It’s (on) you.

It’s (on) you.

なんとなく撮り溜めてきた写真の山。風景とも、日記とも、スナップともつかないそれらをどうにか作品にしようとしていた時期があった。コンセプチュアルに見えるかもしれないと思って、写っているもので分けた。それらしいテーマを後付けして、並べ替えた。新しく写真を撮るべきだとわかっていたが、いい写真が沢山あって、そのままにしておくのは惜しかったのだった。

結論から言えば、この試みはうまくいかなかった。それどころか、私はこの試みによって大きなダメージを受けたのだ。そして多分、誰がやっても同じことになる。要するにこれは自分の不能や向き不向きによるものというより、もう少し普遍性のある現象なのではないかと思うのだ。最初の作品として、これまで撮り溜めてきた写真を組み直すこと。そこには思いがけないほどの力があるが、これは作品の側が作者に影響を与えるという回路が、写真の特性ゆえに激しく駆動することに起因している。

手に持ったカメラと目線を大まかに一致させて撮る、あるいは体の延長線上において撮る。ここでいう撮り溜めてきた写真とは、そうした古典的な写真行為のことだ。生きてきた時間の流れのなかで、目の前を撮ってきた写真だとも言える。作品というものを、他人や社会(だれか)を指向した意味や効果をもった塊だと定義すれば、撮影者のためだけに機能するこの写真群は社会的には作品未満なのだろう。だがこれらの写真は、撮影者の人生に沿った時系列という、当人にとって絶対的な基準に沿って既に並んでいる。
自分がある時、ある場所にいて、ある方向を向いて写真を取ろうと思った、という事実が時系列に堆積している写真群。それは、このままでは他人に響く意味や見え方をほとんど持ち得ないかもしれないが、私という個人にとってはこれ以上なく意味を持った塊なのだ。とりとめもなく撮り続けてきた写真というのは想像以上に自分自身なのだと言い換えてもいいかもしれない。だから、それを組み替えるのは自分をバラバラにしているようなものだ、というのは突拍子もなさすぎるだろうか。

写真に触れることが苦しかった時期が、この塊から作品を切り出そうとしていた期間と重なっているのはきっと偶然ではない。社会的な意味という軸をどうにか通そうと、写真の塊を色々な角度から串刺しにすることは、写真と行為者の密着度の高さゆえに私自身のことも貫き、ダメージを与えていたのだろう。切実なものとして撮った写真を組み替えることは、作品の側から私自身へと影響を及ぼす回路を通り、私の身体を変形させて苦しめていたのだと思う。苦しいのに何故そんなことをしていたのかといえば、どうしようもなく価値があると感じられるものが、無意味なまま消えていくことに耐えられなかったからだ。<続く>


写真について Vol.3

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