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【#ext.|軍港の後はパンケー記】(2020年6月3日)|主婦杯2020:「お腹いっぱいで賞」受賞作、オモコロ杯2021(第8回)応募作

 この天地のあいだに新型コロナウィルスの暴動がなかった2018年10月11日。何のために、なんて理由はなく、横須賀の軍港を見に行くことになった。

 何故そうなったのかと訊かれると、「そこに軍港があるから」みたいな冒険家らしい発言をしてみたいが、実際は「横浜のパンケーキのついでに見に行く」という表現が正しい。

 余計に「どういうこと?」と思われるかもしれないが、要するに「父が以前ネットで購入した横浜のパンケーキ店のチケットの期限が近づいてきたのだけど、パンケーキだけのために出掛けるのも勿体ないので、どこか(横浜の)近場を観光してみるか」的な話になって、とっさに私が「潜水艦見てみたい!」と言ってしまったのだ。

 もうおわかりだが、横浜の象徴である横浜港にあるのは豪華客船か貿易船で、横浜の近場で潜水艦があるのは横須賀港である。

 たしかに昔から本物の潜水艦や護衛艦を見てみたかった。だけど、それは「いつか見てみたい」ぐらいの低温熱だったのに、この日の自分は何を思ったのか、たった同じ“横がつく港”だけで「(近くの港に潜水艦があるはず→)潜水艦見てみたい!」と勘違いしてしまったのだ。「とっさの判断ミスは血迷いの範疇」という言葉が本当だった(聞いたことない?そりゃそうだ、今考えたから)。

 残りの家族である父と母はもちろん「!?」な顔をしたし、潜水艦があるのは横須賀港だと当たり前に気づいている。だが同時に「わざわざ遠場の観光地を言うのだから、この子は相当見たいのではないか…?」と深く詮索したのか、「わ、わかった」と認可された。ちなみに、この辺で自分が勘違いしていることに気づいていた。

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 東京の泉岳寺駅から神奈川の浦賀駅までを繋ぐ京急本線に『汐入駅』という日米の横須賀港が近い駅(横浜駅から30分ほど)があり、その最寄りに海上自衛隊基地とアメリカ海軍基地に停泊する艦船たちを間近に見れる観光クルーズがあるらしく、それに乗ることにした。

 大きい雲の波打ちが僅かな閃光すら隠した午前10時、(一部省略するが)横浜駅の京急本線改札口を入って、私が勘違いした横浜港を駅のホームから見守りながら、私たち家族は南へと向かう久里浜線の三崎口駅行き列車に乗った。

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 偶然に乗った赤色の列車は急行や特急より上クラスの「快特」で、座席が新幹線みたいな進む未来を見つめる仕様となっていた。めったに新幹線に乗れない身としては大変気持ちが高ぶる光景で、許されるならばデジカメに収めたかったが、大混雑と社会マナーを優先させて、適当な座席に落ち着いた。その座席から覗く車窓には住宅街が田園のように広がっていたが、手に持っていたスマホや鞄に入れていた文庫に手を伸ばすこともなく、ただただ外の目新しさを見つめていた。

 横浜駅から快特3駅目の金沢八景駅で一旦下車した。目的の汐入駅が快特経過の駅なので、次の「普通」に乗り換えるためだ。家族揃ってホームのベンチで待機していると、目の前に時刻表では回送扱いの不思議な形の黄色い列車が止まった。その列車は小さい2両編成で、その間に屋根のない荷台車仕様になっていた。そう、京急電鉄の資材運搬用電動貨車『京急デト11・12形』であった。

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 まだ雑誌やネットでしか見たことなかったので、新幹線よりも貴重な対面を果たしたからベンチから大興奮でデジカメを構えたが、あっという間に発車してしまったので上の1枚しか撮れなかった。しかし、そのおかげで1枚に愛着が湧いて、今でも見るとニヤけてしまう。

 2分足らずで次にやってきた「普通」は先ほどと打って変わってガラガラで、先頭車両の運転席が見える窓には誰も立っていなかった。なので、わずか6駅間だが先頭の車窓を楽しんだ。各駅停車する毎にドアから潮の匂いが重ねて運ばれていき、車窓の外もだんだん海街らしくなっていった。

 汐入駅のホームに着いた昼前はほぼ快晴で、8月の終わりのような眩しい暑さを思い出させたから、着ていたジャケットを脱いで、腕まくりしたシャツ姿で潮風が吹く改札口を抜けた。

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 初めて降りた汐入駅は時間が止まったような古いアーケード商店街の入り口に建てられていた。私たち家族の立つ改札口からも分かるぐらい、港からの潮風がここまで吹いていて、アーケード商店街の至る部分が錆びていた。それもまた田舎の海街らしい光景なのだが、その商店街と反対側の港付近に大きいイオンがあったので、それもまた田舎らしい光景だった。

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 そのイオンの地下1階にあたる場所に今回の観光クルーズ『横須賀軍港めぐり』の受付窓口『汐入ターミナル』がある。

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 今回の詳しい案内は上のカタログに託すとして、私たちは前もって予約した人数分のチケットをターミナルで買って、乗る巡回クルーズが待機する場所に直結するトンネルをくぐって、クルーズ前に並ぶ長蛇の列に加わって数分後の出航を待った。

