旅する神秘の蝶 アサギマダラ(2021年『報徳』12月号 巻頭言)
蝶に魅せられて
小学校から中学時代にかけて蝶に夢中になった。夏休みの宿題で標本をつくったのがきっかけだったろうか。ツマキチョウ、モンシロチョウ、アゲハチョウ、モンキアゲハ、ルリタテハ、等々。採集もしたが、食草を調べて卵を見つけて育てたりもした。
日本には二〇〇種類の蝶がいるというが、私の村で捕まえられる蝶は二〇種類もない。国蝶のオオムラサキも、春の舞姫ギフチョウもいない。京都への修学旅行のとき、嵐山の渡月橋のたもとで初めて見たスミナガシを夢中で追い、捕まえた時の感触は今でも手に残っている。
秋、アケビを取りに村の北の小笠山に出かけると、何と憧れの蝶のアサギマダラが、林間を飛翔しているではないか。初めて見る薄い青色の優美な姿に心が震えた。降りて来るのをじっと待った。ひらひら、ひらひらと悠々と飛翔して降りてこない。意を決して網で追うと、ひらりとかわされ、空高く舞い上がって消えていった。その一部始終は今でも鮮明に甦る。
倉真のアサギマダラ
そのアサギマダラに、それから六十五年後に再会するとは夢思っていなかった。場所は岡田良一郎の倉真村である。旅館真砂館の女将染葉広美さんは、写真家の佐藤典雄さんや鳥山剛さんと数年前から畑にフジバカマを植えた。思いがかなってアサギマダラが蜜を吸いに飛来したのである。
昨年、佐藤さんからの写真で知って、早速伺った。羽をすぼめて夢中で蜜を吸うので、手でつまむと簡単に捕まるのには驚いた。手にした瞬間、あの憧れの蝶をやっと捕まえることが出来たと、やはり感慨無量になった。
極細の油性マジックペンで場所と日付をマーキングして放す。見つけた人が報告し合うシステムが出来ていて、軽井沢の蝶が二十三日後に倉真でみつかり、倉真の蝶が四日後に鹿児島の喜界島で確認されたという。
今年は報徳本社の構内に鳥山さんの指導でフジバカマを二十株ほど植えた。何と十月十一日、一頭飛来したではないか。一同歓声を上げた。以後、毎日二~三頭ずつやって来た。
アサギマダラは旅する蝶として知られている。静岡県に飛来した蝶の多くは伊良湖岬を目指し、そこから和歌山へ、沖縄へと移動するという。大分県の姫島も集結点として知られている。春になると今度は北上する。
自然破壊がいわれるなか、フジバカマを増やすことで、このような大自然の造化の妙に参画出来るようになり、自然との豊かな交流が始まったのはうれしい快挙である。
横山光夫の『原色日本蝶類図鑑』
蝉取り、カブトムシに夢中になった思い出は、皆それぞれ持っているが、成長と共に消えていく。中学で途絶えてしまった蝶への関心が再び触発されたのは、それから随分後のことで、本屋で手にした奥本大三郎の『虫の宇宙誌』によってである。
開いたページから、いきなり横山光夫『原色日本蝶類図鑑』の話が飛び込んできた。中学時代、小使いを貯めてやっとの思いで買って愛読した、あの図鑑ではないか。特殊な本だから誰にも話したことはなかったが、それだけに、何とあの本のことが言及されている、夢見心地になって吸い込まれて読み、うれしさに呆然となった。
あの図鑑の解説をどれほど愛読したことだろう。ロマンに満ちた蝶の世界への誘いの書である。奥本さんは書いている。最近の図鑑は、スキとムダのない科学的な記述で学問的水準は高いが、愛着や情熱が凝縮された文章ではないので、白衣の研究者には向いていても、「少年の枕頭の書」ではなくなっている、と。横山蝶類図鑑はまさに枕頭の書で、実地体験に富み、夢を誘うエピソードに満ちていた。
「アルプスの高峰、残雪もまだらな白樺の林を飛翔する姿は、春の女神ともたたえたい」と高山蝶のクモマツマキチョウは描写され、「清楚なすがたは愛好家の憧れの的」と書かれている。ジャコウアゲハは「長い尾状突起を振りながら、そよかぜにのって緩慢に、樹間や路傍の花上を舞う姿は、<山女郎>の名のごとく、絵のような美しさである」とある。
