夢(Dream)・愛(Love)・自由(Freedom)・仲間(’S)――ドロフィーズ(DLoFre’s)経営が拓く未来(『報徳』9月号巻頭言より)
無人駅が喫茶店に
天竜浜名湖線に「都田」の駅がある。無人駅だが、駅舎が喫茶店になっている。都田建設・ドロフィーズグル―プによる「MIYAKODA駅カフェ」である。古き良き駅舎とモダンなカフェ。懐かしさの中にやさしくオシャレな空気感が漂い、線路がかもしだす、遙けさ遠さの感覚も、心を解放する。ゆったりした極上のひとときが味わえる。二〇一五年にはGOOD DESIGN賞に選ばれている。
カフェを出て、南に下って都田川を渡ると、やがて住宅地になる。都田建設はそこにあった。社屋の周りの住宅地には、あちこちにお店やレストランが点在して、独特の街の活気をかもしだしている。
理想的な家造りを目指して
インテリアショップや建築イデアルームにはお客が集まり、カフェ、レストランは週末には二時間待ちになり、年間一万人の人たちがここを訪れるという。
街の一角を占めるこのドロフィーズキャンパスは、土地の人たちから、倉庫や空いた家屋の提供を受けて徐々に広げたもので、山の斜面は芝生のオープンガーデンになり、中腹には、棟梁育成学校まである。
地域に密着した都田建設の企業活動が、この魅力的な文化エリアを生み出した。地域創生と結ぶ企業の在り方には、新しい生き方を触発するたくさんの提案が詰まっている。
現社長の蓬台浩明さんがこの地にやってきたのは、今から二十数年前の一九九九年だった。東京の大手ハウスメーカーに勤めていて、画一的でビジネスライクな仕事に疑問を感じ、現場で納得のいく家造りをしたいと仕事を探す中で、都田建設の内山覚さんと出会った。
大工の棟梁として自立したばかりの内山さんの心意気と包容力に感じ入った蓬台さんは、入社を決断。事務の女性と三人体制での出発だったという。
顧客を創造する深い対話
家づくりは顧客の生涯の夢である。その夢に応えようと徹底した対話を目指した。家族の夢と未来、何年か先の生活の在り方、悩みや希望をとことん話し合いながら家づくりを進めた。「他人に初めて自分の夢を話した」と言われる程に顧客の心に入り解き放った。
建築業は家の引き渡しで終わるが、その後のフォローを重視した。一一九番に例えて、問題が起こったら一時間十九分以内に駆けつける体制を作ったのである。家づくりは夢づくりの反面、常に心配や不安がつきまとう。家を作った喜びの物語の後に、新しい生活形成のドラマに接点をもったのである。
「企業の目的は、顧客を創造すること」とは、アメリカの経営思想家ドラッカーのよく知られた言葉だが、顧客の夢や希望だけでなく、無意識の欲求や不安を奥の奥まで掘りさげて応えようとするまめやかな対応が、生活を豊かに啓発し、新しい生活文化形成への呼び掛けにもなっていった。
建築業にリピートはない。あるのは口コミ率だけである。地道な活動が評判を生み、ドロフィーズキャンパスに相談の足を運ぶサイクルがつくられていった。
仕事の在り方から心の在り方へ
経営は、人・物・お金・情報を如何に有効に投入し利益を得るかであるが、やがて社員をどうマネッジするかなどの大きな悩みに直面する。松下幸之助、ドラッカー、稲盛和夫、二宮尊徳、渋沢栄一などを読むと、根本は皆同じ、「まさに私が部下のマネジメントで悩んでいた〈心〉、すなわち精神的な部分でした」と蓬台さんは語る。
若いころ蓬台さんは、道を求めて遍歴した。大学も静岡大学の光電機械工学科、千葉大学の建築学科、ハーバート大学のビジネス科と知の旅人だった。そのなかでワーキングホリデーでオーストラリアのパースの町で十カ月の経験は大きかったという。
小さな町だが、美しい街並みがあり、美しい自然があり、何より温かく思いやりのある人たちがいた。家族や友人を大切にし、週末はバーべキューパーティーを開く。仕事、家族、自分の時間、友人の良きバランスの中で生き、どんな仕事かではなく、どのような人生観かを尊ぶホストファミリーの生き方から、大切なものを学んだという。このような生き方をしたい、こうした街に住みたい、こうした街をつくりたい、まさに心の革命であった。
内山社長は、母一人子一人で育ち、生活が苦しく地域の人々に助けられ育てられた。地域に恩返しをしたい、夢だった起業をしても、姓を使わず都田建設としたのにはそうした思いがあったからという。
夢、地域への愛で二人は共振した。
経営とは、お客様をおもてなしすること、そして社員同士もおもてなしすること。夢と愛をもって。おもてなしは小手先だけでは出来ない。人間力が問題になる。
バーベキューパーティー
都田建設では、社員のコミュニケーションや一体感を高めるために、週に一回、一時間のバ―ベキューランチが恒例になっている。全員参加で、社員一人一人が感動体験を語る。感動は心を解放し、新しい思いを養い、明日へのエネルギーを育む。豊かな感受性の源泉である。
