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0.ジブンガタリはじめます。
思い返せば、生徒会会長や学級委員長、部長に班長とか何かしら肩書きを持ちたがる学生時代だった。
文化祭も、合唱なら指揮や伴奏をしたし、劇ならキャストが当たり前。
目立ちたがり屋と言われれば、もちろんその通りだけど、「目立ちたい」ではなく「他人と同じは嫌だ」という感情が何よりも優位に立っていた。
他人と同じにならない‘’1人しかなれないもの‘’への憧れや執着心が強くて、結果的に肩書きを欲するようになった。
そうやって常に肩書きを持っていた私は、強かったなぁ。
大勢に見られる恐怖なんて感じていなかったし、時に聞こえてくる心無い言葉も気に止めていなかった。
なぜなら、大勢に見られているのも、悪口言われてるのも、‘’私自身”じゃなくて、その‘’肩書きの私‘’でしかないから。
中学生ながらにして、そう思ってたの、今思えばかなりひねくれてるし、拗らせてるんだけど、当時はそういう考えすら、他人と違ってて良いと思ってたんだよね。
でも、大人になって、学生時代の私が追い求めていた‘’1人しかなれないもの”って所詮、‘’(限られたコミュニティ内で)1人しかなれないもの”でしかなかったし、むしろ‘’1人は必ずなれるもの”でもあったということに気づいてしまった。
途端に、今まで欲してきた肩書き全部に価値が無かったように思えて、そんなものを欲してきた自分自身に、すごくがっかりした。
今度こそ、この世の中で私しかなれない何者かになりたい。
この世の中で私しかなれない何者か。
私がたどり着いたのは、‘’私自身‘’。
当たり前だけど、私自身には、他人は誰もなれないから。
私が私自身になるって、ちょっと禅問答じみてるけど、これがずっと私が追い求めていた答えのような気がするのです。
長くなっちゃったけど、私が私自身になるために、こんな風に自分語りをしながら自己理解を進めていくnoteを、ここに書き留めていきますよってことです。笑
最初だから張り切っちゃったけど、次からはもう少し緩く行きまーす!