今年は戦後七七年――戦前の七七年・これからの七七年――(『報徳』2022年12月号)
戦前と戦後
今年は戦後七七年で、明治維新から敗戦までも七七年である。戦前と戦後が、丁度、同じ年数になった。
自分の年齢をそこに重ねると、戦後の七七年とほぼ同じで、戦後そのものを生きて来たことになるのだが、その同じ年月を逆に伸ばすと、何と明治維新まで届くという発見は、大きな驚きだった。
戦前の七七年は、明治維新、自由民権運動、帝国憲法、主権在君、帝国議会、日清戦争、日露戦争、大逆事件、大正デモクリシー、軍部の台頭、満州事変、日華事変、太平洋戦争、敗戦、等々をすべて含む、大激動の年月である。
戦後の七七年を振り返れば、敗戦の混乱と飢餓、日本国憲法、主権在民、食料増産、朝鮮戦争、戦後復興、安保闘争、高度経済成長、一億総中流、世界第二位の経済力、日本叩たき、プラザ合意、低迷の二十年となる。
戦死者が語ること
俯瞰して対比すると、戦前も戦後もゼロから出発し、同じように興隆し、同じように下降している。戦前は、日露戦争に勝利したが、傲慢になってアジアを侵略し、アメリカとの戦争で敗戦の憂き目をみた。戦後は、高度経済成長を遂げて世界第二の経済大国になったが、プラザ合意でアメリカに叩かれ、停滞の二十年になっている。
戦前と戦後が違うところはどこだろうか。主権在君と主権在民の違いは大きい。帝国憲法と日本国憲法の違いであり、国家が前面に出て国民をしばるかどうかで、それは戦死者の数に端的に表れている。
戦前は、度々戦争をした。太平洋戦争で死んだ人は三一〇万人といわるが、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争などの戦病死者や戦争犠牲者を含めれば、五〇〇万人にも達するのではないか。
それに対して、戦後の戦死者は、ゼロである。他国の人も一人も殺していない。絶え間ない戦争の現代において、これは日本が誇るべき人類史への大きな貢献であろう。
江戸時代は二六五年あった。戦争で死んだ人は、大阪の陣、島原の乱など、十数万人だろう。戦前は、二六五年の四分の一の七七年しかないのに、戦死者の数は五〇〇万になりなんとしている。近代国家とは一体何であったのかと考え込んでしまう。
国家と社会
ドイツの哲学者ヘーゲルは「政治的国家と市民社会の分裂」は近代の特色だといった。意味するところは、私たちの社会は、国家と社会が二元的に分かれていないと健全ではないということである。
戦前の日本は、国家が多様な社会を飲み込んで一体化し、一億一心戦争に邁進して国を滅ぼす寸前までいった。私が勉強したドイツは、東ドイツがあって、党と国家の一致を標榜していた。多様な社会の一勢力に過ぎない党を国家と一致させ、中央指令体制をつくり、社会は柔軟性を失って滅亡した。同じ体制のソ連も滅亡した。国家と社会は、二元的に分かれていないと健全な発展はできないのだ。
国家とは何なのか。国民の多様な利害を調整する機関であるはずである。しかし戦前には薩・長・土・肥の専横、次いで軍部の支配があった。最近また国家の私物化がいわれている。政治家は世襲になって権力を私物化し、官僚は御用役人になり、特定業者や宗教団体と癒着して利得を得ている。国民の眼には、国家はこれらの人々の利益保証システムと映り始めている。
今だけ、ここだけ、自分だけ
現在の旧統一教会との癒着、閣僚辞任ドミノは何なのだろう。かつて、小泉チルドレン、安部チルドレンの愚行がマスコミを賑わせたことがあったが、彼らの成長した姿なのだろうか。
敵基地攻撃論もその中から出ている。しかしこれは、専守防衛の国是に反していよう。専守防衛とは、先制攻撃を行わ
ない、自国外の軍事行動はしないことである。攻撃を受けて初めて自衛行動をとることである。最大の安全保障は、敵をつくらないことである。この鉄則に徹することが先決だろう。
かつての政権党の自民党は実に魅力的だった。主流と反主流、野党が幾つもあるような様相を呈して、多士済々、それぞれの政治家の個性、政治思想、生き方から有権者は多くのことを学び、多くの可能性を夢見た。
有為な人材が自由に名乗り出て当選できた中選挙区制だったからだろう。小選挙区制になって、議員は政党中枢の意向と人脈で選択され、世襲とタレントと高学歴の飼いならされた人材だけになってしまった。チルドレンたちである。しかも、三割に満たない支持で七割の議席が確保できるシステムなのだ。