楽しい催しなのだが、やっていると次第にマンネリになってやる気が下がって来るという。ある時、お客様を招待してやるとモチベーションが下がらないことを発見した。自分が楽しむより、お客さんに楽しんでもらうと活力が湧く。人間の本質の発見である。いろいろなお客が来るから、気配りスキルが向上し、チームワークも高まる。夢・愛・自由・仲間のドロフィーズ哲学が深まっていく。
本物の自由を求めて
「決めたことは絶対に妥協しないで貫く。そうしないと自由な社風が会社を滅茶苦茶にしてしまう。自由と言うのはいい加減で、自由奔放ではない」。夢、愛に続いて、自由について蓬台さんは様々に考察している。
自由は二つの相貌をもっている。一つは、移動の自由、思想信条の自由というような選択の自由である。もう一つは、英語が自由に話せるといったときの自由で、英語の法則を体得して得られる。対象の必然的な在り方を洞察し、自分のものにしたときに得られる自由である。
蓬台さんには強い危機感があった。家から離れ、地域から逃れ、日本人に昔からあった利他の精神を忘れ、「自我のご都合主義で損得だけの生き方をする人」が増えているのではないか。選択の自由だけを渡り歩き、コンビニとネットがあれば適当に生きられる時代が、人々を軽く、薄くしているのではないか、と。
自由は、自らに由(よ)ると書く。自分が会得した生き方に沿うこと、究めんとする道を探求すること、本質を究め、その必然に沿うことこそが本来の自由である。
役に立つことは習慣化しよう、何も考えずに続けられるから、と蓬台さんはいう。これも選択可能性から選んだ必然の在り方の体得である。必然を多く身につければつけるほど、自由に生きられる。蓬台さんはここを見据えている。現実に切り込み、天・地・人の深みへの参入し、その真理に生きんとする。
都田建設は、「CO2の排出量ゼロ」の活動をし、環境省から何年も認証を受けている数少ない会社である。出勤の車も含め、企業活動で出るCO2を単位換算をし、CO2吸収活動を支援して自分たちのCO2をゼロにする。持続可能な必然への道の探求である。
都田文化・日本文化・国際文化
――フィンランドで御神輿を――
ドロフィーズキャンパスの店には、フィンランドのものが多く並ぶようになった。フィンランドの芸術や文化、スローライフ、個性を大切にした教育に惹かれてのことだという。キャパシティが小さいフィンランドは、最初から世界と仕事をし、高校生も四か国語を話す国際性を持つ。
フィンランドとの文化交流が深まる中で、神輿を贈る話が起こった。フィンランドの日本ファンは神社やお祭りの伝統文化が大好きだという。神輿づくりは容易ではなかったが、両国国交樹立一〇〇周年の二〇一九年に贈ることができた。
首都ヘルシンキのメインストリートには五千人がお祝いに集まった。二キロの道を一時間、神輿を引いて「絆」のハッピを着たフィンランド人、日本人、社員の人たちが行進した。友好を祝って「わっしょい」の行列は五〇〇メートルにもなった。
都田の想いが、日本古来の文化と感応し、インターナショナルな結びつきに発展したのである。地域と日本と世界が三位一体になった、これからの求められる国際交流の先駆的な在り方がここにある。
生きた言葉
蓬台さんの著作を読むと、体験から導き出された生きた言葉が光っている。
・わくわくすると困難が小さく見える。続けていくと、抱いた夢が実現する。
・人が一番望むのは、理解され、大切にされ、尊敬されること。耳が二つ、口は一つは、深い意味をもつ。話す二倍は人の話を聞こう。
・あやまちは誰も犯すもの。成長と進歩に欠かせないと判ると、後悔のくびきから解放される。
・嫌なこと、居心地の悪さは、何よりのチャンス。変革への生きた呼びかけである。
・経営は、利益を上げることではない。信を深め、意味を共有する人を増やすこと。
・マネッジメントは、人のポテンシャルを引き出すこと。一人一人が傍観者でなく表現者になっていくこと。
「心を立て直す」ことを語って蓬台さんは、農民に勤勉と倹約を説き、武士に分度を説いて、貧困に喘ぐ村を豊かな村に変えた、二宮尊徳を引いている。「一人の心の荒蕪が開けたなら、土地の荒蕪は何万町あっても心配ない」の言葉を思ってのことだろう。
報徳の立場から見ると、蓬台さんの理論と実践は、尊徳の命題を現代の課題に則して具体的に展開されているように映る。
狭さの自覚、自分への固執、変ることへのためらい、等々、自分の狭い枠組みの変革を、夢・愛・自由・仲間の豊かな時間と空間の形成の中に捉えかえしたのである。「心田の開発」の現代的展開といえよう。ここには、私たちのウエイオブライフに根底から働きかけ、それを変革していく、たくさんのモメントが秘められている。