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 これは行列に待っている間に撮った写真なのだが、この時点で3隻ほどが見えていた。また上空にはカモメたちが飛んでいて、まるで遠海に旅立つ我々を見守っているようだった。……と書きたいところだが、普通に湾岸にあるベンチ付近に着陸し、そのベンチに座るお婆ちゃんから何か餌を貰っていて、たとえ大人数でも一切くれない我々は元から存在していない態度だった。

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 女性乗組員の案内の下、目の前に浮かぶ比較的小さめのクルーズに乗船した。今回はカタログの案内図を参考に日米の『横須賀軍港めぐり』をする。特にアメリカ海軍基地側は法律上ではアメリカ領であるので、事実上日本とアメリカの国土の淵を歩くようなものである(書いた自分でもよく分からない喩えだが、とにかく貴重な体験を今していることを伝えたい)。

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 ボボボと床から揺れるエンジン音と某ランドのジャングル走るクルーズ並みに陽気な女性案内人の解説アナウンスに囲まれて出航した私たちのクルーズが最初に見たのは、船から右側となるアメリカ海軍基地に停泊する自衛隊の潜水艦『そうりゅう』だった。クルーズからやや遠い位置だけれど、人生で初めて見た憧れの潜水艦に「鉄のクジラじゃ!!!」と黒船を初めて見た江戸時代の漁民みたいなリアクションを内心で取った。

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 一方、反対側の海上自衛隊基地ではオーストラリア海軍主催多国間共同訓練(2018年8月24日~10月10日)に参加していた護衛艦『さざなみ』が別地に向けて出航の準備をしていた。

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 解説アナウンスによると『さざなみ』ほどの大きな護衛艦の出航を、こんな海上から間近に見れることは大変珍しく、本当にタイミングが合ったからこそ後部内に積まれた折り畳まれた小型ヘリコプターを覗くことも出来た。

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 次に我々の前に現れたのは自衛艦ではなく、横須賀港を母港とする砕氷船こと南極観測船『しらせ』の後ろ姿だった。日本の南極観測員が現地に向かうときはこの船に乗っていくので、これもまた貴重な物が見れた。

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 ここ横須賀湾に停まっているが、この船の任務は南極観測のため管轄は防衛省ではなく文部科学省になる。しかし悪環境の極地に向かう技術が問われるため、乗船する研究員を除いて運転する乗員は極めて厳しい航海に長けた海上自衛官で構成されているらしい。その関係で都心に近い横須賀湾が母港になるとか解説のアナウンスで言っていた気がしたが、それよりも少しズームすれば内部の壁がハッキリ見えるぐらい近付いたことに興奮した。

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 また1年のほとんどを南極地帯で過ごす『しらせ』が横須賀港に停泊してるのは大変珍しく、1ヶ月も経たない内に再び南極に向かうらしい。これまでもこれからも貴重な観測に貢献してくれる『しらせ』に敬意を込めて、次の艦へとクルーズは去った。

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 それから5秒足らずで新たな自衛艦が見えてきた。護衛艦『おおなみ』であった。任務が護衛のため、先ほどの『さざなみ』と同じく普段は外国の海で活動しているのだが、現在は総合メンテナンス中らしく、その勇ましい風貌をバッチリと撮った。

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『おおなみ』の周囲には小型ボートに乗る海上自衛官が周回していた。ご苦労様です。

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 同時間にまた反対側のアメリカ海軍基地では再び潜水艦が現れた。先ほどのは日本の潜水艦だったが今回はアメリカの潜水艦である。なので詳しい名前はアナウンスに出たような気がしたが忘れてしまった。そもそも潜水艦は任務の関係上、あまり特定されないようカモフラージュも兼ねて造形はほぼ統一、番号も表に書かれていない。それが外国となると余計に分からないから、外見だけで潜水艦の名前を言い当てるマニアは生粋のマニアなんだと実感した。

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 そのままアメリカ側を見つめていると、異様に大きくカッコいい艦船に足場が組まれていて、その通りメンテナンス作業に入っていた。この荒れた要塞感が漂う艦船はアメリカ海軍のミサイル駆逐艦『ミリアス』である。

 分類で言うとイージス艦なのだが、その簡単な見分けに船体中央の操作室部分の外壁にある8角形のプレートがイージス艦の特徴である。このプレートが前側に対に1枚ずつ、後ろ側にも対で1枚ずつ、計4枚のプレートが付いている。このプレートの下にはビーム制御アンテナ型レーダー『フェーズドアレイ・レーダー』が搭載されており、4枚の全方向から得た情報を基に高度な情報処理・射撃システムにより200を越える目標を追尾し、その中の10個以上の目標を同時攻撃する能力を持つ。特に防空戦闘を重視したこの艦載武器システムを『イージス・システム』と呼ぶらしいので、豆知識としても覚えておきたい。

 また『ミリアス』はイージス艦でも初期に当たる相当の経験が積まれた現役艦で、人間で例えると数々の激戦地を乗り越えた銀髪ベテラン爺がタバコくわえながら銃のメンテしている状態に近い。映画だったら絶対カッコいいキャラなので、自分が撮ったなかで一番カッコいいアングルの写真を掲載した。ちなみに手前にいる小型船には上半身裸のマッチョなアメリカ軍人たちが乗っており、いかにも『ジ・アメリカ』の雰囲気がしていて、まるで自分が映画の中に入ったような錯覚に陥った。

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 その間も海の向こうには『さざなみ』が勇ましく渡っていた。まだ近くにいるように見えるが、最大ズームで撮ったので実際はかなり遠い。

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 各岸壁に必ず何かの自衛艦が停泊しているから、シャッターも高揚も止まらない!

