうかは覚えていないが、Twitterで最近の卒業生の方が応援歌指導員が竹刀を持っていたと教えてくれた。だとしたら、これも十分アウトである。
暴力の使用を擁護する議論として、「将来の理不尽への大声をつけるため」という主張がされることがある。確かに世の中にはどうしようもない理不尽や暴力というものが多数あるものだが、必要なのはそういったものを受け入れることではなく、誰に相談すればいいのかやどうやって逃げればいいのかといった知識と対処法だ。実際、応援歌指導には問題企業が新入社員を洗脳する方法論と共通する点が多い。だとしたら、応援歌指導をすることで問題企業の洗脳を延命させるのではなく、何が問題なのかを言語化して生徒に理解させることの方が本質的に重要なはずだ。
「エリート高校に入学した新入生の増長を止めるため」に応援歌指導が必要だとする主張もある。しかし、前稿の議論に従えば「自治」は「管理の下請け」過ぎず、暴力的な手法で下級生を管理するという経験を植え付けることになるわけで、むしろそちらのほうが大きな問題である。仮に新入生が増長しているとして、そのことを諌める方法が暴力的手法である必要はない。
「応援歌指導は伝統だから」という理由で正当化する議論もよく聞く。しかし、伝統だからと言って不当な行為を正当化することはできない。奴隷制や女性差別や身分差別が伝統だからと言って維持できないのと同じだ。さらに、伝統の内実についての理解が十分ではない。旧制中学校は早くても明治後期、概ね大正から昭和初期に作られており、バンカラ文化には帝国主義や軍国主義と切り離せない部分が多々ある。だとしたら、伝統として持ち上げる前に、その伝統がどういう状況下で作られたかを分析し、その上で何を継承し何を廃止するのかを考える必要がある。
仮に応援歌指導を継続するとしたら、最低でもまず事前に学生に何をやるのかの説明をし、参加するかしないかは完全に自由であることを伝えた上で、参加を望む学生にだけ実施するべきであろう。実際、応援歌指導やバンカラ文化にSM的な享楽があるのは私も理解できるし魅力も感じる。SM的な享楽自体は別に問題はない。ただ、それをやるには事前の説明と同意が必要だろうというだけのことだ。
前稿で述べたように応援歌指導やバンカラ文化が地方エリートの再生産システムであるという仮説が仮に正しいとするならば、応援歌指導を自由参加にするという提案には反発があるだろうとは思う。自由参加にしてしまうとメンバーシップの選別機能を保てなくなるからだ。ただ、ごくごく素朴に、われわれがこれから向かっていく社会は、排除と同質性に基づいたメンバーシップ型の社会ではもはやないだろう。
残り香
応援歌指導は本当に早くやめた方がいいと思うのだけれど、私個人としてはこの主張をすることがフェアだろうかという思いもある。なぜかというと、応援歌指導に代表されるバンカラ文化は10代半ばの私の精神性に強い影響を与え、ある程度までその価値観を内在化して高校生活、大学生活を送った。結果的に、このイデオロギーから快楽も得たし、前稿で言及したような地方エリート高校の資源から利益を得たという点も否定できないのだ。
正直に告白すると、10代のときの私はかなり本気で「世のため人のために生きるのが正しい」と思っていた。まさに修猷館の館歌に「皇国のために世のために」とあるのを、「皇国はさすがにないだろう」とは思いつつも、かなり素朴に信じていた。そのために官僚になろうと思い、それだけを理由に他に何も考えずに東大の文一に入ったので、自分が何を好きかとか何をしたいかといった主体性もなかったし、そもそも自分がなにかを好きなものを選んでいいという発想がなかった。東京の大学に入って、大学の自由さや東京という都市の文化の多様さや経済的な豊かさに圧倒的なショックを受けたのだった。実際、東京で暮らした最初の感想は「東京の人はこれだけいろんなものがあるのになんでこんなに好き勝手に生きているんだろう」というものだった。たぶん旧東側諸国から西側諸国に移住した人間の心境がこんな感じだったのではないかと思う。
今だから言えることではあるが、東京という都市の文化力や経済力が目の前にはあっても自分の手には入らないことに対しての、嫉妬と羨望をともなった防衛反応として、自分の高校が掲げていたイデオロギーに寄り掛かったのだと思う。私は東京での学費と生活費を奨学金とバイトで全て自分で賄わなければならなかったので、バイトの隙間時間に必死に勉強をするという生活で、とても東京の文化や芸術を享受することはできなかった。一方で、当時から東京大学の学生の保護者の平均年収は1,000万円を超えるということが報道されていたのだが、実際に周りの学生との経済力や家庭の文化力の違いは如実に感じていて、その中で勝負をしないといけないのはフェアではないと感じていた。そうなると、自分の高校が掲げている「質朴剛健」といった非物質的な精神的価値に寄り掛かって自分を守ろうとしたわけである。
バンカラ文化の一部分はある程度まで東京大学のホモソーシャルな部分と共通する部分があったので、東京大学のホモソーシャリティーに適応するための道具としてバンカラ文化をすり合わせに利用したという部分もある。具体的に言えば、在学中に知り合ったばかりでまだ仲良くなっていない後輩を苗字で呼び捨てにしていた。まさに、応援歌指導で名前を呼び捨てにするところから始まるように、そういう方法で適応しようとしたのだけれど、これは完全に失礼だった。反省している。
