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【マグパイズ・ヒストリー】絶対的エース、アンディ・コールがマンチェスター・Uへ電撃移籍した日

「ニューカッスルを出たいと思ったことは一度も無かった」

マンチェスター・ユナイテッドへの移籍が発表された直後、アンディ・コールはスカイスポーツの取材班に心境を打ち明けた。

アンディは、ニューカッスル・ユナイテッドのシーズン最多ゴール記録を今も保持している。93-94シーズンにリーグ戦34得点という現在も残るプレミアリーグ記録(当時は年間42試合)を樹立しており、カップ戦を含めた41ゴールという数字は、後の絶対的エースであるアラン・シアラーですら破ることができなかった金字塔だ。通算で84試合68ゴール、ゴールレシオ81%はチーム歴代2位の高確率である。

彼がクラブの歴史に名を刻むストライカーであるのは言うまでもないが、残念ながらその在籍期間はとても短いものだった。

覚えている人は少ないだろうが、コールはアーセナルのアカデミー出身であり、ハイバリーではほとんどチャンスを貰えずに20歳の頃にブリストル・シティへ売り渡された経験を持つ。1993年、下部リーグで頭角を表しイングランドの有望な若手選手の1人として名が知れ渡る様になったコールの元には、トップクラブからも関心が寄せられていたが、彼は当時2部で首位を走っていたニューカッスルを次の職場に選んだ。シーズン途中に加入した彼の12試合12ゴールという活躍もあり、マグパイズはそのまま1部復帰を勝ち取って、創設2年目のプレミアリーグに参戦することになる。

昇格後もアンディの勢いは止まるところを知らず、実質トップディビジョン初挑戦だったにも関わらず、前述の通りゴールを量産してキャリアハイの成績を残した。中でも、前半30分までにハットトリックを達成してしまったリヴァプール戦は、ジョーディの間で今でも語り継がれている。そんなエースの存在を糧に、チームも昇格1年目ながら3位でフィニッシュし、一気にタイトル争いに名乗りを挙げる存在へと成長したのだった。

周囲を驚かせた移籍

1995年1月12日、コールのマンチェスター・ユナイテッド移籍が発表された。

ニューカッスルは前年の躍進に続きUEFAカップの出場権争いに絡んでおり、エースストライカーであるアンディのシーズン途中での退団は驚きをもって伝えられた。

マンチェスター・Uは当時の英国史上最高額となる600万ポンドを支払い、尚且つ有望株だった生え抜きのMFキース・ギレスピーをマグパイズに譲渡。前年ブラックバーンに優勝を掻っ攫われていた“赤い悪魔”の本気度が伺える、積極的な補強と言えるだろう。ニューカッスルはタイトルを狙える位置につけていたため、ライバルチームの弱体化という意味でも効果的な取引であった。

突然の絶対的エース放出に、ニューカッスルファンは激怒した。怒り狂ったサポーターがセント・ジェームズ・パークのオフィスに押し掛け、当時のケヴィン・キーガン監督が直接目の前で状況を説明するという、今では考えられない光景も見られた。

そもそも、キーガンとコールの間には以前からトラブルがあり、決して良好な関係とは言えなかったようだ。それでも指揮官はピッチ上で結果を出し続ける彼を信じて使い続け、選手もエースとしての責務を全うしていた。それだけに、外から見ればコールがシーズン半ばでチームを去ることなど、考えられないことだったという。

チーム内部でも、彼が移籍に近づいていることを知るものはほとんどいなかった。週末にFAカップのブラックバーン戦があり、アンディはいつも通りフル出場。回復日に設定されていた月曜日を挟んで、火曜日の朝にはもうマンチェスターへ到着していたのだから当然だ。

最初に異変に気づいたのは、チームメートのMFリー・クラークと言われている。2人は隣同士の家に住んでいたことから練習にも一緒に通う仲だったが、火曜日の朝はベルを押してもコールが出てこなかったため、彼は1人でベントンのトレーニング場へ向かったという。

