「悪気がない」との距離
「悪気はない」って言って、それを本気で思っていて
人を滅多刺しにして殺したら
ほぼ大多数の人が「悪気がないからってやっていいことと悪いことがあるだろう」になるけれど
「悪気はない」って言って、それを本気で思っていて
本人の"正しさ"を相手に浴びせていたら
それは「価値観の違いだからしょうがないね」になる
どちらかというと「いじめ」への考え方も後者に分類されていると感じていて
それに加えて、落ち度を認めたくない・教育方法を否定されたくない自己防衛に走る外部があるから
いじめている側が護られる傾向にあるのではないか
「悪気はない」が許される範囲があるならば、それはどこだろう
もしそのルールを作ったら、多様性が損なわれるような気もする
これは、思考と感情を持っている人間のバグなのか
大切なことは目には見えないけれど
見えないからこそ、ときに難しく感じるよ、王子さま