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変なノリをつくっていこう ~

"なんでもして良い空気"ってどうやって生まれるんだろう…?

昨今さっこんは「起業家を増やそう」とか、社内でも「アントレプレナーシップが大切だ」と言われる時代。

アントレプレナーシップ:創造意欲を持って挑戦し、リスクにも立ち向かっていく姿勢。

なんでもして良い空気とは、「チャレンジがしやすい空気」とも言えるかもしれない。

その空気が生まれる要因として、やっぱり大切なのは環境かな?

「起業家を生む」ということを例にすれば、やり方を教えてくれる人がいることや、補助金などの制度も「チャレンジしやすい環境」「好きなことをやりやすい環境」をつくる上では大切かもしれない。

実際、日本全国の地方自治体に「起業家を支援する環境」が整備されていると思う。それでこれまで、どれくらい変化や進歩があったんだろう。

ぼくは正確な数字は見ていないし、研究者でもないから、よく分からない。

ただ、一応何かをはじめた(はじめてしまった)自分の例を少しあげながら、この「なんでもして良い空気」や「チャレンジしやすい空気」ってどうすれば生まれるのか?どんな空気なのか?という議題について考えてみたい。


変なノリをつくっていく

地元に戻ってきて2年と少し。AKITA"KARA"というプロジェクトをはじめ、様々な企画やイベント、若者を中心とした秋田で暮らす人たちの関係性づくりをしてきた。今はみんなで「場」をつくる、場〜(ば「から」)PROJECTを行っている。

先日は解体イベントを開催❗️

そんな一応…自分たちで色々やっているぼくだが、ぼくの心意気はいつだって「地元だし(秋田だし)、別にあんまり目立たないんだから、何やっても良いじゃない?」という感じ。

前向きというよりかは、後ろ向き。。。

「挑戦」というよりかは、「バレなそうだし、いんじゃないかな?」みたいなノリ。。。

予想に反した方もいるかもですが、最近ぼくは、"この感じ"がすごく大切だと思うようになりました。


大人が若者の神輿みこしを担いで「頑張るぞー!」というのをよく見る。ぼくはいつもこの光景に、少々の疑問を感じる。

というのは、若者が本当に「やろう!」と思っていたら良いけど、けっこうみんなくもり顔。「本当に大丈夫なのかな…?」という表情がのぞかれる。

「頑張る」とか「社会を変える」ってのはかっこいいけど、ちょっと重い。責任や誰かからの応援っていうのも、実はけっこう重いもの。

それを背負うのって大変な気がしていて…ぼくが暮らす秋田なら尚更なおさら、目立っちゃうし、そういう人が少ない分、期待も乗る。ぼくはいつも「すごいけど、大変そうだなぁ ~」と、遠くからながめている。

その点「バレないし、目立たないんだから、やっちゃおうよ」という心持ちは、すぐに何かをはじめられる。

別に失敗したって気づかれないし、課題先進県かだいせんしんけんの秋田だし、ましてや自分の地元だし。まぁ多少グレーゾーンでも良いだろう ~。

ぼくらはいつだってこんなノリだ。「そのうちなんとかなるだろう ~」と、心に植木等うえきひとしを持って、今日も明日も生きている。

頑張ろうとすればするほど、楽しさが減っていく。現代人は、頑張ることと楽しむことを共存させることが、意外と苦手。

責任感や期待、誰かの応援が乗れば乗るほど固くなる。「別にどうでも良いや ~」ってなかなか思えないもの。

だからこそ、ぼくは真っ当な動機も良いけど、不純な動機もけっこう目の前の壁や他人の目をひょいと超えていく気がする。

気づいたらはじめちゃって、気づいたら面白くなって、なんか引き返せなくなって…がんばる!みたいな感じだろうか?


という感じで、自分たちのことを考えながら色々と書いてきた。

ぼくにできることが少しあるとすれば、変なノリをつくることかもしれない。

秋田で暮らす(地元で暮らす)ぼくは、昔から散々色々やってきたし…たくさん人にも迷惑をかけてきたし…まぁそれなら、「誰かや地域のためになる」と思ったことは、誰かの影に隠れながら、色々仕掛けていけたい。

若い特権は、誰にも期待されないこと。大人が「へぇ ~頑張ってるね」と流してくれること。

それにムカついてたら勿体ない。どうしてみんな目立ちたいのか、全然わからない!

みんなが注目しないうちに、誰にもバレないうちに、おもしろおかしいことをニヤニヤやっていくのが、楽しいんだから!

だからこれからも、今に集中して、今ここを生きよう ~。

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