お腹が痛い時に、自分の内臓を認知する
普段生活をしていて、内臓が自分の身体の中にあること、それらが活動していることをなんて考えやしないけれど
お腹が痛いとき、その存在を意識する。
こってりしたものを食べても、酒を飲んでも、排気ガスが充満している道を通っても、虫に刺されても
身体は文句も言わず、血液を循環させてそれぞれの役割を全うし、身体を正常に保つためにベストを尽くしている。
でも、そんなことも、普段意識していない。
「痛み」が伴って、初めてそれらに思いを馳せたり認知したりするって、ある意味皮肉だなぁと思ったりする。
これだけ毎日毎時毎分毎秒頑張ってくれている存在に、なーんにも思わないのだ。
昨日は9.11
2001年、テレビ越しに見た現実は今でも鮮明に覚えている
たくさんの当たり前が崩れていった
崩れていって、初めて当たり前とは何なのかに気付いた
その当たり前に、尊さがあることを知った
痛みや不安、悲しさという、できることなら感じたくないマイナス要素は、大切なものに気付く機会なのだろう。
その痛みや不安、悲しさを感じる前にその存在の尊さに感謝できるようになりたいが、それがなかなかにできないのが人間で、もどかしい。
痛みや不安、悲しさは自分を乱す原因になるけれど、それに気付けなかったら自分にとっての大切なものにも気付けず、
囚われてはいけない、けれど、それらを手放すこと自体が目的となって大切なものを蔑ろにすることになったら本末転倒な気もする。
そのバランスが取れるようになるには、もう少し時間がかかるけれど
日々1分でも時間をとって、当たり前になりすぎて意識すらしていないことに感謝をすることから始めようかな。
マイナス要素を、乱す原因ではなくて、大切なものに気付く機会に繋げられる人になりたいものだ。
今日は腹痛を、よしよし、しながら過ごしていく。
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