トーマス・マンの『魔の山』― 刊行一〇〇年と「ダボス会議」―(『報徳』2024年4月号巻頭言より)
トーマス・マンの教養小説『魔の山』はこのように始まる。青年の名はハンス・カストルプ。ダボスにある国際サナトリウム・ベルクホーフで結核療養をしている従兄を見舞うための旅だった。
トーマス・マンといえば、『トニオ・クレーゲル』が有名である。芸術家として生きることと市民であることとの相克を描いたこの芸術家小説は、「ねむの木学園」の宮城まり子さんの愛読書でもあり、ここで既に紹介したことがある。
マンはこの後、『ヴェニスに死す』において、功成り名遂げた老芸術家を描いたが、その深刻さに対する軽みのある対抗小説として「単純な青年」の遍歴を『魔の山』で描こうとした。
一九一二年に構想されたが、出来上がるのに何と十二年もかかり、第一次世界大戦をはさんで一〇〇〇ページの長編小説となって、出版されたのは一九二四年だった。今年で丁度一〇〇年である。
生きる意味の探求──「超個人的で絶対的な意味如何」
『魔の山』のメッセージを今どう読み解けるだろうか。従兄を見舞って帰るつもりでいたハンス・カストルプだったが、微熱があるので診てもらい、結核と判明する。結局、七年間をダボスのこのサナトリウムで過ごすことになる。
「単純な青年」ではあるが、時代の兆候には敏感で、一見、活気に満ちているように見えても「内面的には時代が希望も見込みも欠いている」、努力や活動の超個人的で究極的な意味如何について時代が「空ろな沈黙を守っている」と感じている。
真の生き方とは何か。山中のサナトリウムという「錬金術的に高められた世界」で、日常では顕在化しない人間の本質が様々に現れ、ハンスの人間遍歴が始まる。
啓蒙主義的な理性を重んずるイタリア人ゼッテムブリーニ。神の国を目指すイエズス会士にしてコミュニストのユダヤ人ナフタ。ハンスをはさんだ二人の論争は、政治、国家、宗教、芸術、技術をめぐって、一方は理性を主張し、他方は死の力に依拠し、さながらヨーロッパの思想文化の万華鏡となっている。
官能的魅力を湛えたロシアから来たショーシャ夫人。風格ある世俗そのもののオランダ人ペーベルコルンなども登場し、濃密な出会いを通じて、病気と死をめぐる考察、永遠と無限をめぐる問い、時間論や空間論も展開され、生きることの根源が問われる。
「雪の中の彷徨」で死の危険にさらされたハンスは夢の中で、死と理性を超える人間愛を自覚する。これがハンスの覚醒となる。ゼッテムブリーニからも、ナフタからも影響は受けつつ、心が満たされなかったハンスは、死に対抗できるのは理性ではない、愛だけが死よりも強い、理性でなく、愛だけが善良な思想を生み出すのだと、心底から確信するに至るのである。
『ダボス会議』――「世界経済フォーラム」
トーマス・マンが夫人の病気見舞いにダボスを訪れて『魔の山』の構想を得たのが一九一二年であるが、スイスの若い経済学者クラウス・ジュワブが、ダボスの街起こしと、停滞気味のヨーロッパ経済の再活性化を目指して「ヨーロッパ経営シンポジウム」を立ち上げたのが一九七一年である。
『魔の山』の舞台の町に、ヨーロッパの企業経営者四五〇人ほどが集まった。これが毎年続いて「世界経済フォーラム」に発展した。企業の指導者のみならず、政府の代表、学者や社会起業家、時代を担うイノベーターやパイオニアなど、様々の立場、分野の人たちが加わるようになっていった。毎年一月、三〇〇〇名ほどを擁して開かれる『ダボス会議』である。
シュワブは「マルチ・ステークホルダー」の考え方に立っている。株主のみならず従業員、消費者、供給事業者、地域社会など、企業に関わる全てのステークホルダーが集まることを旨とし、関係者すべての利益を念頭に置きつつ、しかし特定の団体や地域の利益にとらわれない、中立のスタンスを取る。これが『ダボス会議』の基調であり、信頼と結集の鍵になっている。
