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Q.最近どうですか?

A.休筆期間の回答にうってつけの質問がきたので、ダイジェスト版で書かせてもらいます。

まず最初に理由を申しますと、父が心臓の関係で入院していました。病名は「不整脈」。典型的な神経の誤作動でした。入院期間は他の検査も含めて5日間で、手術はカテーテル治療による誤神経の部分切除でした。

緊急入院ではなく2カ月前から計画された予定入院だし、内容だけ申せば至って難しくない手術なんですが、なにせ父は今年73歳という古希越え。そして父は生まれつき心臓にいくつか穴がある先天性疾患があって、一度は塞ぐ手術をしたのですが、それが私の生まれる前(33年以上前)で、しかも主神経の位置もあり全て塞ぐことは当時出来ませんでした。

当時の執刀医は「次回、手術が必要なときがいつなのか現時点では分かりません」とのこと。そして、その次回が今回でした。体力的に手術は若いうちが有利なのですが…。

そんな準備と不安の付きまとう手術日でしたが、結果は成功でした。

複雑でない施術だったから、何か突発的なトラブルさえなければ予定通りに進めば大丈夫でした。

また、この入院期間で最も印象的だったのが、病院内における付添人が1名だけということでした。

もちろんですが父の付添人は、父の次に通院歴を把握している母でした。

つまり私は、いざ病院に行っても1階のロビーで延々と待って、1階に降りた母から現状を聞くだけでした。

それならば自宅待機でも良かったのですが、その入院している病院が往復で数時間もかかる交通アクセスも複雑な場所だったから、根っからの方向音痴かつネガティブな性格の母の移動付添人として、やはり私の同伴は必要でした。

1階のロビーで待っている間、私は小説を読んでいました。

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』。

村上春樹の初期三部作『羊三部作』の第一作にあたり、1970年のオシャレさと儚さで作った透明なグラスを誤って落としたけど、幸いにも割れていないが本当は目に見えないヒビだらけになっていて、そんな不安を抱えたまま過ごした主人公の20代前半の或る8月の18日間を振り返る内容でした(比喩が合ってなくてもいい、それが純文学)。

168ページと初心者にも読み終わりやすい量だから、父の入院する日の待っているうちに読み終わりました。

手術の予定日である2日後(3日目)は二作目に当たる『1973年のピンボール』を読んでいました。これも192ページと読み終わりやすい量だったのですが、とある事情で読書の目が止まりました。

上階にいる母からLINEで「後で話がある」と来ました。

この一文で私の背中には言葉にし難い不安が襲いました。

えっ何なの!? なに何なの…!?

のんきに小説を読んでいる場合ではありませんでした。

父の手術前に別の急患による緊急手術で時間が押して、母が私の元にやってきたのは約5時間後でした。

病院から最寄り駅までのバスの中、母から告げられたのは「心臓周辺のCTスキャンを撮った際に、肺部分に白い影が見えている」とのことでした。

ここでいう白い影とは、「ガンの疑いがある」ことを意味しています。

他の乗客もいるバスの中で私は「えっ!?」と明らかな動揺をしました。入院した病院が総合病院ではなかったので「ガンです」と診断は下せないから、紹介状を書くから後日に別の病院で詳しい検査をする必要が出ました。

ガンかもしれないし、ガンじゃないかもしれない。

父には昔に心臓手術で胸部切り開いた古傷があって、もしかしたら内部にあるコブ(無害な腫瘍)かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

また目立った自覚症状がないから、もしかしたら治療可能な範囲内かもしれない。

すべてが白い影のように情報が不鮮明でした。

ちなみに、白い影が確認された1日目には「これから手術を迎える身」ということで、父を含めて家族まだ誰の耳にも入れない方向が採られました。

そして無事に手術を終えた3日目の私たち家族組、退院を迎える5日目の父本人組、そうやって順次に通知されていきました。

家族の説明よりも本人が納得するだろうという主治医の配慮により、退院日の朝に直々に詳しく説明してくれました。

そして退院日、5日ぶりにロビーで再会した父の様子は普通でした。

めでたい日だから本当なら浮かれ気分でもいいぐらいなのに、妙に大人しいのは、もしかしたら3日目の私のように内心は動揺していたからかもしれない。

そりゃ、やっと退院と思ったら別の病の疑いを告げられる。

もしも私だったら嫌気がさすような事態です。

帰り道の家族の会話はいつもと変わりなくて、それが平凡な毎日の延長ならばどれだけいいことか。

だけど、不整脈という非日常から肺の影という早期発見の奇跡を私は心から愛したい。

病院の前の道には眩しいトンネルのように桜が並んでいて、まるで私たちを祝うみたいに包んでくれる桜吹雪の中で私は改めて思いました。

そんな桜の道でした。

父が退院して早1週間。

変わったことといえば、入院生活の体内時計になった父に合わせて、私も朝に起きて夜に寝る生活に変わりました。

なので、閉店前のスーパーの割引シールに頼れなくなったので、食事のメニューが少し質素になりました。

そして昨今の情勢による石油値高騰で、生活必需品の運搬費も上がる関係で何もかもが値上げする事態は免れません。

おそらく小麦が特に高騰することでしょう。

パンに麺料理にカレーのルー、各家庭のお財布を圧迫するでしょう。

どんな仕事でもどうせ苦労するなら苦労と思わない仕事で苦労したいと思い、「ライター募集」のページいくつかブックマークして、募集要項が表示された画面の前でウロチョロ徘徊しています。

少し前に個人的に信頼してる人たちが主宰するラジオで私のお便りが読まれて、「文才がすごい」「理詰めで賢ぇんだろうな」「もはやコラム」と言われたことが「自分の長年貯めてきた知識と技術を信じてみてもいいのかな」と内心まだ迷っています。

《そのお便りが読まれた回のラジオ》

私はライターになっていい存在なのでしょうか…?

ライターと名乗っていいほど技量を持ち合わせているのでしょうか…?

「今日中に3000文字の記事を5本書け」、文量の変態にとって余裕のよっちゃんイカです。

人生のどこかで自分を信じてみたい瞬間がありますけれど、その瞬間が今なんだと思いたいのに、自分の信じた才能が否定されたら、「あんた才能ないから」と論理的に証明されたら、いよいよ生き方が分からなくなります。

別にライターになってもいいですよね?

ねえ、こっちむいて答えて??(自己才能メンヘラ疑心暗鬼マン) 

欲しい答えはもう決まってる、他者からのハートフルな肯定がほしい。

そして、あわよくば無条件にメッチャ愛されたい…!!!

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【あなたからのご質問、ノージャンルでお待ちしています】

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渡邉綿飴
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