両親の奉仕の生き方
先日は大家さんのお世話を母がしていた事を書きました。
次は近所の方で母に着物の仕立てを依頼してくれていた奥様の事を書きます。
その奥様はご主人の仕事の手伝いをしながら一人娘さんの3人暮らしをされている奥様と言った方が似合う方。
趣味の着物の仕立てを母に依頼して母が縫う側でおしゃべりをしていました。
たびたびでしたね。
私が高校生位の頃はしょっちゅう。
毎日といった方がいいかもしれません。
学校から部活が終わり家に帰ると近所の奥様が居ます。
母は仕事をするそばで話しかけられて困っていたようでした。
何故か?
家にたった一人でいたくなかったからかな?
娘さんは私より2つ上の先輩で合唱部のピアノ演奏をしていました。
進学校の高校で帰りは遅かったみたいです。
私が家に帰ってから夕食のおかずを作り近所の奥様にお裾分けしていました。
ほとんど毎日。
そうすると家に帰っていきました。
ご主人も帰る時間が遅く寂しかったのかもしれませんね。
その奥様が病気になりましたのは私が専修学生の頃でした。
娘さんは東京の大学に進み家にはご主人だけでした。
何度か入退院を繰り返し奥様はお亡くなりになりました。
ご主人の跡継ぎの為に大学に入った娘さんは東京で結婚をしました。
里帰り出産で帰って来た娘さんのお世話に人を頼まれたようでした。
赤ちゃんがお風呂になると泣きっぱなしでなんでなんだろうか?
と相談されたみたいで母がお宅に行ってみたら熱いお湯で赤ちゃんを入れていたそうです。
それは泣くよね。
それから母がお世話に行くようになりました。母が一人で行くには近所の目もあるため父も一緒に行っていたと聞きました。
お宮参りの格好もしてあげたいと着物を貸して写真を撮ったものを見せてもらった事があります。
亡くなった奥様の着物はあったでしょうが無くなったと疑われないように自分の着物を貸したのだと思いました。
亡くなった奥様のご実家が今私が住んでいる近所というのも何かの縁なのだろうと思います。
経済的には先輩の家のほうが何不自由ない生活ができるレベルだと思います。
我が家の経済状況は決して楽ではないはずの生活をしていました。
人の幸せはお金では計れない比べる事はできない事だなぁと感じる出来事でした。
人のために奉仕をする両親の生き方は学校生活とは違う学びでもありました。
今日もお読みいただきありがとうございます😊
また次回に続く。