小説「Flour Shower」

 みんな馬鹿みたいに傘をさして歩いていた。たいした雪ではないはずだか、この町の住人は―もれなく僕も―どこか怖がりだ。ニュースではこの時期に降る雪は何年ぶりだとか言っていたが、興味を持てなかったので、それが、十年前だったか、五十年前だったかは忘れてしまった。
「私、好きよ。」
 隣りに座った酔いどれの女が、写真を指差して言った。このバーには長年通っているが、見たことがない顔だ。というより、普通の町ではなかなかお目にかかることが出来ないくらいの、はっきりとした顔立ちの美女である。
 「これ、あなたが撮ったの?」
 「そうとも。」
 「あなた、写真家?」
 「そうとも。」
 コンペティションに応募しては落選を繰り返し、こうしてバーボンを飲みに来るニートとも言うが。女はどうもこの写真を大変気に入ったらしく、「ねぇ、初対面の人にこんなのってとても失礼だと思うんだけど、この写真、いただけないかしら。」と申し出た。「いいとも。お近づきのしるしに。」
 「ありがとう。私、カシス・ソーダ。」
 「いいのかい、だいぶ酔っているようだけど。」
 「いいのよ、私、失恋したの。普段はあまり飲まないんだけど、失恋した時は思いっきり飲んでいいって決めてるの。」
 「こんな美女をフる男がいるんだね。」
「男じゃないわ。」
「…レズビアンなのかな」
「そうとも。」

「それって、さっきの僕のマネ?」
「そうとも。」
 女は少しふざけたように言って、沈黙の後、二人はふきだした。ごめんなさい、と女は口をおさえて、だって、あなたって何だか不思議なんだもの。普段だったらレズビアンだなんて公言しないわ。あなただったら、なんだか変に思われないような気がして。初対面の人にカミングアウトしたのなんて初めてよ。好きな人にも言えなかったの。そう言ってグラスの滴を眺めた。
「それって、レズビアンのきみより僕の方が変にみえたってこと?」僕はおどけたつもりだったが、どうもデリカシーに欠けたようだ。睨まれてしまった。しかし、店の暖房のせいか、チークのせいか、いや、アルコールのせいか、いずれにせよ赤く染まった頬の美女に見つめられた僕は少し興奮してしまった。
「きみの好きな人ってどんな人?」
「親友よ。でも私に結婚するって教えてくれなかったのよ、そんなのって酷いじゃない?」
「そうとも。」
「何も言わずに、招待状が届いて知ったのよ。行けるわけないじゃない。」
「そうかな。」
「そうよ。だって、どんな顔すればいいの。」
「どんな顔でも君は美しいさ。」
「そういう問題じゃないわ。」
女は、残りのカシス・ソーダを飲み干し、写真ありがとうと言って店を出た。
「今度は、私も撮ってほしいな。」
「もちろん。」

 冬の空気は凝固している。身に染みる冷気が風景を澄ませ、凍結しているといったほうが正しいか。僕は冬が写真のようで、愛おしい。夏はこうはいかない。雲は流れ、植物も人々もみな活力に溢れている。僕は誰もかれも重装備で肩を縮め怯えている冬が好きなのだ。しかし、クリスマスというのはいただけない。あれはどうも健康によくないらしい。どうして、クリスマスにデートに誘った女は必ず当日に風邪をひくのか?そんなことを考えていると、ポケットのスマートフォンが震えた。昨晩の酔いどれ女だ。いつの間に連絡先まで交換していたのか。
 「やあ。」
 「おはよう。寝てたかしら?」
 「いいや、起きていたよ。冬の朝が好きでね。」
 「あなたらしいわ。」
 「ところで、どうかしたのかね。」
 「あら、写真を撮ってくれるって言ったじゃない。」
 「確かに言ったとも。だけど、こんな近々の話だとは思っていなかったよ。」
 「約束は早いうちの方がいいのよ。どちらかが忘れるか、うやむやになってしまうわ。私、社交辞令は嫌いよ。」
 「それには全く同意見だ。よし、今から機材の準備をしよう。君も思いっきりおめかしして、僕のスタジオに来てくれ。」
 「そうこなくっちゃ。」
 