眼先のことしか考えない政治家が増え、切磋琢磨はゼロ。国の安全保障をどうするか、新しい資本主義をどう考えるか、進んでいくインフレに対して国民生活をどう守るか、財政赤字を増やしたままで次世代の未来は守れるのか、等々、展望を持ち、魅力的で説得力ある政策論争はどこからも聞こえてこない。国家権力に依拠、安住して、巨大な政治の貧困が生まれている。
トゥキディデスの罠、抑止力の罠。
世界情勢も、ウクライナ戦争によって混迷と危機の度を強めている。戦争は長期化が予想され、停戦の見込みは立っていない。米中対立も深刻である。
古代ギリシャの歴史家トゥキディデスは、覇権国スパルタが勃興したアテネを攻撃して起こったペロポネソス戦争を分析して、名誉・恐怖・利益がその動機と指摘している。覇権国は、不可避的に勃興国に対して戦争を仕掛けるという「トゥキディデスの罠」である。中国の軍事強化は、トゥキディデスの罠から逃れる必死の試みかもしれない。
抑止力の考え方が世界を支配している。しかしこれは一触触発と偶発の危険をはらみ、無限の軍拡競争の罠に陥る。日本もこうした罠に堕ち込んでいくのだろうか。
台湾有事は、アメリカ軍の基地が台湾にない以上、沖縄が前線基地となる。安全保障条約は、一挙に安全破壊条約に変ずる。米中対立の最前線で、どれだけ自主独立の外交を展開できるのだろうか。
既に日本は、アメリカ、ロシア、中国、インドに続く第五番目の軍事大国である。それだけに、専守防衛と自主独立外交に徹すべきであろう。なぜトルコのように振る舞えないのか。日本の独自の立場こそ、国際的評価の鍵となっている。ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、日本の国会へのメッセージで軍事援助ではなく民政支援を強く訴えた。日本独自の立ち位置への期待がここにあろう。
尊徳の分度と市民精神。
これからの七七年をどう考えるべきか。二宮尊徳は、「至誠・勤労・分度・推譲」を説く。この中の「分度」の思想は深い。農村復興に尊徳は、農民に分度を求めると同時に、武士にも分度を求めた。命がけであったろう。武士が分度を設定しない仕法は一切行わなかった。だからこそ六百の村が救済、自立できたのである。
尊徳は、仁の政治を求め、武士に厳しい分度を課した。今の政治家に仁が期待できない以上、私たちの依拠するのは、吉田松陰の「草莽崛起」である。坂本龍馬の「日本の洗濯」である。国家や権力者と共にあって安心立命する臣民根性ではなく、独立不羈の市民精神である。
「一円融合」も深い。対立するものを輪の中に入れて考える思想である。すぐ解決する場合もあるが、十年かかるものもある。共通項は必ず生まれる。ウクライナ戦争は、冷戦の終結以降の西欧価値観の傲慢さが引き起こした面も指摘できよう。排除、無視、放置でなく円の中にいれて考える。寛容と中庸の実践でもある。戦争になればすべては消し飛んでしまう。
徳川史観か、豊臣史観か
アフラックのがん保険で知られる大竹美喜さんは、「至誠・勤労・分度・推譲」を市民精神の根幹に置くべしと説かれている方だが、全国の高校生を対象に「きらめき未来塾」も主宰されている。魅力的な講師陣の塾で、徳川十九代の徳川家広さんの授業は、大変興味深かった。
徳川さんは、戦国の世を統一した後に朝鮮に侵略し中国の支配まで目論んだ豊臣秀吉と、厭離穢土・欣求浄土を掲げた徳川家康を対比して論じられた。家康の創った幕藩体制、参勤交代や身分制度は、侵略と支配の「秀吉の亡霊が出ないようにする」ためだったという。こうして二六五年の平和が続いた。
問題はその後で、明治維新になって日本は再び秀吉の侵略の世界に戻ってしまった。しかし敗戦によって再度、徳川と同じ平和の世を迎えることとなったのである。この指摘は新鮮だった。そして現在、平和主義の戦後レジームは、秀吉の亡霊に蚕食され始めているということだろうか。徳川史観による切り口と問題提起は、深く触発的だった。
来年の大河ドラマは『どうする家康』である。時代に寄り添った言葉だと思う。私たちは、日本も世界も根源から考えないと進めない時代に対面している。次の七七年に向かって、まさに『どうする私たち』が問われている。