今年のメインテーマは「信頼の再構築」
『魔の山』の登場人物たちは、あらゆる根本問題について問いつつ生きている。相互に肯定も否定もしない。ダボス会議もそうした雰囲気で進んでいるという。相互交流、個別ミーティング。性急な断定はなく、商談も活発で、良き合意も生まれる。不穏で問題の多い世界と対峙し、このように交流する点で、両者は重なっている。
『ダボス会議』では既に一九七〇年代から、環境問題への先駆的な警告を発している。アラブ世界や中国と欧米の橋渡し、ギリシャとトルコ対立回避、金融危機、CO2排出削減、持続可能な開発目標への取り組みもされている。
二〇一七年には「企業が国連のSDGSを達成することで、二〇三〇年までに少なくとも十二兆ドルの経済価値がもたらされ、最大三億八〇〇〇万人の雇用が創出される」などの展望も示された。
今年は一月十五日から十九日まで開催された。「信頼の再構築」がメインテーマだった。ウクライナのゼレンスキー大統領は支援継続を訴え、イスラエルのヘルツォグ大統領は国際社会がとなえる大量虐殺という主張を拒否するよう呼びかけた。
パレスチナ銀行のシャワ会長はガザ地区の破壊と死の惨状に胸が張り裂けると訴え、国連開発計画のシュナイダー総裁は、各国の緊縮財政が他人の世話をする前にまず自分という意識を生み、対立を引き起こすことに懸念を示した。
世界の労働市場の分析、人工知能(AI)の雇用に与える影響なども、議論のテーマとなっている。
「人民の勤耕」の立場から『ダボス会議』を見る
『ダボス会議』は、「金持ちクラブ」とも揶揄される。温暖化問題を議論するVIPが、プライベートジェット機でスイスに乗り込む、といった矛盾である。
世界的富豪たちは、富を倍加させている。しかし、ウォール街の一%対九九%のデモの如く、世界人口の半分以上で貧困度が増している。大企業は集中と合併で大きくなり、その力を自由に政治に反映させる。国家を超える経済力を持つ多国籍企業の問題もある。
経済力を少数の者に集中させる力が大きく働いているが、「人民の勤耕」の立場から言えば、富裕層に報いる経済ではなく、すべての人々にとっての経済をどうするのか、その方策と実践をしっかり展開して欲しいと思う。
富裕層批判はあるにしても、エリート集団にはエリート集団の責務がある。お金があり、社会的地位があるからこそ、出来る貢献もある。儒教の「仁」の考え方である。二宮尊徳も仁の思想を大切にした。
シュワブの「マルチ・ステークホルダー」の考え方は、東京報徳社の鈴木静雄副会長が、一九七〇年代の会社創立と共に「会社に来るな、地域に入れ」で実践している。企業の公益性の徹底追求である。『ダボス会議』をシュワブが創始した頃で、勤耕する人民の立場で一致している。
ハンスの到達した「愛と善意の哲学」について言えば、「一円融合」の実践によって初めて実現されるものであろう。対立の根元を見つめ、共通項を探り、矛盾を克服していくリアリズムの精神なくして、愛と善意は貫徹されえない。
人類の未来
『魔の山』の結末はどうなっているだろうか。ハンス・カストルプは七年の精神遍歴の後、山から地上に降りていく。地上では第一次世界大戦が始まっていた。ここで初めてこの小説が一九〇七年に始まり、大戦勃発の一九一四年で終わることが判明する。描かれた世界は、大戦で破壊される前の「古き良きヨーロッパ」の人々の姿であった。
最後は、シューベルトの「菩提樹」を歌いながら戦塵の中に消えていくハンス・カストルフで終わっている。「君の今後は決して明るくない。君が巻き込まれた邪悪な舞踏は、まだ何年もその罪深い踊りを踊り続けるだろう。君がそこから無事で帰ることはあまり期待すまい」
歴史は一世紀回転した。自己実現の夢と希望。そのすべての遍歴を無にしてしまう戦争。私たちは、今、第三次世界大戦の前夜にいるのだろうか。