 女は指定した時刻よりも一時間も早くきて、椅子に座って足をぶらつかせながら、「まだぁ?」と僕を催促した。
 「もう少し待ってくれ。うむ。バッチリだ。さあ、こっちへ来て。」
 髪をひとつにまとめて、グレーのカシュクール・ワンピースをさらっと着こなした美女がほほ笑んだ。どんな風に撮ったって、絵になった。シャッターを切る音で互いの心が近づいていく甘い時間は長くも短くも感じた。
 「見てごらん。」

僕はカメラのモニター画面を差し出した。
覗きこんだ女の顔に唇を寄せた。

 「ごめんなさい。私、そういうことが怖いの。」
 「何故?」
 「高校生の時、クラスメイトで人気者の男子に告白をされて断ったの、そうしたら彼、逆切れして、無理やりキスをしてレイプしようとしてきた。」
 「それでレズビアンに?」
 「それは違う。性的指向とトラウマは全く別物だわ。はじめて女の子を好きになったのは中学三年生だった。昨晩話した結婚するって子よ。ずっと、ずっと好きなの。馬鹿みたいでしょう?」
 「恋なんて皆馬鹿さ。」
 「クールね。」
 「そんなことないさ。クリスマスには風邪をひくし。」
 「なんの話?」
 「こっちの話。」
 「私、結婚式、出席することにしたわ。」 
 「うむ。」
 「あなたにもついてきて欲しいの。ひとりじゃ泣いちゃいそうだから。好きな人の前で泣くのは嫌よ。」
 「君は少し図々しいところがあるね。」
 「自覚してるわ。」
 僕は溜息をついた。
 帰宅して、レフト・アローンのレコードを流すとソファーにゆっくりともたれかかり、目を閉じた。

  ~心満たす愛は何処
     決して離れずに傍らに居てくれる人は何処に~

 
 
 「新郎の提案か新婦の提案か知らないけど、頭が湧いてるね。クリスマス・イヴに挙式だなんて。」
 「よっぽどクリスマスが嫌いなのね。でもついてきてくれてありがとう。」
 「見知らぬ人の挙式ほどつまらぬものがあろうか。」
 「でもついてきてくれた。」
 「君の泣き顔を激写するためにね。」
 「あなたがついてきてくれたから泣かないわ。」

 女は式の最後まで泣かなかった。ただ真剣な目で親友の晴れ姿を見つめていた。今の女の気持ちはジョン・レノンでさえ想像できないかも知れないし、谷川俊太郎でさえ言葉にできないかも知れない。
 新郎新婦が教会の階段をゆっくりと降りると手を取り合う二人に祝福の花が浴びせられた。空が白かった。この世に不幸なんて何一つないかのような態度の人達に、ひとりぽつんと置き去りにされてしまったようで、頭を垂れると、花びらを握りしめた女の手が震えていた。視線を戻せば、ヘッドドレスのベールが弾んでいた。
 「幸せになってね!」女はしっかり目を合わせて言った。「誰よりも幸せになって、大好きだから。」
 新婦は屈託ない笑顔で応えた。「うん。ありがとお。」 
 

 
 「とても似合っているよ。」
 「どうしてこうなったのかしら。」
 「撮影用のウェディングドレスが借りれたんだ。失恋記念撮影だ。ドカーンとやろう。」
 「それで、どうしてあなたもウェディングドレスを着ているのかしら?」
 「そりゃなんてったって、君がレズビアンだからさ。」
 僕は少しふざけたように言って、沈黙の後、二人はふきだした。そして僕らは見つめ合ったり、変顔をしたり、とにかく沢山の写真を撮りまくった。シャッターを切る音で互いの心が近づいていく最高の時間はとても短く感じた。僕らはもうきっと親友だ。

 「そろそろ終電の時間かな。今日は暖かくして眠るんだよ。」
 「紳士的ね。」
 「クリスマスは風邪をひきやすいからね。」


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