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 これも海上自衛隊の潜水艦で、アナウンスで名称を呼んだ気もしたが覚えれなくて、ただ「鉄腕DASHのカレー企画で」的なことを言ったのはハッキリ分かったので、これが番組内で放送された話題の潜水艦『ずいりゅう』なのだと知り、番組ファンでもある私にとって最大級の盛り上がりを表現した。

 今こうやって改めて記事を書いている段階で、はたしてこれが本当に『ずいりゅう』なのか冷静になって調べてみたら、船尾の形が全く違っていた(『ずいりゅう』の船尾は先ほどの『そうりゅう』と似ている)。そうなると、この潜水艦が結局何なのか分からなくなったので、もし今読んでいる人の中に外見だけで当てられる潜水艦マニアがおりましたら、コメント欄で助言お願いします…。

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 隣り合わせにピッタリ並んだ2隻の自衛艦が見えてきたが、これらは今までの護衛艦とは少し役割が違う。まず左側の艦船は現地の海底地質、磁気雑音などの対潜戦に影響を及ぼす自然環境のデータ調査を主任務とする海洋観測艦『わかさ』である。

『わかさ』の調査対象は海底地形・海底地質・地磁気・水質・潮流(太陽や月の引力によって起きる変動な潮の流れ)・海流(地球規模で起きる水平方向の一定な海水の流れ)であるが、先ほど出てきた『しらせ』のような海洋調査・海図作成・海上工事の資料収集などを目的とした測量船とは違って、潜水艦の航行・機雷設置の調査・ソナー探知の音響状況など自衛目的に特化した海洋情報を収集する。そのため非武装艦である。

 反対にある右側の艦船は引退を迎えた自衛艦で、これから廃棄するために解体作業が予定されている。その証拠に船首部の横にあるべき番号が書かれていない。もちろんその気になれば個人で買い取ることも可能だが、そのためには中古でも数十億の資金・巨大な艦船を停泊できる巨大な港・海上自衛官だけが所持できる大変特殊な資格などないと購入は不可である。もちろんそんな条件を満たす人など滅多にいないので、予定通り解体される。

 ここまで来たら折り返し地点で、先ほどと少し違う航路を辿って出発地の港へ帰る。

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 私たちが乗るクルーズとすれ違いで海上自衛隊のタグボート『曳船99号』が通り過ぎて、(全然隠しきれてないが)その背後からぬりかべのような今までで大きく最も造形がシンプルな自衛艦がこちらを覗いてきた。

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 それは海上自衛隊の掃海母艦『うらが』であった(案内アナウンスが教えてくれた)。

 掃海母艦など初めて聞いたが、調べてみると掃海母艦とは「海域の安全を図るため、燃料や物資の補給などを行う艦船」のことらしい。国内外への災害派遣にも活用されて、その際は救援物資の輸送や被災者への支援など担っている。たとえば東日本大震災の災害派遣が有名である。

 また『うらが』のような『うらが型掃海母艦』は、機雷敷設艦機能を併せ持つため、機雷戦母艦としての一面も持つ。ただ『うらが』の場合は少し事情が違うらしく、名目上では自衛用に前甲板に62口径76ミリ単装速射砲がひとつ装備されているが、それは12年目に突入した際の後日装備とのことで、現段階ではまだ個艦での対機雷戦能力は備わっていない。ということで現時点では『うらが』は掃海母艦である。ああもう面倒くさい!

 あ、いや、掃海母艦に対して面倒くさいと言うのは失礼極まりなかった。これまで日本は数多くの地震被害を受けてきたが、2011年の東日本大震災をきっかけに東北沖の太平洋プレートは以前よりも大きく歪んでしまった。まだ直接的な関係とか言えないけれど、2017年の熊本大地震・2018年の北海道胆振東部地震など今や大震災は他人事ではない時代になった。つまり今は安全な私だって、いつどこで急に被災して、場合によっては『うらが』からの支援を受けて助かるかもしれない。互いが敬礼し合うときは向こう側ではなく、むしろこちら側からするべきだ。掃海母艦『うらが』および日々救援活動に向かう自衛隊一同に敬意を込めて感謝を申し上げます。

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 ……とか何とか色々と考えている間に『うらが』のパートはとっくに終了していて、視界の奥遠い先には海運部門の横須賀港が見えていた。あそこもまた日本と世界の出入り口である。あと手前にあるクレーン船(?)、ものすごく乗ってみたい。

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 一方、反対側ではこれまで見てきた自衛艦に比べて、ずいぶんとこじんまりとした船が停まっていた。もちろんこの船も海上自衛隊の船で、その任務もこれまでの見てきた船たちと全く違う。

 国内外の賓客を招いての式典や、海上自衛隊を訪問した諸外国のプレジデントの会議や会食、マスメディア関係者との懇親会などの「迎賓」を目的とした、非武装の特務挺『はしだて』である。

