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|花留学|

社会に出て3年経ったころ、人生のひとつの願望であった「留学」を決めた。英文学科だった私は、学生時代に一か月の語学留学を経験し、もっと長く滞在してみたいと思うようになっていた。
留学先は、卒業旅行で行ったイギリス。
きれいな英語が学べること、ロンドンに大好きなフロリストがいることが決め手となった。

まだ寒い二月の出発。
旅立つ前の晩、父は泣いた。
「正月は一緒に過ごすことが約束。」と言って10か月の予定で
送り出してくれた。

意気揚々とロンドンにきたはずが、ほどなくひどいホームシックにかかってしまった。どんよりした天気、パン一つ買うのも高く、語学学校での授業もさっぱりついていけない。途方に暮れるとはこのことだった。

父を泣かせてまでやって来たのに、何をやっているんだか。

日本にもよく電話をかけたが、心配はかけられないと、楽しくやっている風な声を出し、電話を切った後には毎回泣いていた。

 3月、4月と暖かくなるにつれ、少しずつ生活にも慣れてきた。
限られた時間を何とか充実させよう!と勝負に出た。いつもの調子がやっと戻ってきたのだ。お得意の勝負心さえ味方にすれば怖いものはない。次の日、大好きなフロリストのショップを訪ねた。

当時は、フラワーデザイナーという職業はそれは人気で、何種類もの花雑誌が出版されていた。花留学というページを見ては憧れていた。ニューヨークやパリ、ロンドンのフラワーショップの写真に目を奪われ、気に入ったページは切り取ってファイリング。そんな中でも一番大好きなフラワーショップの店内に私は立っていた。

「働かせてください。」

スタッフのお姉さんに聞こえるやっとの声で発した。
彼女がふいにどこかへ消えていき、すぐに戻ってきた。

「いつから来れる?」

そうして、次の日、私はアシスタントとして憧れのショップに立つこととなった。そして、大好きなフロリストと対面し、数か月の間、同じ時間を過ごすことになったのだ。

ショップで働き始めて驚いたのは、すぐに即戦力として扱ってくれたこと。つたない英語力しかないにも関わらず、接客から制作、販売まですぐに任された。

そんな日々の中で忘れられない出来事がある。

お店の余り花を集めて、大きな装飾をしたら、あるお客様がとても気に入り買ってくれた。日本の生け花の要素があって素敵だと。
現地の方の目に留まったのが本当に嬉しかった。

もうずいぶん年月が経ってしまったけど、いつかあの場所に
もう一度立ちたいと、密に狙っている。

英語学習、復活しないと。

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