「ベルを鳴らしても出てこないし、電話も繋がらなかった。遅れて罰金を払いたくは無かったから、1人で出発したんだ」

車を走らせるクラークの元に、折り返しの電話がかかってきた。そこで初めて、親友が既にマンチェスターに到着していて、移籍に近づいていることを伝えられる。

「がっかりしたよ。前日の夜に契約合意に至って、彼はもう行ってしまったんだ。僕らはいい選手を売るのではなくて、買う側の立場だと思っていた。練習場でも重い空気が流れていたよ」

コールのエージェントがキーガンにマンチェスター・Uからのオファーについて話をしたのは、移籍が決まるほんの1週間前のことだったのだから、他の選手が何も知らないのは不思議でもなんでもない。取引は水面下で、スピーディに行われた。

ギレスピーの背中を押したスティーヴ・ブルース

コールの獲得に巻き込まれ、マンチェスター・Uからニューカッスルへ移籍することになったのが、当時19歳のMFキース・ギレスピーだ。彼はレッド・デヴィルズの下部組織からトップチームに這い上がった期待の若手だったが、アレックス・ファーガソンの絶大な信頼を得ることはできておらず、トレード要員として差し出されたのだった。

両クラブはマンチェスター・Uが600万ポンドとギレスピーを合わせて700万ポンドとして支払うことで合意に至っていた。ギレスピー曰く、彼が仮にニューカッスル行きを拒否していれば、この取引は全て頓挫していたそうだ。

「もし僕がNOを突きつけていたら、この話は白紙になっていただろう。キーガンは僕が取引に含まれることを条件にしていたからね」

もちろん、19歳の青年にとって退団を決断するのは簡単なことではない。ましてや、それがアンダー時代から所属する強豪クラブであるならば尚更だ。そんな時、彼の背中を押してくれたのが奇しくも現在ニューカッスルの監督を務めるスティーヴ・ブルースだった。ブルースは生粋のジョーディであり、熱狂的なマグパイズのサポーターであることは広く知られているが、当時はマンチェスター・Uの中心選手であり、後輩のギレスピーにアドバイスを送った。

「スティーヴはジョーディで、このチャンスを物にするように勧めてきた。ユナイテッドではアンドレイ・カンチェルスキスがいて僕は2番手だったから、ここでプレーする機会を得て名を轟かせるんだ、とね。そうして僕は決断したんだ」

ブラモール・レーンでFAカップのシェフィールド・ユナイテッド戦を終えると、ギレスピーとファーガソンはシェフィールド市内のホテルに向かった。そこでニューカッスル側の担当者と落ち合い、交渉は大詰めに入る。

「当時僕には代理人がいなかったから、ファーガソンが代わりに交渉してくれた。僕の週給は本当は250ポンドだったけど、彼は僕が600ポンド貰っていたと偽って、その倍額の1200ポンドを要求してくれたんだ。嬉しかったね!」

詳細がまとまると、コールはマンチェスター、そしてギレスピーはノースイーストへ、それぞれ旅立った。こうしてアンディ・コールの電撃移籍は僅か数日のうちに完了し、2年に満たないマグパイズとのサクセスストーリーは、志半ばにしてエンディングを迎えたのだった。エースの放出に怒ってスタジアムのミルバーンスタンド前に集結したサポーターにどう対応するか、クラブの職員は頭を悩ませたが、幸いキーガン監督にはサポーターの矢面に立つだけのカリスマ性と人望があり、階段の上から自らの言葉で彼らを落ち着かせることができた。

移籍を望んでいなかったアンディ

ジョーディの目には、アンディ・コールがマンチェスター・Uへの移籍を強行したかのように映っていた。マンチェスターへ到着した直後、スカイスポーツのインタビューに「移籍は望んでいなかった」と答えた映像が国中に放送されたものの、それを彼の本心だと信じるニューカッスル・ファンはほとんどいなかった。しかし、その後何度もコールはニューカッスルから退団する意思はなかったとコメントしている。

