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#51 知らなきゃいいこと

色々な情報が簡単に手に入る現代、百科事典の存在意義は遙かに霞んでしまっが、私の子どもの頃、家に百科事典を買い揃えることが流行した。

百科事典は何でも書いてある、百科事典さえあれば、物知り博士になれて、賢くなれて幸せになれると信じていた時があった。我が家の百科事典はいっぺんに揃えるものではなく、毎月一巻ずつ家に届く「ディアゴスティーニ」のような物で、お金の支払いも一巻づつ、つまり分割払いの物だったという記憶がある。多分「あ」から始まって何巻か順に配達されて、完成するはずだったろうが、我が家では「た」の巻くらいから先は無かった。

多分私達子供が興味を示さなかったので、親がバカバカしくなって止めたのだと思う。

「わからない事があれば辞書を引け」などとよく言われた時代だったが、百科事典はどちらかと言うと、調べものに使う物では無く、知識を広げるための読み物として利用されてたような気がする。中にはそれを一生懸命読んでみんなから「物知り博士」などと尊敬される同級生もいた。


時は流れ、電子辞書なる物がつい最近までテレビショッピングのCMとして流れていた。しかしあっという間にインターネットに取って代わられ、パソコンからスマホにと情報取集アイテムはめまぐるしく変化している。


しかしその一方、知らなくてもよい事まで、知ってしまうという問題も起きているのではないか?と思う。

何事も知らないより知っていた方が良いという価値観は正しいのだろうか?

「知らぬが仏」と言う諺がある。他にも

「知るが煩悩」「見ぬは極楽」

「見ぬ物清し」「世間知らずの高枕」

「聞くは気の毒、見ぬは目の毒」

と知ることに否定的な諺が沢山ある。

これらの諺は、現在よりもっと情報量が少ない時代に作られた言葉であるので、現在に当てはめると、今すぐネット回線を遮断しなければ、どんなにひどい目にあうか考えるだけでも恐ろしくなり、テレビなど点けるのはもっての外と言うことになるのではないか?。

そうは言うものの、台風などの気象情報や、新しくできた法律の内容など最低限知っておかないと、生活に支障をきたす情報も間違いなく存在する。

しかし、それに不必要な情報を混ぜ込んで、自分達に有利な方向へ人々を誘導しようとする「我利我利亡者」がいつの時代でも存在することを意識しなければならないのが、面倒だなと思う。


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