 日本の迎賓挺の歴史は意外と新しく、1964年の東京オリンピックのヨット競技を支援するため、改装した掃海船に競技の観覧に来た各国賓客を乗船させたところから始まる。その伝統なのか節約なのか、老朽化などで現役引退した船艇を歴代改装してきたのだが、この『はしだて』は当初から「迎賓」を特化させるために完全新造された初の迎賓挺である。そのため、伝統ある高級ホテルの大ホールのような豪華絢爛な内装となっている(あくまで会議や会食が目的なので通常の宿泊設備はない)。また迎賓以外の機能も備えた多機能艦艇として、災害派遣における医療支援や救難指揮などの場でも活躍している(その際は会議室が対策本部、大ホールが臨時の医療室となる)。

 もし自分が『はしだて』に乗る機会があるとしたら、それは『うらが』と同様に何か災害に遭遇した場合だと思う。当たり前だが、出来るだけ災害には遭遇したくない。そうなると乗船する機会が無くなるわけで、それはいくつもの奇遇と勝利が重なって自分が賓客として迎えられる未来、つまり自分が微塵の確率で生まれた「プレジデントになれる未来」を自分で潰すことでもある。不毛な若い芽は早くに摘んだ方が良いということか…。

「綿飴さん、政界進出するんですか?」

「いや別に、そういう予定ないけど…」

 やっぱり防災のためにも早くに摘んでおこう。

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 それは、まるで、生まれた大地への帰路に向かう我々の進行を遮るかのように右眼球の向こうから灰色の低山が唸りを上げて――とか何とか今までと違う書き出し表現に挑戦してみたけれど、普通に挫折したので普通に紹介すると、我々の右前に現れたのは護衛艦『やまぎり』であった。また『やまぎり』は平成になって初めて就役した護衛艦でもある。

 今回の執筆において、ネットで様々な艦船のデータを調べながら書いているのだが、この『やまぎり』には主要兵装として、

◆高性能20mm機関砲×2基
◆62口径76mm速射砲×1基
◆シースパロー短SAM8連装発射機×1基
◆ハープーンSSM4連装発射筒×2基
◆74式アスロック8連装発射機×1基
◆3連装短魚雷発射砲×2基
◆哨戒ヘリコプター×1基

が搭載されているらしい。

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 その中でも甲板に搭載されているイタリアの防衛企業オート・メラーラ製のコンパクト砲「62口径76mm単装速射砲」、その後ろにはアメリカ海軍設計の対潜ミサイル発射筒「74式アスロック8連装発射機」が巡回クルーズから見えた。

 この見えている装置の各解説を書くと、ここまで何十回も参考文献に使わせてもらっているWikipediaの丸写しを疑う膨大な量が必要となるので申し訳ないが省略させてもらう(本当に、もう、許してください…)。

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 先を進む巡回クルーズは『やまぎり』の正面まで近づいた。この勇ましい姿には極限状態までプレジデントを護衛し続けるSP(セキュリティポリス)の姿が重なった。憲法の関係上、その武器が使用されることはないが、その存在が側にいることで救われる場面もあると思う。これからもその姿を勤しんでほしい。

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『やまぎり』の停まる港のお隣の港では、暑さで白Tシャツ姿になった若い自衛官たちが護衛艦『てるづき』の洗浄作業をしていた。この『てるづき』、実は“3代目”である。

 初代『照月』は少し昔、第二次世界大戦中の1942年ソロモン諸島で行われた南太平洋海戦(10月26日)と第三次ソロモン海戦(11月12日~15日)に参加した駆逐艦である。そして12月11日、戦地であるガダルカナル島にてアメリカ軍魚雷挺から魚雷2本の雷撃を受け、『照月』は左舵後部爆破そして大火災、被雷30分後に乗員救助を先決した艦長の自沈命令により総員退去、ガダルカナル島北部のサボ島付近にて沈没した。

 その名を受け継いだ2代目『てるづき』は1961年9月1日、海上自衛隊の初代旗艦を勤めた。1993年9月27日に除籍、翌年7月14日の八戸沖にて航空自衛隊が発射した対潜ミサイルの練習標的艦として撃沈された。

 そしてまた、その名を受け継いだ3代目『てるづき』が目の前にいるというわけだ。現在の『てるづき』は伝統ある名称に恥じぬよう、多国間の海上演習や共同訓練など多くの場面に参加している。

 さて、話は戻って、今『てるづき』は洗浄作業中なのだが、解説アナウンスによると自衛艦の洗浄では汚れている部分・汚れていない部分に関係なく、まず全体的にホースからの真水を掛ける。常に海上にいるため、海水・潮風による錆び防止の意味もあるらしい。なるほど、納得。

 巡回クルーズに気がついた若い自衛官たちが笑顔で手を振ってくれたので、こちらも手を振ったら向こうは更に大きく振ってくれた。

「わああメッチャ良い人たち!!」

 好感度が上がった。

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 大きく手を振ってくれた『てるづき』から視線を左へ動かすと、行きで見た砕氷船『しらせ』が再び現れた。つまり、もうすぐ帰港で、旅の終わりまで目の前だ。

