#98 老いとの関わり方
還暦間近だが、一回り上の先輩でもまだ現役で仕事をされている方がおられるが、たまにその方との会話で???となる事がある。
こちらの伝え方が悪かったのかとも思うが、別のストリーがその方の中で知らぬ間に出来上がっていて、そうなるとそれを否定するのに大変難儀をする。特に仕事上の事となると、金銭の問題にも関わるのでややこしい。
年長者に対して怒るわけにもいかないし、何度も繰り返し説明するのだが、一度思いこまれてしまうと、それを訂正するのが大変だという事だ。
そもそも老化と言う物は、脳であれ体であれ急に表れる物ではなく、段階的にまたは行きつ戻りつ、進んでいくものだと思うので、相手が今どの状態なのかが、簡単にはつかめない。
何度も同じ話を聞かせれ、その度に初めて聞いたように振舞えば良いのか、その話は何度も聞いたから分かっていますと言えば良いのか、悩むこともしばしばある。
そう言う自分も、この話前にもこの人に話したかな?と思いながら話している時がある。そういう時に相手のリアクションで、「あっ 同じリアクションだ! これもう話していたんだ!」と気づく時がたまにある。
相手は気遣いで、初めて聞いたように装ってくれたのだろうが、こちらとしては気づいてしまうと、急に恥ずかしくなる。
このように記憶が曖昧になっていく自分の老化を認識すると、体の老化現象を自覚した時よりも、先行き不安をとても多く感じてしまう。
老眼も性欲減退も神経痛も「まぁ 歳だから」とそれほど受け入れるのに抵抗は無かったが、記憶力の低下だけなぜだか受け入れ難い。
忘れてしまいたい辛い事は、覚えておきたい楽しい事より、数倍も多く今日まで経験してきたと思っているが、それでもその辛い事を忘れてしまえるのと同時に、数少ない楽しい事を忘れてしまうのが忍びない。
物事を忘れないためには、その事を何度も何度も繰り返し思い出し、アウトプットしていく、英語学習法の様な事が大切なのだとは思うが、自分の楽しい思い出を誰かに何度も聞かせるのも、相手には迷惑な事だとも思う。
とは言え、このnoteに、自分の楽しかった事を書き連ねてアウトプットするのも、何だか気が引けるし。(公開しなければ良いとは思うが、それでは味気ないし。)
だが、過去このnoteに書いた自分の文章で、愚痴の様な内容は読み返す気が湧かないが、少ないが楽しい内容は何度でも読める気がする。
それ程毎日楽しいことは起きないが、楽しい思い出を書くために意識をしてネタを探し、それをココに書くのは、将来の自分のためには良いことだと思った。
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