人と上手な距離が取れない
こんにちは。
わたあめちゃんです。
自分でちゃん付けするなんて、ふてぇやつだな、と思われるかもしれませんが、「ちゃん」までが名前です。
気軽に「わたあめちゃん」と呼んでください。
そう呼ばれると、きちんと認識されていると安心します。
私は文章を書く時、誰にともなく、読んでくれる貴方へ書いています。そういう認識で読んでもらえると、とても嬉しい。
今は朝5時を過ぎたところ。
久しぶりの深夜勤務が終わって帰路に着いています。
台風が近いので、気圧の変化なのか目の奥が痛いです。
今日はお客さまと、少し家族の話などをしました。以前、私には実家がないと書きましたが、その話など。
実家がない点に置いて、それは少しも哀しいことではなくて、私にはただの事実で、そのことに感情はありません。
寂しくないのかと聞かれることも多いけれど、それと同じくらい、誰かが一緒にいると不安になることもあります。
私にとって、「家族」は離れていくものだからです。
それは、もしかしたら、大半の人には哀しいことのように思えるかもしれません。
でも、実際のところ、事実として、私の家族はばらばらになりました。
つまり、1番近しい人間だったはずの、血の繋がった家族が離れてしまうのだから、まして他人は遠くにいる人なのです。
もしかしたら、他人だからこそ近くにいられる人もいるかもしれないとも思いもしますが、思いません。該当する人に出会ったことがないので、分からないから。
少々多感なお年頃に家族がばらばらになってしまった私にとって、しばしば、人との距離はひどく難しく感じます。
人が好きだと思います。
優しくされたり、笑顔を向けてくれる人を、とても好きだと思います。
ただ、好きだなと思うほど、この人はいつまで私を好きでいてくれるんだろうと、心のどこかで不安になります。
私の好きな人は、私を好きな人は、いつか私から離れていってしまうんだという気持ちがあります。ネガティブな感情かもしれませんが、人の気持ちは変わります。
もちろん私の気持ちも。
変わっていくことは、怖いけど、とても愛おしい。
だから私は人が好きだと思います。
思います、と書くのは、実はあまり自分で確信が持てていないからです。
でも、きっと好きです。
いつか私を好きではなくなってしまう貴方を、私は愛おしく思います。その時かなしいと感じても、出会わなければ良かったとは決して思いません。
意味のないことなんてないと思っています。
思っていることを文字に起こすのは、とても難しいです。
だって、全てを言葉にするのは不可能なんですもん。
もん。
好意を持って接してくれる時、とても嬉しく思っています。
ただ、それと同時に、その先の変化に不安や悲しさも感じてしまったりします。
どうして人の気持ちって変わってしまうんだろう。
と、たまには思います。
でも、自分の気持ちも変わるのだから、それは至極当然のことで、昨日の自分と明日の自分すら違うのだから、普通のことなのです。
常に矛盾が生じる、自分という生き物、他人という生き物を、とても愛おしく思います。
そんな生き物と、どう接したら良いと思う?難しくない?みんなすごいな。
誰か、「一人でも大丈夫」と、魔法をかけてくれないかなと思うのだけど、一人では生きていけないって識っているから、誰かが作り出した歯ブラシで歯を磨き、誰かが開発したベッドで寝るのだ。ほら、一人じゃない。
おやすみなさい。
起きたらもうこんなことを考えている私は、きっといないのです。
さよなら。
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