英メディア「talkSPORT」のインタビューで、アンディは次のように語っている。

「僕はこの移籍について、何も知らなかったんだ」

「日曜日に僕らはFAカップでブラックバーンとプレーした。セント・ジェームズで1-1のドローさ。月曜日、僕は体をクールダウンさせていた。全てが順調に見えた」

「家に帰って午後はのんびりしていた。FAカップのシェフィールド・U対マンチェスター・Uを見ようとしていた時に、エージェントから電話がかかってきたのさ。彼はマンチェスターから僕を迎えに来る途中で、僕は移籍することになっていたんだ。"いったい全体、どうなってんだ"って感じだったね」

「彼はこう続けた。"合意した。600万ポンドとキース・ギレスピーがニューカッスルに来る"ってね。僕は、"そんなのあり得ない"って感じだった」

2人の移籍が発表されたのは水曜日。つまり、選手本人がこの取引について初めて耳にしたのは、移籍が発表される2日前の夕方だったわけだ。全ては両クラブと代理人の間で話し合われ、アンディはそれをただただ受け入れるのみだった。

「NBAの世界を思い出したよ。ロッカーに手紙が入っていて、それを受け取ったら拒否することはできないのさ」

無論、彼にとってマンチェスター・Uでプレーすることは夢の1つであったという。だが決して、コール自身が移籍を押し進めた張本人ではないことは、彼の名誉のためにも言及しておきたいところだ。

「自分の中では、もしニューカッスルを出ることがあるならば、マン・ユナイテッドへ行きたいと思っていた。そういうチャンスが訪れれば、断る理由も無かったよ」

「監督がそう決めたのだから、行くしかなかったしね…」

アンディの退団で歴史が動いた

キーガンがミルバーンスタンドでファンを説得した時、ある1人のファンがこう呟いた。

「代わりの選手がいないのに、コールを売るわけがない」

ファンがこの時キーガンに直接獲得を求めたのは、アラン・シアラー、マット・ル・ティシエ、ロベルト・バッジオといった世界を代表するスーパースター達だったという。

当然、フロント陣は獲得候補の目星をつけていた。クラブをプレミアリーグへと導いたアンディ・コールはステップアップしていったものの、当時のニューカッスルは概ねいい選手を"買う側"の立場だった。

半年後にクラブはQPRで公式戦通算65ゴールのFWレズ・ファーディナンドを引き抜き、マンチェスター・Uと熾烈な優勝争いを繰り広げたエキサイティングな攻撃的チームを作り上げる。もちろん、ギレスピーもそのスカッドの中心だ。95-96シーズン、前半戦リーグを独走したニューカッスルが、迫り来るサー・アレックスの"赤い悪魔"からのプレッシャーに耐えきれず後半戦に失速し、ほぼ手中に収めていたプレミアリーグタイトルを失った物語は、今もファンの語り草である。

さらにその1年後には、ファンの要求通りシアラーをブラックバーンから獲得。シアラーは言わずもがな、その後クラブ史上最多の206ゴールを叩き込み、今も語り継がれるレジェンドとなった。日本でもシアラーの影響でマグパイズを応援し始め、人生を狂わされた人は多いだろう。スターが去り、そしてまた別のスターが生まれ…こうしてクラブの歴史は紡がれてきた。

アンディ・コールのプレーをまだ見たことがないという人は、ぜひチェックして欲しい。1シーズンに40回以上もスコアシートに名を刻むような選手のプレー集なのだから、まず退屈することはないだろう。

今のチーム状況に、進まないクラブ売却に、バスを止めるだけの消極的なフットボールに…気が滅入るなら、たまには目の保養にアンディ・コール。いかがでしょう?




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