 自分と同様に船上のお客たちも少しずつ旅立ちの準備をしながら潮風の余韻に浸っていたとき、ここで解説アナウンスが再び『しらせ』についての情報を話し始めた。

「……? それ、もう聞きましたが……?」

 とりあえず、そう思う者の代表(自称)として改めて情報を聞いていると、今回の『しらせ』は本当に貴重らしい。何故ならば今の姿が大変綺麗だからだ。砕氷船は字のごとく、固い流氷を押し砕きながら進む反タイタニック式の船舶である。つまり普段は結構な損傷で、表面の塗装など見る影もないほど剥がれている。それが出航前のメンテナンスのお陰で全体が綺麗な塗装をされていて、ほぼ完璧に近い実物の『しらせ』が目の前にいるのだ。ちなみに出航日は事前に知らされても、このような母港に停泊している期間などは書かれていないので、そういう意味では幸運である。さらにそれをクルーズに乗って間近まで近づいた我々は大変ツイている。

 すれ違うような形で『しらせ』の大きい背中を背中で見送りながら、とうとう我々の巡回クルーズは最初の港に到着した。1時間ぶりの陸地は10月中旬の入りとは思えぬほどのジリジリとした日射によって、乾燥した地面から灼熱が蒸し返されて、汐入駅に降り立ったときと同様に去った夏の存在を再び確認した。船上の水しぶきで冷やされて心地よかった腕を捲ったシャツ姿だったが、中のインナーを通り越して自分の汗を吸い、逃げ場をなくすように体に張りついた。現段階では帰化熱より体内からの発汗が上回り、そしてシャツが中への日射を遮るのでセルフ温室だった。

 行きにチケットを買った『汐入ターミナル』では、受付の隣におみやげショップも併設されていた。

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 その中から私は、

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◆潜水艦『そうりゅう』を再現したポールペン(左端にある銀棒がペン部分)
◆護衛艦『きりしま』型のチョロQ
◆潜水艦乗員バッジのレプリカピンバッジ

を迷うことなく購入した。

 私的には現地限定のレアグッズを手に入れたことで高揚としていたのだが、ショップ前のベンチで座って待っていた父からは呆れた目で見られた。根本的に食事以外で出掛けることが嫌いな父はこういう記念品や記念写真とかに反対で、何なら今まで載せてきた写真にも、私が撮影する横で「バッカみたい」という表情をしながらスマホを見ていた。一方、父と性格が反対な母はそういうところに寛容だった。ここを去る前に記念に撮りたいので、父に懇願して、横須賀港をバックに自撮りで家族写真を撮った。父は笑っていなかった。

 これからパンケーキを食べるために横浜に向かうのだが、しばらくトイレにいけないので『汐入ターミナル』を併設するイオンにて済ませて、再び汐入駅に向かった。

 行きと同じように真逆で改札をくぐったが後ろから潮風は感じなかった。私はもう、海の男に染まったのか。いいや、くしゃみが何回も出るから鼻の奥でも錆びているのだろう。きっと駅構内に入ったことで日射が遮断されて、汗で濡れたシャツとインナーが冷却化されたせいだ。

 再び日射に当たるホームで数分ほど待っていたら横浜駅に向かう京急本線の「普通」が来た。乗ったドアの方向から見えていた窓の外の横須賀港は北に上るほど徐々に削れていき、とうとう海まで消えた。

 ネット予約したパンケーキ店の最寄り駅である桜木町駅に向かうため、横浜市営地下鉄との合流点である横浜駅へ移動する途中、金沢八景駅にて父から突如の下車命令が降りた。まったく想定してなかった事態に私と母は、各自持っていたスマホを普段は入れないジャケットのポケットに片付けた。

 ほんの2,3時間前に行きの乗り換えに一度降りた金沢八景駅だが、偶然にも長いホームの同じ位置に降り着いて、そして父がある提案を出した。

「お前ら、モノレール乗らない?」

「「モ、モノレール?」」 

 詳しく話を聞くとこうだ。ここ金沢八景駅を始発に『横浜シーサイドライン』という横浜の海沿いをメインに走る14駅間の短距離モノレールがあるらしい。それに今から乗って、その途中の駅から再び乗り換えて、そこから桜木町駅に行くとのこと。

「「それで予約の時間まで間に合うの?」」

 再び話を聞くと父のチケットは事前に店側に来店の日付を指定するタイプの予約ではなく、事前に店側が指定した期間に来店するタイプの予約らしいので時間の心配はいらない。証拠に注文前に店員に見せる予約チケット(スマホに転送した電子メール)を見せてくれた。

「「それさ、チケットじゃなくてクーポンじゃ…?」」

「んなことよりモノレール乗るのか!?」

「「乗ります!!」」

 横浜シーサイドラインの金沢八景駅は京急本線の金沢八景駅と構内が連動していないということで、一旦改札の外に出た。

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 午後3時を過ぎると日射しのピークは過ぎて、駅から5分ちょっと歩いた場所にある小さな湾岸『平潟湾』からは涼風が流れて心地よかった。これから乗車するシーサイドラインは、この平潟湾を横断する形で横の湾岸道路の上空から伸びて通っていた。

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 地上から駅直通のエレベーターで上って、他所より小さめな改札を通り抜けるとホームは両側ガラス扉に囲まれていて、その片方ではモノレールがガラス扉も開けて待っていた。これは偶然ではなく、ここが始発駅なのでホームのどちらかには必ず待っている形になるのだ。

