#33 春の匂い
一日中雨だった今日、今年になって初めて春の匂いを感じた。
私はこのにおいを感じると強烈に思い出すことがある。
この匂い=キャンディーズ解散
毎年この時期この匂いを嗅ぐと1978年4月のキャンディーズ解散が必ず頭をよぎる。
半年程前の突然の解散発表の後、学校ではあたかも大事件が起きたように、この話題で持ちきりになり、ショックで学校を何日も休んでしまう者まで出た。それから翌年の4月の解散コンサートまで騒ぎは続いた。
多感な時期にこの出来事いや騒動は、確実に自分が大勢側には決して所属できない、へそ曲がり、変わり者、と思われても仕方ない人間だと、自覚させた。
それ以降もアイドルや女優など、決して自分では手に届かないと思われる所に存在する人間に関心を持つことができない。
これをもっと突き詰めると、自分に何らかの物質的利益をもたらせない者に、興味が持てないという事になる。
「いつも応援ありがとう!」とテレビ画面を通じて言われても、手元には何も届かない。そう、自分は言葉より、物が欲しい、誉め言葉よりも頭を撫でてほしいのだと。
そして、与えるより与えられたい気持ちが強い者なのだと。
先日ジャニーズの嵐の一人がとても好きだという、18歳の少女と話す機会を得た。彼女が言うには、「好きなタレントと付き合いたいなどという事は全く思わない、ただ好きなタレントを推している(応援している)自分が心地よいのだと。直接会うことも、話すことも全くできない相手を、その人が全く知らないところで応援していることに喜びを感じている」と言っていた。
まさにこの事を自分にはできないと40年以上前に自覚し、そして今でも出来ないでいる。
だからこの春の匂いを感じると、1978年キャンディーズ解散の時に感じた、孤独感が思い出され、それが体中にまとわりついてくる感覚になり、自分の性質が寂しくなるという流れになる。
当時普通ではない男の子は、40年以上たっても、へそ曲がりで自分が一番大好きなおじさんにしかならなかったという事なのだろう。