高校生のときはジェンダーという言葉すら知らなかったけれども、人権やジェンダーや平等やファシズムといった概念について大学で少しずつ学んで、自分と社会の接点について認識し言語化できるようになって、徐々に「あ、自分は間違っているんだな」と理解し始めたと思う。自分の振る舞いのよくなかった点も少しずつ理解するようになったし、同時に自分に対する社会の扱いの不当さというのも理解するようになってきた。例えば、私は高校から剣道を始めて、高校の剣道部でOBがやって来ると無意味に突き飛ばされたりしごかれるというのが度々あった。当時から、そういうしごきはいやだし自分はしないけれど世の中にはよくある我慢しなければならないことなのだと思っていた。だが、どうやらまともな剣道の道場や一般社会ではそういった意味のないしごきは普通はないのだとだいぶ後になって気づいた。自分の体が若い時に身に纏った理不尽なしごきには耐えなければならないというようなバンカラ文化の残り香をいつまでもいつまでも発していることに20代をかけて少しずつ気づいていったのだ。
自分を支えたイデオロギーを拒絶する
結局、バンカラ文化のイデオロギーが、その中に正しくない部分が多かったとしても、自分の身を守るための殻として機能してくれたことは否定できない。とくにそれが防衛反応であったときに、そのイデオロギーを拒絶するためには丁寧な手続きが必要なのかもしれない。
10代後半から20代半ばにかけては、どうしても自分の苦しさにしか目が向かなかった。最近では社会的な注目を集めるようになったが、シングルマザー家庭の貧しさとか親が高卒であることの不利に関して20年前の日本社会や東京大学はかなり冷淡であった。例えば、東大の中にいると「年収600万でどうやって生活ができるの?」というような話題が出ることはたびたびあった。それは東大生のリアリティーではあるのだろうし東京都心で生活するために必要なお金の額は地方とは段違いだというのもわかっていたし、今にして思えば子供の東大生の背伸びという部分もあったのだとは思うのだが、私の母親は生前その半分の年収300万さえ越えたことがなかったので、率直に言ってこの種の話題が恐ろしかった。それでも、年収200万円代後半というのは、地方在住の高卒の学歴のないシングルマザーとしてはかなり頑張っている方だったはずで、そのことを当時の東大の同級生たちにうまく伝えることは自分にはできなかった。その中で生き残るために、バンカラ文化や東大のホモソーシャルな文化に適応しようとし、結果的に当時の自分はジェンダーという点で明らかに正しくない振る舞いをしていたと思う。
バンカラ文化や東大のホモソーシャリティーを免罪符にしたいわけではない。私の振る舞いや思慮の浅さの責任は私にある。しかし、かといって、では仮に時間を巻き戻すことができたとして、当時の問題に自分で気づくことができたかというとやっぱりできなかっただろうと思う。東京という住んだことがない町と大学という全く経験したことがない新しい文化に適応しながら、学費と生活費を自分で稼ぎながら4年で学部を卒業するというのは正直心身ともにぼろぼろになっていて、その中で十分正しく生きるというのは難しかった。東京の教育レベルが高い両親が揃っていて裕福な家庭に生まれて満員電車に揺られながら塾に通って中学校受験をしていた同級生たちにもその固有の苦しさや困難があったのだろうと思うのだが、自分が抱えてた苦しさを相対化し、彼らに通じる言語で伝えるということを少なくとも自分はできなかった。
ちなみにこの悩みはその後アメリカの大学の博士課程に進学し、そこで「first-generation college students(家族の中で大学に進学するのが初めての世代)」向けの授業にゲスト・スピーカーとして呼ばれてある程度解消した。アメリカでは移民としてアメリカにやってきた労働者階級の親のもとに生まれた子供たちが家族の中で初めて高等教育を受けることになり大きな文化的なギャップに不適応を起こすということが認知されている。それに対するケアとして、first-generation college studentsだけを集めた特別クラスを開講し、彼らの感じる困難を共有し解消しようという試みを、(全ての大学ではないしおそらく資金的に余裕のある大学に限られていると思うが)多くの大学が行っている。私は日本のことを話してほしいとゲスト・スピーカーに呼ばれただけで、私がその授業を受講したわけでもないしそもそも行ってみて初めてそういう趣旨の授業だということを理解したのだが、そこで「ああ、そうか。ここでは高等教育を受けるのが家族で初めてであることの困難を理解して助けてくれるのか。」と驚いたことを覚えている。若い時の自分がして欲しかったのは、応援歌指導のように理不尽に耐えることを説明もなく覚えさせることではなくて、こうやって直接的に困っている問題に対しての助けだったとその時初めて思うことができた。
自分の正しくなかった振る舞いは自分が反省するのは前提である。しかしすべてを自分個人の思慮の問題に帰してしまうと、結果的に自己責任論を過剰に撒き散らしてしまう。そうすると、個人を追い詰めることになるし、問題のある社会制度を温存してしまう。その点で、やはり修猷館高校の新入生全員に説明もなく暴力的な応援歌指導を強いる今の状況は良くないし、これに限らず人間の尊厳を傷つけて特定のイデオロギーに服従させることで教育をした気になっている制度は等しく問題がある。若者に教えるべきことは、社会の中の問題を回避したり対決したりするための知識や、自分自身の心身の健康を自分で守るための知恵だ。応援歌指導という組織的な暴力で私や多くの同級生を傷つけるのではなく、「自分の尊厳を守っていい」ということを教えて欲しかった。
応援歌指導の初日に「私はこれは嫌なので拒絶します」と言ってさっさと家に帰ればよかったのだ。本当にこんな単純なことが正解だったのだ。こんな簡単なことに気付くのに結局20年以上の時間がかかってしまった。
【追記】応援歌指導で行われていることは、多くの点でファシズムと共通点がある。ファシズムの危険性を教室で体験する授業を行っており、『ファシズムの教室』(大月書店、2020年)の著者である甲南大学の田野大輔先生の記事のリンクを貼っておく。
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