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「モノレールに乗ったら先頭車両に行ってみろ」 

 同乗の父からそうアドバイスされて、試しに全車両の先の先まで行ってみると、なんと列車にあるべきの運転席がなかった。このモノレールはコンピュータ制御による全自動運転らしいので運転手も車掌もいない。そうなると最前列の席に座ると目の前はこうなる。

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 この遮るものがない流れる光景は小さい子供にとって、とてつもない興奮と感動を与えると思う。特に行きの京急線に高揚した私みたいな、かつて小さい子供だった大人にも響くものがあると思う。幸運にも周りに小さい子供もかつての大人もいなかったので、上のように何かシンボルが見える度に写真を撮っていた。

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 先ほどから端に見えている白いピラミッドは横浜南部にある水族館と遊園地の複合施設『八景島シーパラダイス』である。私も小さい頃に何度も行ったことがあり、遠くからあのピラミッド(水族館)が見えると、ムズムズと懐かしく感じる。そういえば今は当時と違って、大型水槽にジンベイザメがいると前に旅行雑誌で読んだから、このまま降りて遊びに行きたい気分だが、パンケーキの予約から逃げるわけにはいかないので「いつか行くから」と横の車窓からその勇姿を見送った。

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 モノレールは走りに走って、そして徐々に不安を抱き始めた。何故ならば私たちがどの駅で下車するのか、発案者の父から全く聞かされていないのだ。さっき逃がした駅なのか、今去った駅なのか、先に見える駅なのか、初見の私には見当がつかない。後ろを振り返って長いソファー席に座る父は相変わらずスマホ見ているので、“まだその駅ではない”と推測するが、だからといって不安が消えるわけではない。そして、とうとう、横浜シーサイドラインのもう一つの終着駅である新杉田駅まで着いてしまった。

 リュックを抱えながら席を立つ、最終の車内アナウンスが流れる、モノレールのドアが開く、駅ホームのガラス扉が開く、「降りるぞー」と父が言いながら外に出た。なにが「途中の駅」だ。がっつり最後まで行くんじゃないか。前もって教えてくれたら、もう少しシーサイドラインを楽しんだのに…。

 新杉田駅から併設のJR根岸線で6駅分を乗って、目的の桜木町駅に到着した。

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 桜木町駅は横浜を象徴する観光スポットのひとつ『横浜ランドマークタワー』の最寄り駅でもある。このタワーも小さい頃から何度も遊びに行った思い出深い場所だ。70階建て、高さ約296m、1993年の開業から長らく日本で1番高いビルだったのだが、2014年大阪の『あべのハルカス(約300m)』誕生で惜しくも2番目に陥落してしまった。それでも東京スカイツリー(約634m)・東京タワー(約333m)・あべのハルカス・明石海峡大橋(約298m)に続いて5番目に高い建造物であるので、その誇りはまだ健在だと地元民の私は思う。

 さて、ここからパンケーキ店に行くために周回バスを利用する。乗車時間は10分ちょっと。歩くにはちょっと遠い山下公園前のバス停を降りると目の前には、横浜を象徴するもうひとつのタワー『横浜マリンタワー(約106m)』が建っている。当初は灯台として建造され、また横浜の観光スポットして半世紀以上も活躍する歴史の代物だ。

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 実は昨年にこのマリンタワーに上ったのだが、そのときは集中的な強風で展望室がやや揺れていた。いくら先ほどのランドマークタワーより190m低いとはいえ、10年前の改築工事で最新の耐震構造になっているとはいえ、その恐怖度はとても比にならなかった…。

 目的の店はこのマリンタワーを目印に道沿いで徒歩5分にある、と父のスマホがそう画面で記している。ということで交通量が多い大通りの右側の道を歩いてみた。

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 それから本当に道沿いで5分ぐらい歩くと、何やらオシャレなハワイアンカフェ店『Eggs'n Things』に着いた。

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 そして私と母はアゴが外れそうなほど驚いた。もっと庶民的な店をイメージしていたのが、こんな「映え」そうなオシャレ上級者の店だなんて、しかもそれが70近い爺が予約したなんて、とてもじゃないが普段焼酎を呑んでる姿から想像できない…。外窓から店の中を覗いてもハワイの風を感じそうな可愛らしい内装で、その内装にピッタリな若い女子たちが楽しそうに食事をしていて、玄関扉の奥では我々家族を見つけている店員がメニューを持って迎えるスタンバイをしている。正直こういう店には馴れていないけど、覚悟は整った。よし、入るぞ…!

