washutaba-和手束-

50年の人生の中で、今でもふとよぎる記憶。 嬉しい、楽しい、美味しい記憶。 辛い、悲しい、苦しい記憶。 これから先を歩くために、一度、これまでの記憶を解放しようと思う。

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50年の人生の中で、今でもふとよぎる記憶。 嬉しい、楽しい、美味しい記憶。 辛い、悲しい、苦しい記憶。 これから先を歩くために、一度、これまでの記憶を解放しようと思う。

最近の記事

移動の前に

先週は、自分の今居る場所、状況が好きじゃないなら、その状況を変えるしかないと思っていた。 今週になり、自分が変わればどうなんだろう。。。そんな気持ちになり、 今日、少し動いてみたら、晴れやかに笑っている自分に気づいた。 今居る場所を離れる前に、試しに違う角度で自分を動かしてみる。 それでも違うなら、胸張って、確かな気持ちで移動したらいいんじゃないかな。 そう感じた一日。

    • |ウンベラータ|

      15年前に買ったウンベラータ。 高さ1メートルほどの小さなウンベラータ。 すくすく育って私の背を越すほどになった。 ある年の寒い冬。 室内に入れてあげて 冬を越させてあげたかったけれど もうすっかり大きくなった大木を 持ち上げることが出来ず。 そして、そのまま新芽を出すことはなく 枯れてしまった。 大事に大事に育て共に過ごしたのに。 とっても寂しくなった。 そんな時、以前、ウンベラータの葉を 切って差し上げた方から朗報。 なんとその葉を挿し木にして、新しい株が 育っ

      • |閉所恐怖症|

        子どもの頃から、狭いところ、暗いところは苦手だった。 トイレやお風呂はすこーしドアを開けたまま。 電気をつけていないと眠れない。 そして、公共交通機関が苦手。 締め切った空間や誰かにゆだねないと行けない乗り物は 降りるまで気が気ではない。 ジェットコースター?? ほんとに無理。 そして、致命的なことが起こった。 ヨーロッパへの卒業旅行。 フランスで滞在したホテルのエレベーターに閉じ込められた。 夜遅く、一人で乗り、希望上層階のボタンを押したのに動かず、 次の瞬間、エレ

        • |花留学|

          社会に出て3年経ったころ、人生のひとつの願望であった「留学」を決めた。英文学科だった私は、学生時代に一か月の語学留学を経験し、もっと長く滞在してみたいと思うようになっていた。 留学先は、卒業旅行で行ったイギリス。 きれいな英語が学べること、ロンドンに大好きなフロリストがいることが決め手となった。 まだ寒い二月の出発。 旅立つ前の晩、父は泣いた。 「正月は一緒に過ごすことが約束。」と言って10か月の予定で 送り出してくれた。 意気揚々とロンドンにきたはずが、ほどなくひどいホ

          |書く|

          花屋を経営していたのは10数年前のこと。 その日の終わりには必ずブログを書いていた。 早朝から花市場で仕入れをし、制作、お届け、片付け、、、 スタッフが帰ったアトリエでひとり、暗闇でパソコンに向き合う時間が好きだった。そうして心の整理をし、今日という日を終え、またリスタート。 子育て生活13年目。 遅ればせながら、自分の時間がやっと持てるようになってきた。 夜にこうして、パソコンに向かう時間があるなんて 夢のよう。 明日、明後日とリスタートを繰り返せるように 書くことをま

          |花|

          花の仕事に出会ったのは、大学生の時。 就職氷河期な上、姉や兄への闘争心が邪魔して、自分の将来がわからなくなってしまった。 良い会社に入れば、鼻高々かもしれないけれど、良い会社って何?という考えの私には、興味のない分野の仕事をすることは考えられず、時間がかかっても好きなことで商売をしたいと考えるようになっていた。  そんなある日、姉が入院し、花を買ってお見舞いへいくことになった。病室で花を渡し喜んでくれたその出来事が、私と花のはじまりだ。それからすぐに花屋でアルバイトをはじ

          |十年刻み|

          |20代|たくさん遊び、たくさん旅をし、たくさん吸収する。 |30代|経験をカタチにし、仕事に邁進する。 |40代|家庭を持つ。 十年刻みで人生を組み立て計画的に歩んできたつもりなのに、 これまでの52年間は、紆余曲折、波乱万丈、七転八倒。 鬱めいた症状には、3度ほどどっぷりつかった。 他の人はスイスイと人生を歩んでいるように見えるのに、 自分だけ沼にはまって、抜け出せない。 でも、もうこの歳にもなれば、そんなことをくよくよ考えているのが あほらしい。なかなか上出来だと、

          |夫|

          夫も私も3人兄妹の末っ子。 だけど、性格は両極端に位置する。 世の末っ子たちは、2つのタイプに分かれるのではないだろうか。 勝ちにいくタイプと、最初から勝負しないタイプ。 私は完全に前者。夫は後者。 38歳で結婚してからは、私のそれまでの荒波立った毎日が、ゆるりゆるりと穏やかになった。夫とは勝負はしない。 いまだに姉や兄には勝手に勝負をしかけている。 ここでの勝負とは、家族の一員として出遅れたことへの巻き返し戦。 先に産まれた姉や兄が過ごした時間を埋めようとしている気