そしてアサギマダラは次のように書かれる。「飛び方は、本邦産蝶類中、最もゆるやかで、ほとんど羽を開いたまま流れるように花上に訪れる。吸蜜しながらぶら下がっているが、一度捕えそこなうと天上はるかに舞い上がって消えてしまう」。それを知っていたので粘ったのだが、あの時は、この通りになってしまった。
奥本さんは小学校の時に横山光夫に会ったことがあるという。『子供の科学』に載ったウラナミシジミの越冬態についての話を携えての訪問だったが、気後れして思うように話せず、ジャコウアゲハの蛹をもらって帰ったというが、心底うらやましいと思った。
新潟に暮らしていた時のこと、四月中旬、友人と三条近くの護摩堂山に登った。捕虫網を持った少年たちが下りて来た。手にしている蝶を見て驚いた。ギフチョウではないか。黄色の縞模様で赤と瑠璃色も交じった春を象徴する姿だ。初めて実物を見た。
ニコニコと息を弾ませている少年たちを見て、あの頃、ギフチョウを捕まえたらどんなにうれしかったろうと思った。「日本の特産種で、早春四月、桜の開花と共に出現する春の舞姫のような美しい蝶である。無風晴天の日を好んで、食草のある疎林から散りゆく花びらのように舞い出し、スミレ、レンゲソウなどの路傍の花に訪れる」が自然に浮かんで来た。
熱中する子供は豆博士になる
奥本さんはフランス文学者だが、自らを「虫屋」と称し、『虫の宇宙誌』では蝶のみならず、トンボ、蝉、クワガタ、タマムシ、ノミ、シラミに至るまで、その生態や歴史、西欧との比較など、臨場感豊かな筆致で私たちを昆虫たちの世界に導いてくれる。
ギンヤンマは水田一枚につき必ず一頭、雄が縄張り飛行をしているという。夏の空、入道雲、盛夏のギンヤンマ取りが活写されている。網の柄の長さを図りながら空中に静止しているヤンマに全神経を集中する。こらえきれずに網を振るとさっとかわされてしまう。知恵をめぐらしてギンヤンマと対峙する奥本少年。まさに一幅の夏の風物詩だが、ここにこそ子供本来の姿があろう。
「自分の好きなことに熱中する子供は、程度の差こそあれ、いわゆる豆博士になってしまうものである」と奥本さんは言う。子供の目の鋭さには大人は到底及ばない。
子どもは興味のあるものを見出すと、一体となって没入する。体一杯の全体知と本質を直観するセンスが躍動する。この包括感覚こそ、深い学びの本質をなすものだろう。体験を重ねるごとに、それはますます深く冴えわたる。これこそ子供時代に培われるべき最も大切な力なのではないか。
アサギマダラの里 森の幼稚園
自然の神秘に心がときめく。本州北端から沖縄まで、いや台湾から北海道までだろうか、二千五百キロに及ぶ距離を行き来するアサギマダラのドラマは、あらためて天・地・人の営為の本来性に私たちを立ち戻らせてくれる。
倉真をアサギマダラの里にしようという動きが生まれている。大自然との対話は、学校で知識の詰め物にさせられている今の子供たちにこそ、最も必要だろう。体験から学ぶ、実践から学ぶ大切さである。
ここ十年来、倉真では人と森を結ぶ森林環境活動「時の寿の森」が展開されている。主宰の松浦成夫さんは荒廃する民有林を保全再生し、豊かな森林を目指すとともに、子供たちに自然体験の場を提供し、二週間に一回の森の幼稚園を主催している。それを更に充実させたいと夢を語る。新たに山村留学の構想も生まれつつある。
コロナ禍は、人類の自然破壊が招いたつけといわれる。自然を取り戻し、自然の恵みを見出し、自然の深さを探ることで、真の豊かさが招来される。天道に沿い、人道を立てる新しい営みが、今、動き出しつつある。
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