「あーちょっと待て」

 後ろからスマホを見る父が止めた。

「ここ何て店名?」

「えーと、『Eggs'n Things』だね」

「んじゃここじゃねぇわ」

「「ええぇーーー!!?」」

 再び私と母はアゴが外れそうなほど驚いた。父のスマホに記された店名を見ると確かに別の名前であった。危うく違う店に入るところだった…。そしてわざわざ玄関前まで迎えに来た店員からの豆鉄砲をくらった表情が申し訳ない…。

「じゃ、じゃあ、その店はどこなの?」

「さあ、知らん」

 これ以上訊いても仕方ないので、今度は比較的地図が得意な私がスマホを見ながら案内することにした。こちらが凡ミスしたせいで気持ちに背くことになったので、「また改めて来店します」と心の中から謝罪した。

 まずは目印となるマリンタワーまで戻ることにした。

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 さっきは右に進んだわけだが、どうやらそれが間違いだったらしい。スマホの地図では隣の左の道を指しているので、今度こそ正しい道を進んだ。

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 まっすぐ。

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 まっすぐ。まっすぐ。

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 ひたすらまっすぐ。

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「いま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」ーー『赤毛のアン』L・M・モンゴメリ(翻訳:村岡花子):新潮文庫

『赤毛のアン』で重病になった養母マリラのために進学を諦めるアンが話す「道の曲がり角」とは犠牲になる人生の意味で、決して道路案内のことではないのだけど、あの言葉を思い出すような先が見えない曲がり角にてーー。

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 あっ。

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 やっと到着した。

 こここそ目的のパンケーキ店『Cinnamon's Restaurant 横浜山下公園店』である。実はこちらも大変オシャレなハワイアンカフェなのだが、先ほど違う店に対してリアクションしたこと、ここまでが長い道のりだったからこそ安堵したこと、それ故に私たちは「ここ…なのね…ハァ…ハァ…」と引き出しが空っぽになってしまっていた。

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『Cinnamon's Restaurant(以降シナモンズ)』はハワイのオアフ島に本店のある本格ハワイアンカフェである。シナモンズはハワイで最も権威のあるグルメ大賞『ハレアイナ賞《朝食部門・金賞》』を2年連続受賞したハワイアン料理の有名店で、ここ以外にも表参道、ワイキキに出店している。甘い香りのパンケーキやシナモンロールはもちろん、エッグ・ベネティクト、ガーリック・シュリンプ、自家製ローストビーフなど本格的なフードメニューも充実している。

 そんな有名店の料理を今から食べるんだ。そう意気込みながら「予約です」と伝えた店員に案内されて、上の左下写真にあるスクリーン下の一番奥のテーブル席に座った。まもなくしてお水とおしぼりが運ばれてきたので、父はスマホのチケットを店員に見せた。

「はいこれ、予約のチケットだけど」

「はい。クーポンですね」

 やっぱりクーポンだったか。店員がそう言うんだから間違いない。思った通り、父が少し不機嫌になったので、余計に私は慌てた。

「さ、さあて何食べようか」

「……どういうのあんの?」

「まずパンケーキ食べにきたからね、でもお腹減ってるからフード系を食べたい気もする」

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 この父のチケットはメニューにある「食事1品(フード・スイーツ関係なく)+本格ハワイアンコーヒー」が1セットで対象(×家族分)なので、私たち家族は豊富なメニューを見ながら、あーだこーだ話し合い、そして、ある疑点へ辿り着いた。

「「「そもそもエッグ・ベネディクトってどんなん?」」」

 いくら流行に疎い私でも名前は聞いたことはある(カンバーバッチの印象が強いけど)。でも実物を見たことはない(実物のカンバーバッチも見たことないけど)。たとえ手元のメニューに写真が載っていたって、それはいつか読んだ雑誌と条件に変わりない(映画で見ようが雑誌で見ようがカンバーバッチの条件に変わりない)。つまり私はエッグ・ベネディクト(・ティモシー・カールトン・カンバーバッチ)について何も知らないのだ。

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『エッグ・ベネティクト(Eggs Benedict)』……イングリッシュ・マフィンの半分にハム、ベーコンまたはサーモン等や、ポーチドエッグ、オランデーズソースを乗せて作る料理。

 今やネットで検索すれば知りたい以上の情報が簡単に得られるが、その得た情報はリアリティ(現実みたいな体験)であってリアル(体験した現実)ではない。だからこそ目の前でリアルが味わえるときは迷わずに飛び込むべきなのだ。今がそういうときこそリアルを注文すべきではないか。

 まあ、これは流れのノリで作った後付けの三文議談だが、現に私たちは本音を話せばパンケーキを食べる心境ではなかった。午後4時過ぎの現在、家で遅めの朝食をしてから外出して、お昼は横須賀でずっと艦船巡りして、おやつの時間はモノレールで横浜まで移動して、そして私たちはここにいる。ものすごく腹が減っているのだ。ものすごく遅れた昼食をしたいのだ。そこに来て『エッグ・ベネディクト』という空腹にも時間にも都合が良さそうなメニューがある。幸運にもエッグ・ベネディクトもチケットの対象だ。スイーツを犠牲にすることでフードが得られるのなら、私たちに二言はない。

「「「エッグ・ベネディクトにしよう」」」

 やっとメニューが決まった。今度は種類の選択である。このレストランのエッグ・ベネディクト(2個)は次のようにある。

◆クラブケーキ(蟹のパティ)
◆マヒマヒ(シーラという魚のハワイ名)
◆カルーアポーク(燻製風味の豚肉)
◆スモークサーモン(燻製風味の鮭)
◆ベジタブル(ほうれん草、トマト)
◆トラディッショナル(ハム、ターキー)