          |息子|

          三十九歳で娘を出産、その後、三歳違いで息子が産まれた。 四十二歳での出産はかなり壮絶だった。息子の大きな頭が骨盤につっかえて、なかなか降りてこなかった。陣痛の辛さに意識が遠のく中、もうすぐ会えるという楽しみと体のねじれるほどの痛みが混在した。そんな壮絶な出産はナースステーションでも話題となったらしい。 過酷な時間の中、気の強い私は、自然な形で息子が下りてくるのを待ち、吸引器具を使って欲しいとは自分から言えずにいた。 ところがもう我慢の限界。 とはいえ、つらいとは素直に言

          |娘|

          三十九歳で産んだ娘は、まぎれもなく世の中で断トツに愛おしい存在となった。仕事人間だった私は、ほとんどの仕事を手放し、一緒に居れるだけ居る生活を選択した。 仕事仕事の毎日から全てが変わった。 時間の経ち方、人との関わり方、体の疲れ、心の余裕のなさ。 あの頃の写真を見ると、「愛おしい」という感情に浸りつつも、きゅーっと孤独感に締め付けられる。 娘も息子も10歳を超え、ずいぶんと自分の時間をとれるようになってきた。とてもとても大変な日々だったけれど、贅沢な時間が流れていたなと、

          |母|

          母ほど、心が揺さぶられる存在はいない。 八十二歳になった母に今でも本気で腹立たしい時もあるし、愛おしくてたまらない時もある。ただ、これだけは否めない。 五十二歳になった今でも、母に褒められたいという感情が私をつき動かしている。 三人兄妹の末っ子の私は甘えるのがめっぽううまい。世の末っ子の大半は、そうやって、愛される術をあらかじめ装備してこの世に放たれるのではないだろうか。すでに始まっている「家族」という集まりに、出遅れて仲間入りするのである。頑張らなければ一員になれないのだ

          |父|

          私の父は大病を繰り返しながらも健在だ。 八十七歳の今も、私を私と認識し微笑みかけてくれる大好きな父である。 ちょうど1年前の六月、緊急入院をし生死をさまよった。コロナの影響も続あり、面会には厳しい制限がかかっていた。 会えない辛さはとてもやりきれなかった。 会えない間に家族のことを忘れてしまうかもしれない。退院してきても以前の生活ができるのだろうか。想像するだけで心が震えた。 私には、娘と息子がいて、彼らの子育てには父がずいぶんと影響している。父はどんな時も守ってくれた

          |キャラメル|

          あれは、夏の日の夕方のこと。 大学生の時に花の仕事に魅了され、花屋さんでアルバイトを始めた。 自宅からバスで30分ほどの素敵な花屋さんだった。 あの日、帰り際に咲きすぎて売れない大輪のユリを2本もらって、市バスに乗りこんだ。 好んで座る一番後ろの5名席に、空席を見つけ身を縮めて腰かけた。 バスが動き出してしばらくすると、 「あ~いい香りやね~。今日はいいバスに乗ったわ。」と、隣に座っていたおじいさんが目を細めて話しかけてくれた。 「良かったら1本いかがですか。」 急い

          |キャラメル|

          |五十二|

          今日は、五十二歳の誕生日。 忘れられない瞬間の積み重ね。 自分でも感心するほど騒がしい日々。 悲しいつらい苦しい時間も、嬉しい楽しい温かい時間も、 全てが愛すべき時間。 、、、なんて、きれいごとで済む訳もなく。 どうしたって、心が闇に包まれることもたくさんたくさんあった。 そんな時には、「温かく優しい記憶」という名前のキャラメルをひとつ、 ゆっくり味わう。 心がじんわりほぐれていき、また明日を迎える栄養となる。 そんなキャラメルを、この五十二年の日々の中で、 少しずつ

          |炎|

          もう30年も経ってしまった。 答えの出ない記憶がまだ消えずにいる。 ある日の帰り道、原付バイクにまたぎ信号待ちをしていた。 ふと歩道に目をやると、ランドセルを背負った一人の男の子が 背中を丸めながら歩いてきた。『小学生はそろそろ帰る時間か。』 まだ信号は変わらない。 もう一度男の子に目をやると、角を曲がってすぐの酒屋の前で、 その子の体がふわんと小さく沈んだ。 『え?』 その瞬間、小さな手の中にボワっと光るものが見えた。 炎だ。 その子の前には、積まれた段ボール。

          |はじまり|

          あの子はどうしているだろう。 その思いが今も私を追いかけてくる。 薄曇ったある日の夕方。 小さな手の中に秘めた黄色い炎が、私の目を凍らせた。 あの人はどうしているだろう。 白い紙で包まれた四角いキャラメルは、 しわがれた大きな手の中で柔らかく優しくなっていた。 50年生きてきた中で、ふとよみがえる記憶がある。 ひとつひとつ、ここに置いて、 これから先を歩もうと思う。