 なお、これにホームフライ(一口大カットのフライドポテト)とサラダがワンプレートで添えられる(詳しくは先ほどの写真にて)。

 こういうとき全員が別々を頼めば各味をシェア出来る。それが我が家の掟なので、暗黙の了解でそれぞれ選ぶが、お肉と知らない魚が苦手な甲殻アレルギーの母は迷うことなくベジタブル、お肉は好きだが豚肉が嫌いな父はトラディッショナル、基本雑食性の私はスモークサーモン、と消去法で簡単に決まった。

 料理が来るまでの間、横須賀のことやモノレールのことや旅の簡単な思い出を話し合い、15分ぐらい経った頃に各自が頼んだ料理が運ばれた。なお、食べる前に料理をパシャパシャ撮るような人間を以前から殴りかねない父に配慮し、キナリ杯の『文章には、言葉には、温かくて、強い力があります。』と主婦杯の『未知の世界への憧れ。』のモットーに則り、『創作は常に冒険である。』と芥川龍之介も愛した文章でお送りします。

 さて、ここから大仕事である。まず私のサーモンと父のハムを交換する。そして残った私のサーモンを二等分にし、母の二等分されたトマトの片方と交換する。また父はサラダ以上の野菜は食べないので、これで完成である。

◆父:ターキー、スモークサーモン
◆母:ほうれん草、トマト(半分)、サーモン(半分)
◆私:ハム、トマト(半分)、サーモン(半分)

 これこそ家族3人の好みを尊重したメニューである。

 互いの好き嫌いが被っていなければ、こういう場のニーズにすぐ合わせられる。ちなみに、ここにいない単身赴任中の兄は味そのものが苦手で、白米と牛乳と水しか本当は食べられない。

 ここでやっと食事にありつけるわけだが、ただ普通に食レポしても映えないので、私の中にある井之頭五郎(『孤独のグルメ』作・久住昌之、画・谷口ジロー:扶桑社)を解放してみることにした。もしかしたら美味しいものが更に美味しく感じるかもしれない。

《横浜市中区 山下町のエッグ・ベネディクトとハワイアンコーヒー》

『綿飴's セレクション』

◆ハムのエッグ・ベネティクト
◆トマト(半分)のエッグ・ベネティクト
◆サーモン(半分)のエッグ・ベネティクト
◆ホームフライ
◆クルトンが入ったサラダ

では さっそく

「いただきます」

ほ~ これは その… 写真より黄色いな

えっと まずは ハムから頂くとするか

いつものようにフォークとナイフを持って

おっと えぇ… 思ったより切りにくいぞ

これは想定外だ 黄色いソースで滑ってしまう

下にあるバンズ……バンズじゃないマフィンが

その ポテトを当ててカーリングしてしまう

切るときはフォーク奥まで刺さないといけない

よし 切れた 口に運ぶぞ

う~ん これは あの… 何というか

肉厚感が歯を弾いて……何かイヤな表現だな

ジューシーさが渇く口内を潤す……訳でもなく

全体的に香ばしく… だから…

美味い(五郎さんスマイル)

気を取り直して 次はサーモンを頂こうか

おお 切り開いたら 中からオレンジ色が

そうそう これ この色に安心するんだ

そそるじゃないか では実食

ほ~ うん うんうん すごく 鮭
 
ダメだ これでは 編集カットされてしまう

ト トマト トマトも貰おう

ちょうど良かった トマトは好きなんだ

うーん トマト 愛おしい味

これは まるで モスバーガー

《検証結果》五郎さんは食レポの静かなる巨人

いつの間にか食後のコーヒーか

なんて良い匂いだ 鼻から幸せになる

このコーヒーの香ばしい匂いが

焦った現代人の心を落ち着かせる

そろそろ至福の一杯を飲もうか

この苦味 このコク

ほのかな甘味 ご満悦

よしよし いいぞ こうでなくちゃ

今日はたくさん動いたから沁みる

《検証結果》無職の素人は黙れ

「あー食った。もう落ち着いたし、そろそろ出るか」

「そうねぇ」

「じゃあ荷物を持って……」

「「「ごちそうさまでした」」」

 店の外は午後5時を過ぎていた。山下公園からの流れる空気が程よく冷やしてくれて、夕暮れに染まる秋の空はいつも以上に高かった。

「どうだった、今日の旅行は?」

 母は私に訊いてくれた。

「最高だったよ。まさかパンケーキ食べる前に潜水艦を見れるなんて思わなかったし、正直無茶だと思った」

「人間少々の無茶は効くものだ」

 父は私に教えてくれた。

「しかもモノレールまで乗れるとは。これこそ本当の“モノレールも乗れーる”」

「「……は?」」

「いや、だから、モノレールも乗れーる」

《検証結果》一生黙ってろ

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

【今回の参考・引用文献】
◆Wikipedia
◆京急電鉄ホームページ ― 京急線路線図
◆『潜水艦 アジア有事の最終兵器』中村秀樹:サクラムック
◆『横須賀軍港めぐりクルーズ』カタログ:株式会社トライアングル
◆『横須賀軍港めぐりクルーズ』アナウンス:株式会社トライアングル
◆あの街.net ― 金沢八景
◆オズモール ― Egg'n Things 横浜山下公園店
◆Googleストリートビュー
◆『Cinnamon's Restaurant』公式サイト(紹介文)
◆『Cinnamon's Restaurant』公式サイト(公式写真)

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渡邉綿飴
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